アフ・チュイ・カック  第十九章


 家の外から聞こえた犬の声に、苛々と部屋の中を歩き回っていたカイはハッとして顔を上げる。同じように顔を上げた子供と目を交わすと、慌てて家の外へと飛び出していった。
「ユーリ!」
 ヘンリーが手を広げて走り出ると茶色い犬はウォンと吠えてその腕に飛び込んでくる。ハッハッと舌を出して見つめる賢そうな瞳にヘンリーは犬をギュッと抱きしめた。
「ありがと、ユーリ。ジャン達を逃がしてくれて」
 そう言って抱きしめた犬の首の辺りでかさりと紙の擦れる音がして、子供は顔を上げる。首輪に結び付けられた紙片を見つけると、それを取ってカイに突き出した。
「カイおじさん、これっ!」
 差し出された紙をカイは受け取ると慌ててそれを開く。
「ジャンから?なんて書いてあるの?」
 必死に覗き込もうとする子供が見えるように、カイは紙を持っていた手を下げた。
「なに、これ。本のページ?」
 犬の首輪に結び付けられていた紙は本のページを破ったもので、それには深い森とほら穴の絵が描いてあった。
「どういう意味?おじさん、古代文字読めるの?」
 絵以外は全て古代文字で書かれたその紙にヘンリーは心配そうにカイに聞く。カイは笑うと安心させるように子供の髪をくしゃりと混ぜた。
「古代文字は読めんがな、ジャンが言いたいことは判るぞ」
「ほんと?」
「ああ、ジャンとロイはたぶん森の中の洞窟にいるんだよ」
 そう答えるカイにヘンリーは不満そうな顔をする。
「それだけ?それじゃジャンたちがどこいるかわかんないじゃん」
「ユーリがいるだろ」
 カイはそう言うと足元にきちんと座って待っている犬の頭を撫ぜた。
「ユーリが案内してくれる。そうだろ、ユーリ」
 カイの言葉に子供は顔を輝かせると言う。
「そっか!じゃあ行こう!ユーリ、案内して――」
「まあ、待て」
 今にも走り出そうとするヘンリーを引き止めてカイが言った。
「慌てて逃げ出したんだ。たぶん、何も持っちゃいないだろう。せめて何か少し腹に入れるものと毛布の1つでも持っていってやったほうがいい」
 家に戻って、と言いだすカイにヘンリーはぶんぶんと首を振った。
「家はダメだよ、ミリアがいるもん。うちにあるのでもいいでしょう?」
「そりゃいいが、かあさんに叱られんか?」
「平気だよっ!何を持っていけばいいの?」
 そう言ってカイの手を引く子供についてキッチンに入ると、カイは役に立ちそうなものを選んで袋に詰めていった。

「カイおじさん、早くっ!」
「そう急かすな、こっちは荷物持ってんだぞ」
 犬の後を追ってカイのずっと先を走るヘンリーが叫ぶ。カイは肩に背負った食料品やブランケットを詰めた袋を揺すりあげると足を速めた。
「この近くに洞窟なんてあったか…?」
 村に生まれてこの山のことは知り尽くしていると思っていたが、この先に洞窟があったなどと言う記憶はない。首を捻りながらそれでも犬が案内するのについて山道を登っていけば、犬が尻尾を振りながらカイが追いつくのを待っていた。
「ユーリ、ここなの?何もないけど」
 心配そうにきょろきょろと辺りを見回す子供の頭に手を置くと、カイは犬に話しかける。
「おい、ユーリ。ホントにここで間違いないのか?」
 鬱蒼と茂る森は薄暗く視界は悪かったが、それでも洞窟の入口があればわかる程度のものだ。カイがヘンリーと一緒に辺りを見回していると、犬が繁みに向かって数回吠えた。返事を待つように暫く待つと、また数回吠える。驚いて犬を見下ろす二人の目の前で、ゆらりと森が揺れると洞窟の入口が現れた。
「カイおじさん。ヘンリー」
 そうしてその入口からハボックが姿を現すと、子供は泣きそうに顔を歪めてハボックに飛びついた。
「ジャン…っっ!!」
「ヘンリー」
「よかった…っ、し、心配したんだからねっ、ボク…!」
 そう言ってしがみ付く小さな体をハボックはしっかりと抱きしめて微笑む。
「ごめん、でも、この通り大丈夫だから」
 ハボックはそう言って子供の頬を流れる涙を拭ってやった。そうして子供の後ろに立っているカイを見上げると言う。
「おじさん、来てくれてありがとう。おじさんならきっと判ってくれると思った」
「小さい時よくやったな、宝探し。お前が宝のありかを描いた地図を作ってそれを頼りに俺が見つけた」
 懐かしそうにそう言うカイにハボックはにっこりと笑った。立ち上がると子供の手を引いてカイとユーリに言う。
「こっちへ。ロイも待ってる」
 そう言うハボックの後についてカイ達が洞窟の中へと入っていけば、その背後で入口が掻き消えた。
「わ…、どうなってるの、あれ?」
 不思議そうに目を見開く子供にハボックが答える。
「ロイが結界を張ってるんだ。ここはね、ロイがずっと眠っていた場所。オレが初めてロイと会ったところだよ」
 そう言って歩くハボックの前をぱあっと火の粉を散らして何かが飛んだ。
「なにっ?」
 怯えてしがみ付いてくるヘンリーの手をギュッと握るとハボックが言う。
「あれはサキコショル。火の精霊だよ。大丈夫、悪さをしなければ何もしない」
 ハボックはそう言いながら片手を差し出した。ハボック達の周りを飛び回っていたそれが、ハボックの差し出した腕にふわりと舞い降りる。翼を生やした小さな蜥蜴のような姿を、子供は興味津々で覗き込んだ。
「火の精霊…すごい。これ、ロイが出したの?触ってもいい?」
「うん、ロイが呼んだんだ。触るのに関してはコイツの機嫌次第だからなんとも…」
「機嫌悪かったらどうなるの?」
「ん…燃やされる、かな」
 ハボックの言葉に子供はギョッとして身を引く。平気な顔で腕にそれをとまらせているハボックを見上げてヘンリーが聞いた。
「ジャンは?ジャンは燃やされないの?」
「よくわかんないけど気に入られてるらしいよ、オレ」
 苦笑するハボックの腕で、炎の蜥蜴はカハッと小さな火を吐く。わっと飛び上がる子供を金色の目でバカにしたように見るとふわりと飛び立っていってしまった。3人と1匹は微かに光を放つ苔のおかげでぼんやりと照らし出される洞窟の内部を歩いていく。暫くして泉の湧き出る少し開けた場所にたどり着くと、そこには小さな火が燃えていてその側に見慣れた細い姿が腰を下ろしていた。
「ロイ」
 ハボックの声に振り向いたロイの顔はちらちらと揺れる焔に照らされて表情が読めない。カイがかける言葉を捜していると、ヘンリーがハボックの手を離してロイに飛びついていった。
「ロイっ!」
「…おい」
「怪我しなかった?ロイ、すぐ怒るから村の人たちとケンカになってないか心配したんだ」
「お前な、私をなんだと思ってるんだ」
 子供の言葉にムッとするロイにくすくすと笑うハボックをロイがジロリと睨む。そんな二人を見ながらカイが言った。
「とにかく、二人が無事でホッとしたよ」
 カイはそう言って燃える火のそばに来ると腰を下ろす。それを見たハボックとヘンリーが同じように腰を下ろすのを待ってカイは口を開いた。
「ここはお前さんが眠っていた場所なんだって、ロイ?」
「そうだ」
「こんなところがあるなんて、全く知らなかったよ」
 そう言ってカイは洞窟の中を見渡す。小さな焔で照らし出されたそこは不思議な気配に満ちていて、今ならロイが精霊の王だと言うこともすんなり頷ける気がした。
「それで、カイおじさん。村で何が起こったんです?あんな風に村の人たちが襲ってきたのには理由があるでしょう?」
 傷ついた瞳で、それでもまっすぐに見つめてそう問うハボックに、カイは胸が痛くなる。カイは一度目を瞑るとゆっくりと開いてハボックの顔を見ると言った。
「ダンとジャックたちが殺された。皆殺しだ。この間のベンじいさんと同じ方法でな」
 カイの言葉に目を見開くハボック達にカイは自分がハボックの家を出てからのことを全て語って聞かせたのだった。


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