アフ・チュイ・カック  第二十一章


 暫く何も言わずに互いの体を抱きしめていた二人だったが、ようやく腕を解くと互いの顔を見つめ合う。ロイはハボックの瞳をまっすぐに見て言った。
「今度こそ聞くだろう?」
 挑戦的にも聞こえる物言いにハボックは苦笑するとロイに言う。
「大丈夫っスか?」
「お前がいるから」
 はっきりと言う黒い瞳にハボックは頬を染めるとロイの手を取った。
「知っていることを教えてください、ロイ」
 そう言えばロイは呆れたため息をつく。
「相変わらず命令しないんだな、お前は」
「嫌なんです。契約でアンタの心まで縛るような気がして」
 そう言うハボックにロイは僅かに目を見張った。それから目を伏せると、ゆっくりと話し出した。
「もう何百年も昔のことだ。この村に一人の男がやってきた。長い旅に随分と疲れた様子のその男を村人達は心よく迎え入れ、眠る場所と食べ物を与えてやった。男は感謝してこの村に腰を落ち着け、村の為に働くと言った。だが、その男はただの人間ではなかったんだ」
「人間ではなかった?」
「そう。その男の中には闇が巣食っていた。名前はア・プチ。とてつもない力を持つ死神で、人間の苦しみや恐怖を好物にしているんだ。その男が来てから村人が奇怪な死を遂げるようになった。ちょうどベンじいさんたちが殺されたように、その体を引きちぎられて。一人、また一人と殺されていくうち、村全体が恐怖に包まれていった」
「その男が怪しいとは誰も思わなかったんスか?」
 ハボックがさも不思議そうに聞けばロイが答える。
「ア・プチは人間に同化するのが得意なんだ。それでもようやくアイツがア・プチの存在に気がついたときには、もう10人以上の村人が殺されていた」
 ロイの話の中のアイツというのがロイがかつて契約を結んでいた人間のことだと気づいて、ハボックは僅かに顔を歪めた。
「アイツは古い書物を紐解いてア・プチを封じ込める手段を見つけた。私に命じれば自分は傷つかずにア・プチを封じることだって可能だったかもしれないのにそうはしなかった。それどころか決戦の日、アイツは命じて私を遠ざけた。私が村に戻ってきた時には全てが終わっていたんだ」
 俯けた顔を歪めて話を続けるロイをハボックは抱きしめる。ロイはハボックの胸に頬を寄せると囁くような声で続けた。
「アイツが命を懸けて封じ込めたア・プチを私は森の奥深くの祠に封じた。そうして洞窟に戻り、結界を張って長い眠りについた」
 ロイはそこまで言うとハボックを見上げる。
「封印はア・プチが内側から解けるものではない。誰かが解いたと考えるのが妥当だろう」
「誰が…一体なんの目的で?」
「判らない」
 ハボックは抱きしめたロイの髪を優しく撫でていたが、口を開くと言った。
「ロイ。その祠にオレを案内してくれませんか?」
「祠に?」
「ええ、何か判るかもしれない」
 ロイは一瞬迷った風だったがハボックの言葉に頷く。
「判った」
 ハボックの腕から抜け出すと歩き出そうとするロイにハボックが手を伸ばした。ロイの手を指を重ねるようにして握るハボックにロイの頬が紅く染まる。
「おい」
「いいでしょ?」
 強請るように言われてロイはパクパクと口を動かしたがふいとそっぽを向いた。首まで紅くなって、それでも手を振り解かないでいてくれる事にハボックは嬉しそうに笑う。二人は結界を張った入口を抜けると、更に山の奥深くへと進んでいった。獣道を歩いていく二人は時おり下生えに足を取られそうになりながらも、繋いだ手が自然と互いの体を支えていた。もうどれ程歩いたか、いい加減時間の感覚がなくなりそうになった頃、ロイが前方を指差した。
「あそこだ。あの大木の根元に祠がある」
ロイは大木の根元まで来るとその幹に触れる。
「あの頃はもっと若い木だった。生命力に溢れて力強く天に伸びて。だから祠を守るように頼んだんだ」
 ロイはそう言うと労わるように幹を撫でた。それからその木が抱き込むようにしている祠へとハボックを手招く。二人が中を覗き込めばそこには二つに割れた宝玉が転がっていた。ロイは手を伸ばすとその宝玉を手に取る。
「誰かが割ったんだ」
「もう一度この宝玉にア・プチを封じ込めることが出来る?」
 ハボックがそう聞けばロイは首を振った。
「ムリだ。割れてしまってはどうにもならない」
「それじゃあ…っ」
 封じる手立てがないのかと焦るハボックを制してロイは祠の中を探る。中から1冊の本を見つけ出すとハボックに手渡した。
「アイツがア・プチを封じ込める方法を探し出した本だ。それを読めば何か判るかもしれない」
「ロイは何か聞いてないんスか、その…以前ア・プチを封じたという人から封印のことについて」
「アイツは私には一切教えようとしなかった。だから私も知らないということではお前と変わらない」
「そんな悠長に読んでる暇なんてないのに…」
 そうこうしている内にも村人達が殺されていくかもしれない。唇を噛み締めるハボックにロイが言った。
「お前が方法を探している間、私が村に行ってこれ以上誰かが殺されたりしないよう見張って――」
「ダメです」
 ロイの言葉を遮るようにピシリとハボックが言う。
「何故?村人達が心配なんだろう?だったら私が――」
「絶対にダメ。アンタがア・プチに手を出すことはオレが絶対に赦さない」
 はっきりとそう言い切ったハボックにロイは一瞬唖然として、それから顔を真っ赤にして怒り出した。
「お前、今まではそんな言い方しなかったくせに汚いぞっ!」
「なんと言われてもダメなものはダメです」
「どうしてっ?お前がア・プチと戦うと言うなら私だって――」
「ダメです」
 どうしても首を縦に振らないハボックにロイが怒鳴る。
「お前、さっきは契約で私の心を縛るような真似はしたくないようなことを言ったくせに!」
「アンタを危ない目にあわせるのは絶対にごめんですっ!」
 ハボックの言葉にロイは口を噤むとハボックを見つめた。苦しげに顔を歪めると搾り出すようにハボックに言う。
「お前も私をおいていくつもりか?私を置いて自分だけで何もかも終わりにしようとするのか?」
「ロイ…」
「何も出来ないまま一人で取り残されるのは嫌だ。頼むから…置いていくな…っ」
 はらはらと涙を流すロイに腕を伸ばすとハボックはその細い体を抱きしめた。そのさらさらと流れる黒髪に顔を埋めると囁く。
「置いていったりしません。約束します」
「ハボック…」
「ア・プチに向かう時には必ずアンタも一緒に連れて行きます」
「ホントに?ホントに、ハボ?」
 縋るように見つめる黒い瞳にハボックは頷いた。
「そして必ずア・プチを倒して帰るんだ」
 そう言い切るハボックにロイは目を見開く。
「だって約束したでしょ?全てが終わったらアンタをオレのものにするって。もう忘れちまったんスか?それともそんなのは嫌になった?」
 意地悪くそう聞くハボックの胸に顔を埋めるとロイは答えた。
「そんなわけ、ないだろうっ」
ハボックはロイの頬を流れる涙を拭って言う。
「ねぇ、ロイ。ここから先、村に戻る時もア・プチと戦う時もずっと一緒っスから。何があってもこの手を離さないから」
 そう言うハボックの空色の瞳にロイは何度も頷いた。
「きっとだぞ」
「はい、きっと」
 ぎゅうとしがみ付いてくる細い体を抱きしめて、ハボックはロイに深く深く口付けた。


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