1.熟れた果実


「おっと」
「すっ、すんません」
 渡そうとした書類を落としかけてハボックが慌てて手を伸ばす。同じように伸ばした手で書類ではなくハボックの手を掴めば、ハボックがビクリと身を強張らせた。
「あ」
 そうすれば当然のように書類はハボックの手をすり抜けバサバサと床に落ちる。私は床に散らばる書類を見て眉を跳ね上げた。
「すんませんっ、大佐!」
 書類を拾う為に慌ててしゃがもうとするハボックの手を私はキュッと握る。ハッとして私を見るハボックから手を離して私はにっこりと笑った。
「すまんな、ハボック。受け取るタイミングが悪かった」
「い、いえ……っ」
 ハボックは顔を赤らめて私から目を逸らすと腰を落として散らばった書類に手を伸ばす。一枚一枚落ちた書類を集めるハボックの存外に長い睫を見下ろして、私は笑みを深めた。
 部下であるハボックが私に上司に対する敬愛以上の好意を抱いていることに、私は随分と前から気づいていた。何故なら私自身、ハボックに単なる部下に対するものとは違う気持ちを抱いていたからだ。ハボックの崇拝に近い純粋で綺麗な気持ちに対して、私のハボックへのそれはもっとどろどろと粘つく感情だった。ハボックの全てを手に入れたくて支配したくて、拒まれることなど絶対に赦せなかった。ハボックはずっと女性にしか興味がなかったから例え私に敬愛以上の好意を抱いていたとしても、そのままでは単なる憧れですまされてしまう可能性が高く、実際ハボックはその瞳に私への恋情を滲ませながらもそれ以上その気持ちを育てる様子もましてやその気持ちを私に打ち明ける気配もなかった。だから私はハボックの私に対する気持ちにせっせと肥料を与えることにした。普段の会話に彼が思わず期待してしまうような言葉を織り交ぜ、さりげなく彼に触れた。飲み会の席では彼の隣に座り、内緒話をするように彼の形のよい耳に言葉を吹き込んだ。大好きな花を育てるように毎日毎日彼の好意に水をやり肥料を与え続けた結果、今ではその花はすっかりと育ちきり熟れた果実をつけて重そうに撓(たわ)む程になっていた。早くもぎ取ってくれと甘い香りを漂わせ、以前とは違う熱を持って見つめてくるハボックに、だが私はすぐには手を伸ばさなかった。それどころか逆にこれまで与えていた肥料をやるのすらやめてしまった。そうすればたちまち乾ききった果実はその身を守ろうとするようにせっせと自分で栄養をため込もうとする。私に対する恋情という栄養を身の内にため込んだハボックは今ではもう触れればポトリと地面に落ちてしまいそうなほど熟れきってしまっていた。
「すんません、大佐」
 ハボックは何度目になるか判らない謝罪の言葉を口にしながら私に書類を差し出す。私が笑みを浮かべてそれを受け取ればハボックは顔を赤らめて目を逸らした。
「ありがとう、ハボック」
「いえ、落としたのはオレだし……っ」
 笑みを深めて礼を口にすると面白いようにハボックの顔の赤みが増す。内心それを楽しみながら私はハボックに言った。
「六時に司令部を出る。車の用意をしておいてくれ」
「は、はいっ」
 ハボックは私の言葉に弾かれたように視線を戻し敬礼する。ぎくしゃくと執務室を出ていくハボックの紅く染まった項を見送って、私はにんまりと笑った。
 大事に育てた果実を今夜摘み取ることにしよう。それはどれほど甘く私の喉を潤してくれるのだろうか。数時間後に迫ったその時を思い浮かべて、私はうっとりと目を閉じた。


2011/01/05


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