| アフ・チュイ・カック 第二十四章 |
| 「ロイ。村に戻ろうと思います」 パタンと本を閉じるとそう言うハボックをロイはじっと見つめる。穏やかなその面に、ロイは微かに顔を歪めた。 「もう?もっと時間をかけた方が――」 「これ以上かけたところで変わらないっスよ。もともとオレのスキルじゃ限界あるんだし」 ハボックはそう言うと自嘲気味に笑う。 「こんな事になるならムリ言ってでもばあちゃんにちゃんと呪術習っときゃよかったっスね」 今更だけど、とハボックは言ってゆっくりと立ち上がった。ロイはハボックの胸に縋ると言う。 「もう少し、もう少しだけここで…っ」 「ロイ」 「嫌だッ!!」 ロイは大声を上げるとハボックの体を抱きしめた。呪術に秀でたあの男ですら自分の命をなげうたなければ封じる事が出来なかった。このままハボックを行かせるのは死にに行かせる様なものだと、ロイはハボックを抱きしめる。 「嫌だ、行かないでくれ」 ハボックは何度も自分は死なないと、生きて帰るとロイに言ったがそれが気休めでしかないことを最早ロイは認めざるを得なかった。ロイはハボックの首に手を回すとその顔を近づける。ぴちゃと、音を立てて舌を絡ませ深く唇を合わせた。ロイはハボックの手を取るとシャツの中へと導く。ロイの肌に触れたハボックの指がぴくりと震えた。 「ロイ」 僅かに眉を寄せて辛そうに自分を見つめる空色にロイは言う。 「ここで、このまま二人で…」 「ロイ…」 「なんで…?なんでいつもお前ばかり…っ」 ポロポロと涙を零すロイの頬を両手で掬うとハボックはその唇を塞いだ。何度も何度も口付けてはその合間に名前を呼ぶ。ギュッと抱きしめるとハボックはロイの耳元に囁いた。 「愛してます、ロイ。初めて会ったときからずっと…。ずっとずっと好きだった。これまでもこれからもアンタだけ…。オレの全てはアンタのもんですよ」 「ハボ…」 ハボックはポケットから契約の印のメダルを取り出すとロイの手に握らせる。 「これ、預かっててください。全部終わったら、もう一度アンタからオレに渡して」 ね、と笑ってハボックはメダルを握ったロイの手を握り締めた。もう一度舌を絡めて口付けるとロイの涙を拭う。そうしてロイの手を取ると洞窟の出口へと歩き出したのだった。 「これからどうするんだ?」 山道を手を繋いで下りながらロイはハボックに尋ねる。先を歩くハボックは振り向かずに答えた。 「カイおじさんのところへ行きます。いくつか欲しいものがあるんで」 それからちらりとロイを見ると言葉を続ける。 「出来ればアンタはそこで待っていてくれると嬉しいんスけど…」 「嫌だ」 きっぱりと言われてハボックは「ですよね」とため息をついた。ロイは再び視線を前に戻したハボックの背に向かって言う。 「ハボック。私にお前を守らせてくれ」 「アンタの身を守れって言ったでしょ」 「じゃあ、私の次でもいい」 「ロイ!」 「構うなって言葉を取り消せっ!!」 声を荒げるロイにハボックは足を止めた。揺れる黒い瞳を困ったように見下ろすハボックにロイは言う。 「そうすれば少しでも生きて帰れる確率が高くなるだろう?」 「ロイ…」 「生きて帰って一緒に暮らすんだろう?だったら少しでもそうできる道を選べ。無茶はしないから、だからハボック…!」 必死な言葉にハボックは小さくため息をついた。ロイの頬を撫でながらロイに聞く。 「ホントに無茶、しないっスか?」 「しない。約束する」 はあ、とため息をついて抱きしめてくるハボックの胸に顔を埋めてロイはハボックを呼んだ。キュッと力を込めてハボックはロイに囁く。 「じゃあ…」 ハボックはそう言って、だがそれ以上言わずに口を閉ざした。ロイは苛々とハボックを見上げると睨みつける。ハボックはもう一度ため息をつくと諦めたように言った。 「じゃあ、アンタと村の人たちの次に」 そこまで言ってロイの顔を見る。じっと見つめてくる黒い瞳にハボックは諦めたように言った。 「オレを…守って」 ようやくハボックから引き出した言葉にロイはホッと息をつくと笑みを浮かべる。 「私の全てをかけて守るから」 「…ロイ」 思わず言った言葉に思い切り睨まれてロイは慌てて付け足した。 「私の次に」 「と、カイおじさんたちの次に」 そう言われてほんの少し頬を膨らませるロイにくすりと笑ってハボックはロイの手を取る。そうして二人は再び村へと歩き出した。 ようやく村が見える場所までたどり着き、二人は村を見下ろす。ほんの数日前に出てきた村は赤黒い霧に覆われ、禍々しい気配が村を包んでいた。ハボックの手を握るロイの手に力が入り、ハボックは村を見つめるロイの横顔を見る。まっすぐに見つめるその黒い瞳が何を思っているのか、ハボックは不安に駆られてロイの肩を引き寄せた。 「私なら大丈夫だ」 ロイはそう言うとハボックを見上げる。ハボックはその瞳を見つめると言った。 「行きましょう」 頷くロイの手を取って、ハボックは最後の坂を下っていく。村の名前を刻んだ標識の前を通り抜けると村へと入っていった。足早に通り抜ける村は不気味に静まり返って、ハボックとロイはあたりに注意を払いながらカイの店へと向かった。店の前に立つとノックをせずに扉を開ける。カランとドアベルを鳴らして中に入った二人は、店の中にカイの姿がない事に顔を見合わせた。店を抜け、奥の扉に手をかける。ほんの少し迷って、だがハボックはグイと扉を開けながら声をかけた。 「カイおじさん?」 「いないのか?」 どこかへ出かけたのかとハボックが思ったとき、テーブルの向こうに脚が伸びているのを見つけてギョッとする。慌ててテーブルを回ればカイがぐったりと床に倒れていた。 「カイおじさんっ?!」 カイに駆け寄るとその体を抱きかかえる。その首に残る指の痕にギクリとしてカイの口元に手をやった。呼吸を確認するとハボックはもう一度カイの名を呼ぶ。何度目かに呼んだ時、カイの瞼がぴくりと動き、ゆっくりと目を開いた。 「カイおじさん」 「カイ」 目を開いたカイは自分を覗き込むハボックとロイの顔を認めて口を開こうとする。だが、途端に苦しげに咳き込んで、ハボックはカイの背を擦った。ロイがキッチンから持ってきた水の入ったグラスを受け取ると、カイの口元に当てる。一口、二口と漸う水を飲み込んだカイにハボックは聞いた。 「何があったんスか?そうだ、ミリアは?ミリアはどこに?」 ハボックの言葉にカイは顔を歪める。その表情にミリアの身に何かあったと察してハボックが尋ねた。 「ミリアに何か?怪我?!まさか命にかかわるような――」 「ジャン…っ!」 呻くようなカイの声にハボックは口を噤む。カイは自分を抱きかかえるハボックの腕を握り締めると言った。 「ミリアだったんだ…っ、ミリアの中に魔物がっ…!!」 カイの言葉が俄かには信じられず、ハボックとロイは黙り込んでしまう。カイはハボックの腕を握る手に力を込めると言葉を続けた。 「ミリアの中に魔物がいる。ミリアの中に…っっ」 カイはそう言うと両手で顔を覆ってしまう。呆然とカイを見つめていたハボックは何度も唾を飲み込むとやっとのことで言った。 「どうして…?どうしてミリアの中に?」 信じられないという顔をするハボックにカイは顔を上げるとロイを見る。 「ロイ、気をつけろ。ミリアはお前を殺したがってる」 「なんでっ?!」 噛み付くように聞くハボックを制してロイがカイに言った。 「ハボックを好きなんだな、ミリアは」 「…は?」 ポカンとするハボックを見てロイが言う。 「ミリアはお前が好きなんだ。だから私が邪魔なんだろう」 「な、に言って…。ミリアはオレの幼馴染で…」 「小さい時からお前のことが好きだったんじゃないのか?だから側にいる私を消してお前を手に入れるつもりなんだ。そうだろう、カイ」 尋ねるロイにカイは頷いた。そうして吐き出すように言う。 「馬鹿な娘だ。魔物を身の内に飼ってまで想いを遂げようだなんて…そんなことをしても何も得られはしないのに…っ」 「それほどハボックを想ってきたのだろう。ア・プチは人間の欲望や弱い心に付け入るのが得意だ」 ハボックは暫く呆然とロイを見つめていたが、やがて唇を噛み締めるとカイに言う。 「カイおじさん、オレ…」 「判っている。お前が気に病む必要はない。ミリアが愚かだっただけだ。あの娘ごと魔物を葬ってくれればいい」 「カイおじさんっ」 「そうしてくれ、ジャン。もしミリアを少しでも哀れだと思ってくれるなら、お前の手で決着をつけてくれ」 腕に食い込むカイの指に、その苦渋に満ちた瞳に、ハボックは唇を噛み締めるとそっと目を閉じる。それからゆっくりと目を開くとカイに言った。 「いくつか欲しいものがあるんスけど、いいっスか?」 「…ああ」 ハボックの手を借りてカイはなんとか立ち上がる。足元が覚束ないながらも店への扉を開けるとハボックに聞いた。 「何が欲しいんだ?」 「鏡と、あと何か光を蓄えられるものを3個ほど。形も大きさもなんでもいいんスけど」 ハボックの言葉に頷くとカイは店の中を歩き回って幾つかの品を取り出す。ハボックにむかって差し出して言った。 「こんなものしかないが役に立つか?」 ハボックはカイの手の中から鏡を取り上げる。それは凝った象嵌細工の装飾が施されたコンパクト型の鏡だった。パチンと音を立てて鏡を確認すると「持っていて」とロイに渡す。それから次に取り上げたのはガラス製のペーパーウェイトだった。それを目の高さに持ち上げて覗き込むとロイに渡す。あと、カイの手のひらにあるのは同じくガラス製の小さなうさぎの置物とビー玉だった。ハボックは残りの二つも手に取るとにっこりと笑う。 「ありがとう、カイおじさん」 「何に使うんだ?」 鏡の象嵌細工を眺めながら尋ねるロイにハボックは答えた。 「この中に言の葉を蓄えてそれで囲ってア・プチの動きを止めます。それからこの鏡に封印する。オレは呪術がちゃんと使えるわけじゃないから媒体がないと長く動きを止めるのはムリなんです。だからこれを使うけど、それだってどの程度の時間持つか…。」 「私がア・プチと戦って――」 「またそういうことを言う」 ハボックはロイをジロリと睨むと言う。 「アンタが直接アイツとぶつかったら世界が吹き飛ぶか、アンタが消滅するか。とにかくロクな事になりません。アンタは守りに徹してください」 「…あんまり私の行動を縛るような言葉を口にするな」 ブスッとしてそう言うロイを引き寄せるとハボックは口付けた。深く口付けてその口中をくまなく味わうと唇を離す。ロイは驚いたように目を見張って、僅かに頬を染めながらちらりとカイを見た。さり気なくそっぽを向いていてくれたカイにホッと息を吐くとハボックを見上げる。その綺麗な空色の瞳にロイは堪らなくなって今度は自分から口付けた。舌を絡ませ互いの口内を探り合う。ゆっくりと唇を離せば銀色の糸が二人を繋いだ。ハボックはカイから貰ったものを懐にしまうとロイの手を取る。 「行きましょう」 「…うん」 そうして扉から出て行こうとする二人にカイが言った。 「二人とも気をつけて。待ってるから必ず戻って来るんだぞ」 そう言うカイに微笑んでハボックとロイは外へと出て行く。 「頼む、二人を守ってやってくれ…」 今はもうこの世にいない人へのカイの祈りが、宙へと立ちのぼって儚く消えていった。 |
| → 第二十五章 |
| 第二十三章 ← |