アフ・チュイ・カック  第二十八章


 目も眩む光が消え、ロイは蹲ったまま自分を庇うように抱きしめるハボックの顔を見る。ハボックはびっしょりと汗をかき、ハアハアと肩で息をしていた。
「う…くぅ…っ」
 ロイの体を離すとハボックは両手を地面につく。その拍子に全身に痛みが走ったかのように息を飲むと体を硬直させた。
「ハボ…っ」
 慌ててその体を支えてやりながらロイはハボックの様子に目を瞠る。ロイの手がハボックの体に触れた途端、ハボックの唇から短い悲鳴があがった。
「体が…」
 身を守る為に唱えた言葉がハボック自身を傷つけている事に気づいてロイは愕然とする。
(光の呪術はとてつもなく強い力を持ってる。ハボックの魂がそれを扱う力を備えていても、器の方が力の大きさについていけないんだ…)
 かつてこの村を救った呪術師の男が残した本により、その魂の内側に秘めていた力を目覚めさせたハボックだったが、人間としての器が強すぎるその力についていけない。扱う呪術が強力であればあるほど、ハボックの体にかかる負担は相当のものになるだろう。
(コイツの祖母がハボックに呪術を教えなかった本当の理由はこれだったのか…)
 ハボックの魂は強い呪術を扱う事に限界を感じることはない。だが、器である肉体はそうはいかないのだ。ロイは辛そうに息を弾ませるハボックを見つめてグッと唇を噛み締めると言った。
「ハボック、お前、何をおいても自分の身を守れと私に言ったな」
 ロイの言葉にハボックが俯けていた顔を上げる。問いかけるような視線にロイは言葉を続けた。
「お前の言うとおり私は私の身を守ろう。お前自身の体と一緒に。そういう約束だったろう?」
「ロイ…」
「だからお前はお前がやるべきことだけに専念しろ。ミリアの体からア・プチを引き離し封印するんだろう?『守る』ことは忘れろ、お前の事も私の事も、守るのは全部私がやる」
 まっすぐに見つめてくる黒い瞳を見返してハボックは微かに微笑む。確かに今の自分の体には何もかもを全部やるのは負担が大きすぎた。
「無理はしないって約束でしたよね?」
「判ってる」
 きっぱりと答えるロイにハボックは頷く。
「じゃあ、お願いします、ロイ」
 ハボックはそう言うと痛みをこらえて立ち上がった。懐に入れてあったカイの家から持ってきたものを取り出すとロイに言う。
「まずはミリアの動きを封じます。それからア・プチをミリアから引き剥がして封印する」
「判った」
 光の呪術で弾き飛ばされたまま蹲るミリアの方を向いて、ハボックは取り出したガラスの置物を手のひらに載せた。ロイはハボックの半歩後ろに立ってハボックとミリアの様子を見つめる。ハボックはじっとミリアを見つめたままゆっくりと言葉を唇に載せた。

 自ら望んで巣食ったその器の中で、ア・プチはギリギリと歯を食いしばっていた。
『なんて大きくて純粋な力なんだ…っ』
 かつて自分を封じ込めた呪術師の力などとは比べ物にならない程大きな力に、ア・プチは脅威と憎悪を覚える。それと同時にあの金色に輝く魂こそを自分の中に取り入れ、喰らってしまいたい衝動に駆られて低い笑い声を零した。
『あの男はこの器を、女を取り戻したいと思っている…』
 ア・プチはそう考えて、自分が巣食った器を中からぐるりと見回す。魂を食い荒らされ、もうすっかり中身の少なくなってしまったそれにア・プチはニタリと笑った。そうしてその僅かに残った魂にア・プチはそっと囁く。
『おい、いいのか、このままで。お前の愛しい男は憎い相手と一緒にそこにいるぞ。お前が死ねば二人は喜んで手に手を取って生きていくんだろうなぁ…』
 クククと笑えば器の魂がざわりと蠢く。ア・プチは目の前に立つ金色の魂を舌なめずりをしてじっと見つめた。

 内側から囁く声にミリアは紅い瞳を開ける。全身を走る痛みに霞む視線の中に自分を見つめるハボックの姿が映った。
「ジャン…」
 そう呟くと同時にその背後に立つロイの姿に気がつく。その途端、ぼんやりと虚ろだった紅い瞳が光を取り戻し、ミリアはふらりと立ち上がった。その瞳に憎悪を漲らせてミリアが二人を睨む。その時、ハボックが唱えた言葉がキラリと輝いて手のひらのガラスの中へと吸い込まれていった。
「Σταματήστε  το  πόδι  της.」
 吸い込まれた言葉はガラスの中でキラキラと輝きその煌めく糸をミリアの方へと伸ばす。ハボックはそれをそっと地面に置くと、ゆっくりとミリアを中心に円を描くように右へと移動していった。その動きに合わせてロイも移動するのを見た時、ミリアの体が前に飛び出そうと動く。だが、その足は煌めく糸に絡め取られて地面へと縫い付けられていた。
「離せっ!ちきしょうっ!!」
 ミリアは己の足に絡みつく糸を解こうと手で掴み取ろうとする。だが煌めく糸はミリアの手を素通りするばかりで掴む事は出来なかった。
「うああああっっ!!!」
 解くことの出来ないそれにミリアが怒り狂って喉を仰け反らせて叫ぶ。ミリアはギッと二人を睨むと思い切り腕を振った。ゴオオッと黒い塊となった邪気が噴き付けてくるのをロイが焔の壁を作って防ぐ。その壁に守られるようにしてハボックは懐から次のガラス細工を取り出すと手のひらに載せた。
「Σταματήστε  το  βραχίονά  της.」
 ハボックが吐き出した言葉が同じようにガラスに吸い込まれ煌めきを放つ。ハボックがそれを足元に置こうとした時、ミリアから噴きつける邪気が力を増した。
「くっ!」
 焔の壁を突き破りそうになるそれにロイが素早く呟く。
「ロイっ」
「大丈夫だ。気にするなっ」
 気遣って呼ぶハボックの方を見ずにロイがそう答えると、二人を守る焔の壁が厚みを増した。
「一々こっちを気にする必要はないっ!そうする間にさっさとやれっ!」
 ロイの言葉に頷くとハボックは手にしたそれを足元に置く。輝くそれからするすると伸びた煌めく糸がミリアの腕に絡みついた。必死にそれを振りほどこうとするミリアを見つめながらハボックはまた右へと移動していく。最後に残った小さなビー玉を手にした時、ハボックの脳裏に幼い時の思い出が甦った。

『ジャン、ほら見て。こうして空にかざすとキラキラ光ってとっても綺麗。』

 そう言って自分にビー玉を差し出して笑うミリアの顔が目の前の憎悪に顔を歪ませるミリアの姿とだぶる。
「絶対助けるから…」
 ハボックは顔を顰めてそう呟くとビー玉を載せた手のひらを前に差し出した。
「Σταματήστε  το  σώμα  της.」
 ハボックの唇から零れた言葉がビー玉に吸い込まれ輝きを放つ。輝くそれを地面に置けばそこから伸びた糸がミリアの体に巻きついていった。それと同時にミリアの体から噴きつけていた邪気が封じ込まれていく。ホッと息を吐いて焔の壁をかき消したロイを睨んでミリアが絶叫を上げた。
「ちきしょうっ!ちきしょうっっ!!」
 輝く糸に絡め取られた体がもがく度、ミリアの顔が苦痛に歪み、体がビクビクと震える。
「ハボ、早くっ!!」
「ええ」
 次を促すロイの言葉にハボックが懐から鏡を取り出して言葉を唱えようとした時、喚いていたミリアの顔からスッと表情が抜け落ち、次の瞬間ニタリと笑った。
「…え?」
 そのあまりの禍々しさに思わずミリアを凝視したハボックに、ミリアの姿をしたそれが口を開く。
『いいのか?このままではこの体はもういくらも持たないぞ』
「な…?」
 しわがれた声にハボックが息を飲んでミリアを見つめた時、ロイの手がハボックの腕を掴んだ。
「ア・プチ!」
 ロイの叫びにハボックはまじまじと目の前のそれを見つめる。
「これが…」
 ミリアであってミリアでないそれにハボックは息を飲んだ。
『この糸が封じ込めた邪気が娘の体を破壊していくぞ。魂ごと消し去って二度と戻らない』
「そんな…」
 思わず足元に置いたビー玉に手を伸ばそうとするハボックをロイが押さえて叫ぶ。
「騙されるなっ!ヤツを封印すればいいだけの話だっ!早く封印の言葉をっっ!!」
『我を封印する前に娘の体が砕け散るぞ』
「ヤツの言葉を聞くなっ、ハボックっっ!!」
「でも…っ」
 迷うハボックの前でグラリとミリアの体が揺れたと思うと、さっきまでそこにいたア・プチが姿を消し、ミリアが現れた。
「…ジャン」
 先ほどまでの憎悪の欠片もないその顔は、やつれているとは言えハボックがよく知っていたミリアのそれで。
「ミリア…っ」
 ハボックの手がビー玉に触れた途端、輝いていたガラスが粉々に砕け散り、それと呼応するように残りの二つも砕けてしまう。ミリアを縛る煌めく糸がかき消えた時、ミリアの姿をしたそれがニタリと嗤い、そうして呆然と目を見開く二人に向かってそのしなやかな体が物凄いスピードで襲い掛かってきた。


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