アフ・チュイ・カック  第十八章


 ゼイゼイと荒い息を吐きながらハボックとロイは山道を駆け上がっていく。後ろを振り返れば黒々とした煙が空に昇っていくのが見えた。
「とりあえず追って来ないみたいっスね…」
 ハボックは息を整えながらそう言う。頷くロイの顔を見て、自分がロイの手をしっかり握っていた事に気がつくと慌てて手を離した。
「とにかくひとまず落ち着ける場所を探さないと」
 ハボックが考えるように呟くとロイがハボックを追い越して言う。
「洞窟に行こう」
「え?」
「私が眠っていた洞窟だ。あそこなら結界が張ってあるから人間には見つからない」
 ロイの提案にほんの少し迷って、だが、そこ以外にいける場所も思いつかずに頷いた。急ぎ足で山を登り1ヵ月と少し前に初めて出会った洞窟の入口へとたどり着くと、ロイがなにやら小さな声で呟く。すると、木々に隠されていた入口が現れて、二人は中へと入っていった。その時、ハボックはようやく自分の後ろから犬がついてきている事に気がついた。
「ユーリ、一緒に来てたのか」
 ハボックはユーリの体を抱きしめると、ありがとう、と囁く。それからロイに向かって言った。
「ロイ、カイおじさんを洞窟に呼んじゃダメですか?」
「カイを?」
「ええ、今一体どういう事になってるのか知りたいし」
「どういう事って、要は馬鹿な村の連中がお前を殺そうとしているって事だろう。もう、あんなヤツら、放っておけ」
「ロイ」
 咎めるように名を呼ぶハボックにロイはブスッと黙り込む。だが、暫くして勝手にしろ、と呟いた。
「ありがとうございます」
 ハボックはそう言うと、肩にかけていた袋の中から本を取り出す。その中の1ページを破くと細く畳んでユーリの首輪に結んだ。
「カイおじさんならきっと判ってくれる筈です」
 ハボックはそう言うとユーリを抱きしめて言う。
「ユーリ。この紙をカイおじさんに届けてくれるかい?そして、カイおじさんをこっそりここに連れてきて欲しいんだ」
 ユーリは賢い目でハボックをみるとウオンと吠えた。そうして村に向かって山道を駆けていく。
「ハボック」
 ユーリを見送っていたハボックがロイに呼ばれて洞窟の中に入ると、入口は掻き消えそこにはただ木々が茂る森だけがあった。

「なに、あれ」
 窓から外を見やったミリアは青い空に昇る黒い煙を見て目を瞠った。あの方向にあるのはハボックの家だ。そう思った途端、部屋を飛び出し階段を下ると外へと飛び出していく。転びそうになりながらたどり着いた先で、ゴウゴウと燃える家を見たミリアはブルブルと震えだした。
「誰が…っ!誰がこんなことをっ!」
 そう呻くように言って、次の瞬間ハッとする。
「ジャンはっ?ジャンはどこっ?!」
 そう叫んで燃え盛る家の中に飛び込もうとするミリアの腕を誰かが掴んだ。邪魔されたことで物凄い形相で振り向いたミリアの腕を掴んでいたのはカイだった。
「とうさん!ジャンはっ?!中にいるのっ?!」
「いや、逃げたようだ」
 カイの言葉にホッとして、だがミリアは険しい顔のままカイに聞く。
「誰が火をつけたの?これは一体――」
 その時、聞こえた声にミリアはハッとして家の周りを取り囲む村人達を見た。
「逃げ足の速いやつめ!」
「探し出して殺すんだっ!」
「いや、闇雲に探してもこっちがやられる。ちゃんと相談してからの方がいい」
 口々に叫ぶ村人達を黙ったまま見ていたミリアはゆっくりと振り向くとカイを見る。
「どういうこと?」
 そう聞かれてカイは苦痛に満ちた表情で答えた。
「ダンたちが殺された。それをジャンのせいだと決め付けて…ジャンを殺せと…」
 それを聞いたミリアの体が膨れ上がったような気がして、カイは目を擦る。
「ミリア?ジャンのことなら――」
 カイが言おうとした時、その腕を小さな手が引いた。そちらに気を取られている隙に、ミリアは足早にその場を立ち去ってしまう。その背に声をかけようとしたカイをヘンリーが引きとめた。
「どうした、ヘンリー」
「ダメ。ミリアには何も言わないで」
 小さな声でそう言うヘンリーをカイは驚いて見つめる。
「どうして?ミリアだってジャンを心配してるんだぞ」
「ダメだよ、絶対言っちゃダメだ!」
「ヘンリー?」
 青い顔で必死にそう言うヘンリーの前にしゃがむとカイは子供の顔を覗き込んだ。尋ねるようなカイの視線に、ヘンリーは唇を震わせて答える。
「怖い…よくわかんないけど、ミリア、すっごく怖い」
「怖い?おいおい、ミリアは俺の娘だぞ。お前だってよく知ってるだろう?」
「でも、怖いんだ。ミリアだけどミリアじゃない」
 カイはヘンリーの言うことを笑い飛ばそうとして、だが、子供が本当に震えている事に気づいて口を噤んだ。少しの間子供を見つめて、それからため息をついて言う。
「判った。お前がそう言うならミリアには何も言わん。ユーリをやってジャンたちを逃がしたことも何もな。たぶんジャンならユーリを使って連絡してくるだろうことも。それでいいか?」
「うん」
 カイの言葉に子供はホッとしたように頷く。落ち着かせるようにギュッと抱きしめるとカイは言った。
「ユーリはお前の家に帰ってくるんだろう?とりあえず家に行くか。母さんはどうしてる?」
「今日は朝から畑に行ってる。夕方まで帰ってこないよ」
「そうか」
 カイは立ち上がると子供の手を引いて歩き出す。肩越しに振り向いて、もうすっかり焼け落ちてしまったハボックの家とその周りを取り巻く悪鬼のような村人達の影に、カイは唇を噛み締めたのだった。

「ねえ、そこにいるんでしょう?答えなさいよ」
 家に戻ったミリアは2階の部屋の中央に立つとそう言う。ミリアの声に答えるように部屋の中に低い笑い声が響いた。
「どうした、機嫌が悪いな。いや、お前の機嫌が悪いのはいつものことか」
 嘲るような声にミリアの眉間に皺が刻まれる。
「人間の悲鳴は心地よいな。死ぬ間際の恐怖に満ちた魂の匂いは堪らん」
 楽しそうにそう言う声にミリアは言った。
「もっと一度にたくさんの人間を殺せる力をちょうだい」
「一度にたくさんの?少しずつじわじわ殺していくのも楽しいじゃないか。目に見えぬ恐怖に震え上がって逃げ惑う人間の悲鳴はウマイぞ」
「ぐずぐずしてる暇はないのよ!アイツら、放っておいたらジャンを傷つけるわ!」
 そう叫ぶミリアにア・プチはくすくすと笑う。
「まとめて殺すのか?男を守る為に?」
「そうよ」
 ミリアの言葉にア・プチの笑い声が大きくなった。
「哀れな。そこまでしてやって、今お前の愛する男はどこにいるのだ?お前以外の誰かと手に手をとって逃げているのではないのか?」
 その途端、ミリアの中から噴出したものが窓ガラスを粉々に砕く。
「おお怖い。まったくお前の悋気も凄まじいな」
 楽しげな声にミリアは顔を怒りに歪めた。
「力をくれるの、くれないの?さっさと答えなさい」
「…ではまた少し貰おうか」
「私の魂のかけら?そんなものでよければいくらでも取ればいいわ。いっそ全部持っていく?」
「私はお前と違って『一度にたくさん』は好きじゃないんでね」
 楽しみは長いほうがいい、そう楽しそうに呟く声と共にミリアは自分の中身がすうっと薄まるのを感じる。その代わりに自分の中にどす黒い力が満ちていくのを感じ取ってミリアはうっとりと笑った。


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