| アフ・チュイ・カック 第二十三章 |
| 野原をあとにしたミリアはあてどもなく歩いていた。もう誰でもいい、引き裂いてやらなければ気が納まらなかった。ちょうどその時、向こうからやってきた数人の男達がミリアに話しかける。 「おお、ミリアじゃないか。確かお前、ジャンのことをよく知ってたな。アイツが逃げ込みそうな場所が判ったら教えてくれ」 「俺達だってこのまま黙ってやられるわけには行かないからな。こっちから攻撃をしかけてやるんだ」 「お前だってうかうかしてたらダン達と同じようにやられちまうぞ。俺達と一緒に――」 口々に言っていた男達がミリアの様子がおかしい事に気づいて口を噤んだ。ミリアは紅く燃える瞳で男達を見ると言う。 「あんたたちみたいのがいるからいけないのよ」 「ミ、ミリア?」 「あんたたちみたいのがいるからジャンだってロイなんかと…」 そう呟くように言うミリアの瞳が不気味に光り、男達は酷い圧迫感を感じた。まるで狭い箱の中にグイグイと押し込まれているような圧迫感に互いの姿を見れば奇妙に捻じ曲がった手足がその体に徐々にめり込んでいくところだった。見えない巨大な手に握りつぶされていく、そうとしか言いようのない互いの姿に男達は恐怖に目を見開いた。 「う、わ…」 「なん…っ」 「ひ、ひいいいいっっ」 ブシュッと音を立てて血しぶきを上げて男達の体が潰れる。おそらく何が起きたか判らぬままに死んでいった男達の骸を置き去りに、ミリアはその場を後にしたのだった。 そうして一日が過ぎ、野原の上に上った月は男達の血を吸ったかのように紅かった。生暖かい風が村を吹き抜け、村の住人達は自分の身に厄災が降りかかることを恐れて、堅く家の扉を閉じベッドの上で毛布に潜り込んで誰かがこの怖ろしい事象を取り払ってくれることを、ただひたすらに願っていたのだった。 「ロイ、眠っちゃったんですか?」 ハボックは背中にかかる重みが増したことに気づいて声をかける。だが返ってくる答えがない事に小さく笑うと体をずらし、ロイの体を腕の中に抱きこんだ。 「ん…」 むずかるような声を洩らす唇に軽く口付けると、ハボックは再び本に目を落とす。時折声を出さずに唇だけを動かしてその本に書き込まれた僅かな望みとも言うべきものを、自分の中に刻み付けていった。本に書かれているのはかなり古い、それゆえ強大な力を持つ言葉で、ハボックは果たしてまともに呪術を習ったことのない自分に扱いきれるのか自信がなかった。強大な言葉はそれを扱うものにそれに見合った力と器を求める。もしハボックにそれ相応の力と器がなければ、言葉はハボック自身をも引き裂いてしまうだろう。 「ロイ…」 もしも叶うことなら平和の戻った村でロイと二人で生きていきたい。だがそれもハボックが村を覆う厄災を振り払うことが出来たらの話だ。 「ロイ、もしオレが…」 ハボックはそう呟いて苦笑すると微かに首を振る。そうして再び本に視線を落としたのだった。 ピチャン。 水の跳ねる音にロイはふと目を覚ます。自分がハボックの腕の中に抱き込まれるようにして眠っていた事に気づいて微かに目元を赤らめた。自分の体を抱き込む人を見上げれば本を抱えて眠っている。その思ったより長い金色の睫を見つめていたロイはホッと息を吐くとハボックの胸に頭を預けた。視線の先にハボックが抱えている本が入り、ロイはそっと手を伸ばす。もし、その中に書かれた言の葉を自分も使うことが出来れば、ハボックの役に立てるかもしれない。そんなことを考えて本を取ろうとすれば、グイと強い力が本を押さえつけた。ハッとして見上げるとハボックの空色の瞳がロイを見下ろしている。ハボックは本をロイから遠ざけると言った。 「アンタは見ちゃダメです」 「どうして?」 「ここに書いてあるのはオレのための言葉だから」 そう言うハボックをロイは睨みつける。 「お前もアイツと同じように私が戦うことを拒むのかっ?」 「ここに書いてある言葉はアンタたち精霊が使うようには出来ていない」 ハボックの言葉にロイは目を見開く。ハボックはそんなロイの様子に意外そうに言った。 「聞いてなかったんスか?ここに書いてある言葉はアンタが使おうとすればアンタの中にある力と共鳴して制御しきれないほど膨大なエネルギーを生む。そんなことをしたら相手だけじゃなくてアンタまで消滅しちゃうんスよ」 大きく見開いた黒い瞳にハボックはため息をつく。 「その人は何も言わなかったんスね。言わないでアンタを守ったんだ」 ハボックはロイの頬を撫でて笑った。その綺麗な空色にロイは不安になって尋ねる。 「それじゃお前が使ったら?お前ならその言葉を使っても大丈夫なのか?」 だがハボックはロイの問いには答えずただ笑っただけだった。 「ハボックっ!!」 ハボックは不安と怒りに揺れる黒い瞳をロイの肩に手を置いて覗き込むように見つめる。そうして静かに、だがはっきりとした口調で言った。 「この本、アンタが読むのは赦しません」 「…っっ!」 「それから、ア・プチと戦う時、なんかあったらアンタはまずなにより自分の命を守ることを最優先にすること。後はもしカイおじさんやヘンリーや村の人達が近くにいたら守ってあげて。オレのことは構わないこと」 「ハボックっ!!」 「いいっスね」 「よくないっ!取り消せっ!!」 ハボックの胸倉を掴んで叫ぶロイにハボックは笑う。その笑みが一人取り残されることへの恐怖を思い起こさせてロイは思わず口走っていた。 「お前にもしものことがあったら私も死ぬぞっ」 ロイの言葉にハボックは目を見張って、それから苦笑して言う。 「それも禁止。自分で自分を傷つけるようなことしたらダメっス」 「ハボックっっ!!」 悲鳴のような声にハボックはロイを抱きしめた。ギュッと力をこめるとその耳元に囁く。 「大丈夫、オレは死んだりしませんから。言ったでしょう、勝って帰るって」 「本当に?」 背中に回した手でロイはハボックのシャツをギュッと握り締めた。 「ええ、きっと」 答えて抱きしめ返してくれるその胸に顔を埋めて、ロイは唇を噛み締めたのだった。 夜が明けてカイはカーテンを開けると窓の外を見る。空は赤黒い霧に覆われ、村を何か得体の知れないものが覆い尽くそうとしているように見えた。手早く着替えを済ませるとカイは階下に下りてキッチンへと入る。まだミリアが起きてきていない事に気づくと眉を顰めた。 「ミリア…」 父娘の二人暮らし、以前はカイが言わずともミリアの方から積極的に家事をしていたし、店の手伝いもしていた。だが最近はまともに家にいたためしがない。カイは2階を見上げてそっとため息をつく。ミリアが家を空ける様になったのはハボックがロイを連れてくるようになってからだということは、流石のカイも気がついていた。ミリアがおそらく、ハボックに対して単なる幼馴染であると言う以上の感情を持っているであろうことも。ハボックもミリアのことは大切に思っているだろう。幼い時から側にいた、数少ない友人として。しかし、ミリアにはハボックの胸に開いた穴を埋めることは出来なかった。ハボックの胸に開いた深い孤独という穴を。ハボックは自分の持つその穴を埋めることは決して出来ないとずっと諦めていた。諦めて全てを、それがどんなに理不尽なものでも受け入れてきた。それは彼のこれからの一生、決して変わることはないのだろうとカイですら思っていたのだ。だが。 ハボックは出逢ってしまった。彼の持つ孤独と言う穴を埋めるたった一人の人に。ようやく出会うことのできたその喜びにハボックの意識は全てロイへと向かってしまった。周りのものなど何も目に入らぬほど。ミリアがそんなハボックを目にしてどう思うかなどまるで考える余裕もない程。 「可哀相だが、こればかりはどうにもならん」 早くその事に気づいて欲しいと、カイがそうぽつりと呟いた時、ぎしりと音がしてカイは階段へと目を向けた。そこに立つ娘の姿にカイは無理矢理に笑みを作ると声をかける。 「おはよう、ミリア。よく眠れたか?」 だが、ミリアはそれには答えずカイをじっと見つめると言った。 「なにがどうにもならないって言うの?」 そう聞かれて言葉に詰まるカイにミリアは囁くように言う。 「ジャンのこと?どうしてどうにもならないなんて言うの?ロイがいるから?」 「ミリア。お前だってもう判っているんだろう?あの二人は愛し合ってる。お前がジャンを好いていることは判っているがだがこればかりはどうしようもない」 そう言うカイの言葉にミリアの唇の端がゆっくりと持ち上がる。その顔に浮んだ笑みは酷く邪悪でカイは思わず一歩さがった。 「どうしようもない?そんなことないわ。ロイを殺せばいいのよ」 「ミリアっ?!何を言い出すんだ、お前はっ!」 「父さん、二人の居場所、知ってるんでしょう?教えて」 自分を見つめる紅い瞳にカイは息を飲む。そしてゆっくりと首を振った。 「教えなさいっ!!」 ミリアの中から膨れ上がった何かがカイの体を吹き飛ばし、カイは壁に叩きつけられた。 「ぐはっっ!!」 叩きつけられた衝撃で霞む目を見開いてカイはミリアを見る。その体を覆うどす黒い何かにカイは信じられない思いで目を見開いた。 「ミリア…まさかお前が…」 「教えないと殺すわよ」 ゆっくりとカイに近づくとミリアは右手を伸ばす。カイの首を片手で掴むとそのまま上へと持ち上げた。 「教えなさい、早く」 娘の力とは思えない怪力に、カイは力なくもがくしかない。足がつかない高さまで持ち上げられて、首を掴む指が喉に食い込んだ。 「死にたいのっ?早く言うのよっ!」 「知らん…っ」 「言いなさいっ!!」 「し、らんもんは…言え、ん…」 カイの顔色が赤黒く染まり、目の焦点が合わなくなる。唇の端から泡が零れるのを見たとき、ミリアの紅い瞳が僅かに揺らいだ。その途端、喉を締め付ける力がなくなり、カイの体は床へと落ちる。 「ガハ…ッ、グホッ…ハアッハアッ…」 床に蹲って大量に肺に流れ込んできた空気にむせ返るカイは、足音が遠ざかりやがて家の外へと出て行くのを、遠くなる意識の向こうでぼんやりと聞いていたのだった。 |
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