| 2.蒼い灯り |
| 「待たせたな、ハボック」 「いえ、そんなことないっス」 オレは車にもたれていた背を離し、声のした方に顔を向ける。そうすれば大佐が長いコートの裾を風に翻して玄関のステップを降りてくるところだった。 (ああ、カッコいい……) そんななんでもない姿にすらオレの心臓はドキドキと高鳴ってしまう。オレが車に乗り込もうとする大佐の為に扉を開ければ、大佐は車に体を滑り込ませながらオレをチラリと見上げた。 「ありがとう、ハボック」 その視線と笑顔に高鳴っていた心臓がドキンと大きく跳ねる。顔が紅くなるのをどうすることも出来ないまま、オレはもごもごと『いえ』とかなんとか答えながら扉を閉めた。 オレは上司であるロイ・マスタング大佐の事がずっと好きだった。元々オレにはそっちの気はなかったし、これまで好きになったのはみんな可愛い女の子だった。だけど大佐の元に配属になって初めて大佐に会った瞬間、あの強烈な光を放つ黒曜石の瞳にまるで射抜かれたように身動きがとれなくなってしまった。それが恋に落ちた瞬間だったのだと気づいたのはもう少し後になってからだったが、その時にはオレはもう大佐から目を離せなくなっていた。姿形は勿論だけどその生き様がカッコよくて、貫く信条が潔くてオレはどんどん大佐に惹かれていった。気がつけばいつも大佐の事を目で追っていて、大佐の為なら何でもしようと思った。オレは男で、恋愛の対象になんてならないのは判りきっていたからせめて大佐の部下として役に立ちたくて、それまで以上に訓練に励んで大佐の期待に応えられるよう努力した。大佐がオレを信じて任務を任せてくれて、それを成し遂げた時『よくやった』と褒めてくれるそれだけで、オレはとても嬉しくてとても幸せだった。大佐が上を目指す為にオレは自分の命を懸けるつもりで、それだけで十分だと思ってた。でも。 大佐の言葉の端々に他の奴に対するのとは違うものが込められているように思えるようになったのはいつ頃からだったろう。さりげなく触れてくるその手に何か意味があるのではと思うようになったのは。最初は気のせいだと思ってたけど一度そう思ってしまうと大佐の言葉や仕草が酷く気になるようになった。何か言われる度、大佐が微笑む度、オレは期待してドキドキしてしまう。そんな筈ないと必死に心の中に沸き上がるものを押さえ込もうとするオレの耳に大佐の言葉が香る吐息と共に吹き込まれれば、オレの心は抑えようとする理性とは裏腹に期待にうち震えてどうすることも出来なくなっていった。 もしかして大佐もオレの事を好きでいてくれるんじゃないか。もしかしたら次に二人になった時、好きって言われるんじゃないか。そんな気持ちがどんどん膨らんでどうしようもなくなった時。 いきなり大佐の態度が素っ気なくなった。今までは一番にオレにかけていてくれた挨拶の言葉がかからなくなって、触れてくる手もなくなってしまった。飲み会の席でも大佐の隣に座るのはオレじゃなくなってしまった。任務は変わらず任せてくれたけど、かけてくれる言葉も笑顔もずっと少なくなってしまった。もしかしたらこのまま側にもいられなくなるんじゃないかって、不安になればなるほど大佐の事が気になって大佐への気持ちがどんどん膨らんでいって。 『大…さぁ…ッ』 オレは毎晩ベッドの中で大佐を想って自分を慰めた。もしかして大佐を満足させることが出来たら側に置いて貰えるかもなんてバカな事を考えて、あんなにモテる大佐がそういう意味での道具としてのオレを必要とする筈ないと判っていながら、オレは想像の中で必死に大佐に尽くした。切り捨てられるかもしれないという不安が大佐への気持ちに拍車をかけて、大佐が好きで好きで堪らなくて。 「まっすぐ家でいいんスか?」 「ああ」 オレは運転席に座りゆっくりとアクセルを踏み込みながら大佐に尋ねる。短く答えるその声にすらドキドキしながらオレは内心ホッとしていた。 (よかった、デートじゃないんだ) 大佐には数え切れないほどのガールフレンドがいる。それも極上の女性ばかり。特別な誰かがいるんじゃないことは判ってたけど、それでも胸が痛む事には変わりない。少なくとも今日はそんな胸の痛みを抱えながら自分を慰めなくて済む事に安堵して、オレは丁寧に車を走らせた。間もなくして車は大佐の家へと到着する。運転席を降りて後ろに回り大佐の為に扉を開ければ大佐がゆっくりと外に出てきた。 「ハボック」 そう呼ぶ声にドキンとする。今夜もきっとこの声を思い浮かべて自分を慰めてしまうのだとほんの少し後ろめたさを感じた時。 「車を裏に回して中に入れ」 「え?」 突然の言葉にオレはポカンとして大佐を見た。大佐はそんなオレに薄く笑みを浮かべたと思うとさっさと家の中に入ってしまう。オレは理由を聞く事も断る事も出来ないまま仕方なしに車を裏の駐車スペースに入れた。 「なんの用事だろう……」 大佐の家に入ったのは今まで数えるほどしかない。大抵は山のような資料や本を運び込むのが目的で、それが済めば早々に引き上げていた。こんな風に目的も判らず中に入るのは初めてで、オレは不安になりながら家の中へと入った。 「大佐?」 この家で知っているのは書斎とリビングだけだ。先に入ってしまった大佐がどこにいるのか判らなかったので、オレはとりあえずリビングに向かう事にした。 「失礼します」 そう言って押し開いた扉の中は青みがかった照明に照らされていた。まるで水の中を歩いているような感覚に部屋の中を見回せば、それが部屋の片隅に置かれた水槽を照らす灯りから漏れ出る光なのだと気づいて妙に納得してしまう。その時オレを呼ぶ大佐の声が聞こえて、そちらに目をやれば大佐がソファーに座っていた。 「なんだか水の中にいるみたいっスね」 オレはそう言いながら大佐に近づく。言葉にすれば益々そんな気になって、オレの足取りは水の中を歩くみたいにゆっくりとなった。 「水の中を歩いているみたいな歩き方だぞ」 大佐もそれに気づいたのかクスリと笑いながらそう言う。その笑顔にドキンと跳ねる心臓を必死に宥めながらオレは尋ねた。 「あの……なんの用事っスか?ああ、もしかして水槽の掃除とか?」 水槽から漏れ出る蒼い灯りに目をやってオレは言う。わざわざ家の中に呼ばれた理由がどうしても判らなくて首を傾げるオレに、大佐は笑みを深めて言った。 「ここに座れ、ハボック」 「……はい」 自分の隣を示してそう言う大佐の言葉のままにオレは大佐の隣に腰を下ろす。大きなソファーは一人分間を開けて座ってもまだ十分に余裕があった。 「なんスか?」 座れと言ったきりなにも言わない大佐に、オレは段々と居心地が悪くなってくる。じっと見つめてくる大佐を見返すことも出来ず、水槽の灯りを見つめていればなんだか息苦しいような気分になってきた。 「あの……大佐…?」 頬に突き刺さるような視線を感じる。もしかしたら大佐の気に障る事をしてしまったのかと不安になり始めた頃。 「ハボック」 不意に大佐の声がすぐ側で聞こえた。ハッとして振り向くより先にオレの体が傾いで、まるで水の中のようにゆっくりとソファーに倒れ込んでいた。驚いて見上げる先にあるのは大佐の顔。その顔が笑みに崩れると同時に大佐が言った。 「愛してる、ハボック……」 「……え?」 なにを言われたのか判らないまま唇が柔らかいものに塞がれる。大佐にキスされているのだと気づいたのは、大佐の舌が歯列を割って口内に入り込んできてからだった。 「っ?!んんッッ!!」 びっくりして大佐の体を押し返そうとする。だが上から圧し掛かる大佐の体はビクともしなくて、入り込んだ大佐の舌がオレの口内を勝手気ままに弄(まさぐ)るのに任せるしかなかった。 「ふ……ぅん……ッ」 深く合わさった唇の中で大佐の唾液がオレのそれと混ざりあう。甘いそれがまるで媚薬のようにオレの体を蕩けさせて、唇が離れる頃にはオレの体からはすっかり力が抜けていた。 「たいさ……」 「可愛いよ、ハボック……」 大佐はそう言ってオレの軍服に手をかける。あっと言う間に上着が剥ぎ取られ、大佐の手がシャツの中に入り込んできた。 「あっ」 ひんやりと冷たい手のひらにオレの体が竦み上がる。ぼんやりと霞がかかっていた意識がはっきりとして、オレは慌てて身を捩って大佐の下から抜け出そうとした。 「やだ、大佐っ」 「やだ?そんな事はないだろう?ハボック」 大佐がそう言ってオレを見つめる。 「私の事が好きでしょうがない、そうだろう?」 「あ…」 そんな風にズバリと言われれば否定することも出来ない。なにより顔が真っ赤になって、それだけで大佐の言葉を肯定しているようなものだった。 「私の事を思い浮かべてここを慰めてたんじゃないのか?」 「ひゃっ?!」 ボトムの上からやんわりと股間を握られてオレはビクンと震える。そんな事まで言い当てられてオレはもうどうしたらいいか判らなかった。 「ご…ごめんなさい……ッ」 真っ赤になった顔を腕で隠して身を縮める。男のオレが大佐を思い浮かべて慰めていると知って、きっと大佐は怒っているに違いない。明日になったら別の部署への異動を言い渡されるのだろうと、もう大佐の側にいられないと思ったら辛くて悲しくて涙が零れるのを止められなかった。 「ハボック」 大佐がオレを呼びながら顔を隠すオレの腕に手をかける。腕を外させようとする大佐と外すまいとするオレは、暫くの間もみ合っていたがやがて大佐が焦れたように言った。 「顔を見せるんだ、ハボック」 「嫌っス」 気持ちを知られて浅ましい行為を知られて、恥ずかしくて顔なんて見せられる筈がない。腕で顔を覆ったままふるふると首を振れば上から大佐の声が降ってきた。 「少尉」 「ッッ」 ほんの少し厳しい声にそう呼ばれれば逆らえる筈もない。オレはおずおずと腕を下ろして涙に濡れた顔を大佐に晒した。 「ハボック」 大佐の手が頬を濡らす涙を拭う。とても大佐の顔が見られなくてギュッと目を閉じていると、クスクスと笑う大佐の気配がした。 「ハボック、目を開けて」 囁くように大佐がオレに言う。優しい声に導かれるように目を開ければ大佐が笑みを浮かべてオレを見下ろしていた。 「私のものになれ、ハボック」 「……なん、で…?」 大佐が何故そんな事を言うのか判らない。消えそうな声でそう尋ねるオレに大佐が苦笑した。 「聞いていなかったのか?愛していると言っただろう?」 そう言われればそんな気もする。でも、そんなの信じられない。もしかしたらと期待した時もあったけど、最近の大佐はオレと距離をおこうとしてたじゃないか。だからオレは切り捨てられてしまうのかと不安で不安で堪らなくて。 「そんなところがお前の可愛いところだ」 半ば訴えるように告げるオレの言葉に大佐がクククと笑う。大佐はオレの頬を優しく撫でながら言った。 「私が好きだろう?ハボック。この中に私への想いを溜め込んで辛くて堪らないんじゃないのか?」 そう言って大佐はオレの心臓の辺りをトンと指で突く。そうされればようやっと表面張力で零れずにいた想いが、サアッと溢れて落ちた。 「好き……ッ、好きっス、大佐……ッ」 絶対に言えないと思っていた言葉が唇から零れて部屋を満たす蒼い灯りにキラリと光る。大佐は満足そうな笑みを浮かべてオレの髪をかき上げた。 「なら異存はあるまい。お前は私のものだ」 大佐はそう言ってオレの額にキスを落とす。キスを落とした唇が瞼に頬に鼻筋に降って、最後に唇を塞いだ。 「ん……ッ」 さっきよりもっと荒々しい口づけにオレはたちまち何も判らなくなる。 「たいさぁ…ッ」 蒼く揺蕩う光の中、気がついたときには服を全て剥ぎ取られ、オレはただ大佐のなすがままにこの身を任せるしかなかった。 2011/01/07 |
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