| アフ・チュイ・カック 第二十六章 |
| 「行きましょうか」 ヘンリーの姿が見えなくなって少しするとハボックがそう言う。これから起こるであろう事をハボックがどう思っているのか、その穏やかな瞳からは窺い知れず、ロイはハボックの手をキュッと握った。そんなロイを真正面から見下ろしてハボックは綺麗な黒い瞳を見つめて言う。 「前に言ったかもしれないっスけど、もう一度言っておきますね」 「聞きたくない」 ハボックがそれ以上言う前にロイはピシャリとその言葉を遮った。そうしてハボックを睨みつけるようにして言う。 「何もかも全部終わったら聞いてやる」 「…ロイ」 ハボックは何か言いたげにロイを見つめたが、絶対聞かないと言う瞳に諦めたように1つ息をついた。 「判りました。その時は全部聞いてもらいますから」 「うん」 ロイは頷いてハボックの首に腕を回して引き寄せる。チュッと触れるだけのキスをして囁いた。 「約束…」 「…はい」 そう答えるハボックにロイは微かに笑う。そうして腕を解くと手を繋ぎゆっくりと歩き出した。 「ミリアはね、オレにとって母さんのような姉さんのような、そんな存在だったんです」 歩きながらポツリとそう言うハボックをロイは見上げた。 「側にいるのがとても自然で、一人ぼっちだったオレにホントによくしてくれた。オレが虐められてると助けてくれたり、一緒に怒ったり笑ったり、時には叱ってくれたりして、オレが今こうしているのはミリアとカイおじさんのおかげだと 思ってる。ずっと大切にしたいと思ってた。今でもそう思ってるんスよ」 そう言ってハボックはロイを見る。 「ア・プチをミリアの中から引き剥がすことができたら…」 「それは物凄く危険を伴うって聞いた」 ロイは視線を落として言った。 「とり憑いた相手の心の、魂の奥に入り込んでいればいるだけ引き剥がすのは困難だと…」 「でも、不可能じゃないでしょう?」 「ハボック」 咎めるように見つめてくるロイにハボックが言う。 「出来るのにやらなかったら、もしこのあと村に平和が戻ってもオレはずっと後悔すると思うんです」 「時間をかければかけるだけ反撃を食らう可能性が高くなるんだぞ」 「それでも」 ハボックはキッパリと言った。 「それでもやらなければ」 そう言い切るハボックにロイは軽い嫉妬を覚える。だが、そんな嫉妬はまるで見当はずれだと思い直して小さく息を吐いた。自分はハボックのこととなるとどうしてこう狭量なのだろう。なんだか自分が酷くちっぽけに思えて、ロイは軽い自己嫌悪に陥った。それでも繋いだ手をキュッと握れば握り返してくれる手があることに、小さな嫉妬も自己嫌悪も瞬く間に溶け出していく。 (この温もりを守る為に精一杯のことを) ただそれだけを考えて、ロイはハボックと共に昏い混沌の中心に向かって歩いていった。 ミリアは野原の真ん中に立っていた。周りには肉塊と化した血まみれの人間の体が幾つも散らばっている。ミリアは赤黒い霧の向こうにあるはずの青空を見上げた。だが厚い霧に遮られてその片鱗すらみることが出来ないそれにミリアは唇を噛み締める。震える腕を伸ばしてみるものの霧を払いのけられる筈もなく、ミリアはだらりと腕を下ろした。吹き抜ける生温い風に野原を見渡すミリアの目に、遠い日の自分達の姿が映る。 『ミリアっ!これ、あげる!』 『えっ?ジャンが作ったの、これ?』 『うん、ミリアにあげるよ。』 あれは幾つの頃だろう。まだ結うことも出来ないほど短い髪をした自分にハボックが自分で編んだ花冠を被せてくれた。 『よく似合ってるよ。ミリアの髪、とっても綺麗だから凄く似合う。』 ジャンにそう言われて髪を伸ばし始めたのだ。毎日手入れをして伸ばし続けた髪はやがておさげになり、今では高く結い上げるほどに長く伸びた。いつも綺麗に整えていた髪をざんばらに解いたまま生暖かい風になびかせてミリアは考える。小さい時からずっとハボックの側にいたのは自分だった。ハボックの母が行方知らずになった時も、怖ろしい災禍がこの村を襲ったときも、たった一人の身内を亡くしてハボックが一人ぼっちになった時も、側にいたのは自分だった。そうしてこれからもずっとずっと側にいるのだと、そう思っていたのに。 「どうして?」 「どうして私じゃないの?」 「ジャンの隣りにいるのは私だったのに」 「ジャンのこと誰よりも判っているのは私だけなのに」 「どうしてアイツがジャンの隣りにいるの?」 「どうしてジャンは私を裏切るの?」 ドウシテドウシテドウシテ。 ワカラナイと、リカイデキナイと思う心の底から浮かんでくるのは純粋な怒り。 ユルサナイ。 私からジャンを奪ったロイも。 私を裏切ったジャンも。 コロシテヤル。 ミリアの心にその言葉が浮かんだ時、ミリアの中から楽しげに笑う昏い声が響く。 「もっと恨むといい。もっと憎むといい。憎い恋敵を切り刻み、お前を裏切った憎くて愛しい男の命の糸を断ち切って しまえ。そうしてその冷たい骸を抱きしめればいい。その時お前の愛する男は永遠にお前のものだ。」 ミリアは自分の内から響く声にうっとりと微笑んだ。その声は自分自身の意思であり、最大の望みだった。 「ジャン…愛してるのよ…誰にも渡さないわ」 ミリアは冷たい抜け殻と化したハボックの体を抱く自分を夢見る。蜂蜜色の髪は色褪せ、空色の瞳は輝きを失って濁るだろう。だが、そうなったハボックは二度とミリアの側から離れていくことはない。 「ジャン…ジャン…」 低く嗤う声が野原に響く中、ミリアはうっとりと愛しい男の名を呼んで微笑んだ。おそらくはミリアにとって今この時こそが幸せの絶頂の瞬間で、その幸せに心の内を満たされた彼女が腕を差し伸べたその時。 ミリアの視線の先に二つの影が立った。 互いの手をしっかりと握り締めて立つ二人の姿にミリアの紅い瞳が大きく見開かれ。 「アアアアアアア―――――ッッッ!!!」 ミリアの唇から迸った獣のような絶叫が、赤黒い空を貫いて響き渡った。 |
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