アフ・チュイ・カック  第十七章


 ハボックの家を出たカイはとりあえずベンじいさんの家がある方へと歩いていく。惨事があったその場所へと近づいて行くうち、辺りが騒然としてきてカイは思わず足を速めた。真っ青な顔をしてよたよたと走ってくる男を捕まえて、カイは怒鳴るように聞く。
「おい、トーマス!どうした、なにかあったのかっ?!」
 トーマスと呼ばれた男は飛び出そうなほど見開いた目でカイを見つめた。何か言おうとして何度も唾を飲み込み、そうしてやっとのことで声を搾り出す。
「ダンたちが…っ」
「ダン?ダンたちがどうしたっ?!」
「こっ、ころされた…っっ!!」
 トーマスの言葉にカイは目を見開く。呆然とするカイの手からトーマスは抜け出すとよろよろと走り出した。
「殺される…っ…この村にいたらみんな殺されるんだぁっっ!!」
 トーマスはそう叫ぶとまろびながら走っていく。カイは暫くその背を呆然と見つめていたが、ハッと我に返るとトーマスがやってきた方向へと走っていったのだった。

 口々に叫ぶ村人達が遠巻きに見守るその中心にカイは入っていく。ダンの家の裏手に回ったカイはその惨状に息を飲んだ。ごくりと唾を飲み込み、それでも血まみれの元は人だったであろうそれに近づいていく。恐る恐る触れてみてまだほんのりと温かいことを確認すると背後の村人に言った。
「村長と先生を呼んで来い。殺されたのはダンとアンナか?他にもいるのか?」
 そう聞けば、中の一人が震える指を指す。
「ジャックたちが…」
 その言葉にカイはすぐ隣りの家に駆け込んだ。勢いよく開けた扉の中からムワッと噴き出る血の匂いに顔を顰めて中を覗いたカイは、そのまま数歩後ずさった。そうして、扉に手をつくと、こみ上げて来た吐き気に耐えかねて腹の中のものを戻してしまう。
「なんてことだ…」
 ハボックには好きにやれと言ったカイだったが、もはやそんな段階ではないのではないかという考えが浮んできた。その時、ざわざわとざわめく村人達の中で誰かが大声を上げる。
「ジャンだ、アイツだっ!アイツが殺したんだ!!」
 その声に皆がぎくりとして体を強張らせた。カイもギョッとして、だがすぐに声を張り上げる。
「またお前はそんな下らんことを言い出すのかっ!!いい加減にしろっ!!」
「だが、ダンもジャックもあの時ジャンに石をぶつけたんだ。その仕返しに殺したとしたら…っ」
「ダンの体はまだ温かかった。殺されて間もないということだろうっ?ジャンは俺がここに来る前まで一緒にいたんだぞ。物理的に不可能だし、そもそもジャンにはそんなことをする理由も力もない!」
 カイの言葉に一瞬黙った男は、だが恐怖に怯えた声で言った。
「アンタは昔からジャンの肩を持っていたろう。そんなヤツの言うことが信じられるか…っ!おい、みんな、ジャンを殺すんだ。このままじゃ俺達もダンやジャックのように殺されるぞっっ!!」
 その声に一人二人と村人が頷く。
「殺せ!」
「やられる前にやるんだっ!!」
「ジャンを殺せっ!!」
「「「
殺せっ!!!」」」
「ばかな…っ!やめろっ、やめるんだっ!!」
 だが、殺気だった村人達の耳にカイの声など届く筈もなく。
「よせっ!!」
 手に武器を取った村人達は一斉に村はずれのハボックの家めがけて走り出したのだった。

「そんな…」
 呆然と立ち尽くしたカイは、次の瞬間我に返ると村人達の後を追って走り出した。だが、途中で道を曲がると一軒の家目指して全速力で走る。たどり着いた家の扉を乱暴に叩くとギィと音がして子供が顔を出した。
「カイおじさん?どうしたの?怖い顔して」
「ジャンに伝えてくれっ!!逃げろと言うんだっ!!村の連中が…っっ!!」
 息を切らしてそう怒鳴るカイにヘンリーは大きく目を見開く。身を翻して家の裏手に行くと犬小屋に飛び込んだ。
「ユーリ!!ジャンの家に行くんだっ!!」
 そう叫んだヘンリーはポケットからハンカチを取り出す。昨日遊んだまま犬小屋の近くに転がしておいたチョークを取ると大きく「にげて」と書いた。
「ユーリ!!」
 それを犬の鼻先に突きつければ、犬はそれを咥えて走り出す。瞬く間に見えなくなってしまった姿を追うようにして、カイとヘンリーもまたハボックの家へと駆け出していた。

 ハボックの出してくれたスープを、だが手をつけずに俯いたまま座っているロイにハボックは言った。
「オレ、精霊のことは詳しく知らないっスけど、でもやっぱりずっと食べないのはよくないでしょう?少しでも食べて、ね?」
 だが、ロイはふるふると首を振るばかりで手をつけようとしない。困り果てたハボックが何か言おうとした時、外から犬の吠え声がした。
「なんだろう?」
 立ち上がって扉を開けたハボックの足元をすり抜けるようにして一匹の犬が駆け込んでくる。
「ユーリ?!」
 ビックリして声を上げたハボックの周りを、犬が興奮したように駆け回っているのに、ロイも立ち上がると近づいてきた。
「知ってる犬なのか?」
「ええ、ヘンリーんとこのユーリっスよ」
 ハボックは宥めるようにユーリを抱きしめる。その口に何か咥えている事に気づくとそれを取り上げた。
「なんだ?」
 覗き込むロイの前でユーリの咥えていたものを広げると、それは子供のハンカチで、その中央にはチョークで大きな文字が書いてあった。
「『にげて』」
 その文字を読んでハボックがロイを見る。
「どういうこと…。魔物が来るとでも?」
 何から逃げろと言うのか、ハボックとロイがその意味を測りかねていると遠くから地響きのようなものが聞こえてきた。
「?!」
 驚いて窓から覗いたハボックの目に村人達が手に手に武器をもって走ってくるのが飛び込んでくる。ハボックは息を飲むと慌てて扉に飛びつき、中から袋を取り出して机の上の本を放り込んだ。
「ロイっ、こっちへ!」
 そうしてロイの手を掴むと裏口から外へと飛び出す。
「殺せっ!!ジャンを殺すんだっ!!」
「早く殺さないとこっちが殺されるぞっ!!」
 口々に叫ぶ村人達の声に追い立てられるようにして逃げ出そうとする二人に武器を手にした一人が気がついた。
「あそこだっ!!逃げるぞっ!!」
 ドッと向かってくる悪鬼のような顔にロイの手を握るハボックの手に力がこもる。
「ハボック!」
自分を見上げるロイに向かってハボックが言った。
「ロイ、家を燃やしてください!」
「えっ?」
「早く!追っ手をまかないと!」
 切羽詰ったハボックの声にロイは頷くと小さく何かを唱える。すると、ロイの手の平から綺麗な焔の龍が空に向かって駆け上り、くるりと宙を描いてハボックの家の屋根へと飛び込んだ。龍が飛び込んだところから焔が揺らめき瞬く間に家を焔が飲み込んでいく。突然燃え上がった焔に慄く村人達を後に、ハボックとロイは山へと逃げ込んでいった。

「カイおじさん!ジャンの家が燃えてるっ!!」
 子供に言われるまでもなく、ゴウゴウと燃え上がるそれにカイは目を見開く。手近にいた男を捕まえると尋ねた。
「お前達が火をつけたのかっ?!」
「違う、突然燃え出したんだ!」
「ちきしょう、どこへ行ったんだ!!」
 口々に叫びたてる村人達からカイはヘンリーの手を引いて離れる。
「ジャンは逃げられたのかな?」
「たぶんな」
「どこ行ったんだろう」
「判らん…」
 とりあえずハボック達が難を逃れた事にホッと胸を撫で下ろしながらも、その行く先を案じる二人だった。


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