真・偏愛  第三章


 資料室で資料を探していたハボックは背後からかかった声に伸ばした手を止めた。突然息が出来なくなったようで、ハボックは軍服の襟元を握り締める。
「何の用っスか?」
 必死に絞りだした言葉にロイが笑う気配がした。
「つれないな、ハボック。心配してやってるのに」
「よくもそんなことを…っ」
 言えるものだとハボックは勢いよく振り返ると空色の瞳を怒りにたぎらせてロイを睨む。
「中尉に心配かけたらいかんだろう…?」
 そう言って襟元を握り締めるハボックの指に伸びてきたロイの手から逃れてハボックは書架にガツンと背をぶつけた。
「オレに触るなっ!」
 真っ青な顔で叫ぶハボックにロイはくすくすと笑う。
「いつまでそんな風に言えるのかな」
 楽しそうに言うとハボックに背を向けて資料室を出ていくロイを見送ってハボックはよろよろと後退った。深いため息をついて足下を見たハボックは自分の煙草のパッケージが落ちているのに気が付く。震える指を伸ばしてそれを拾い上げるとぎゅっと握り締めたのだった。

「中尉」
 執務室で決済済みの書類を選り分けていたホークアイはロイの言葉に顔を上げる。
「はい、大佐」
「気がついていると思うがちょっとハボックを怒らせてしまってね、謝ったんだがどうにも許してくれないんだ」
 ホークアイは鳶色の瞳に心配そうな光を宿してロイを見つめた。
「私で何かお役に立てることがありますでしょうか?」
 ホークアイの言葉にロイは微かに首を振る。
「それで、ほとぼりが覚めるまでハボックを出張に出そうと思うんだが」
 ロイはそう言ってホークアイを見つめた。
「その間君にしわ寄せが行ってしまうが構わないかな?」
 余計な仕事を増やす事になるが、と言うロイにホークアイは答える。
「そんなことは全然構いませんけど…」
 それで大丈夫なのかと瞳で聞いてくるホークアイにロイはうっすらと笑った。
「アイツだっていい大人なんだから頭を冷やせば大丈夫さ」
「そうですね…」
「心配をかけてすまないな」
 そう言うロイにホークアイは慌てて首を振る。だが、さっき見たハボックの横顔の冷たさを思い起こすにつれ、本当に大丈夫なのかと不安が募るホークアイだった。

「大佐、車の準備が出来てます」
 ハボックの声にロイは書類を書く手を止めずに答える。
「すぐに行くから車で待っていてくれ」
「判りました」
 答えて執務室を出ていこうとするハボックにロイの声が飛んだ。
「ハボック」
「…はい」
 肩越しに振り向くハボックにロイは書類を書きながら言う。
「お前には暫く出張に行って貰おうと思っている」
 詳しい事は後で、と言われてハボックは今度こそ執務室を出た。扉を閉めて軽く息を吐くと歩きだそうとしたハボックにホークアイの声がかかった。
「少尉」
 振り向けばホークアイの心配そうな瞳と目があった。
「出張の話は聞いた?」
「はい、詳しい事はまだっスけど」
「そう…」
 一礼して司令室を出ていこうとするハボックにホークアイが言う。
「何があったのか知らないけれど…っ」
 自分の声に振り向くハボックの瞳の冷たさに挫けそうになりながら必死に言葉を紡ぐ。
「大佐を許してあげて」
 だがハボックはホークアイの言葉に微かに目を見開いただけで何も言わずに出ていってしまったのだった。

 ハボックは司令部の玄関先に止めた車のドアに寄り掛かると目を閉じる。ホークアイの言葉が脳裏に蘇ってハボックは自嘲気味に笑った。
「何も知らなければ何とでも言えるよな…」
 そう呟いて空を見上げる。空は相変わらず青いのに、とハボックは思った。あの日以来ハボックの世界は一変してしまった。何も疑うことなくついてきた男による裏切りはハボックを深く傷つけた。信じて立っていた足下が突然崩れ去ってしまって、ハボックは何を信じたら良いのか判らず不安に押し潰されそうになる。それでも必死に立っているのは最後に残ったなけなしのプライド故だった。ハボックが煙草を取り出して火を点けた時、ロイが司令部の建物から出てきた。
「待たせたな」
 そう言って階段を下りてきたロイの為に車のドアを開けてやってロイを乗せると、ハボックは運転席に滑り込んだ。そうしてアクセルを踏み込むとロイに聞く。
「まっすぐ自宅でいいんスか?」
「ああ」
 ロイは頷いてハボックのくゆらす煙草の香りを嗅ぐと、うっすらと笑った。

(なんか、変だ…)
 司令部を出て暫くして、ハボックは自分の体調の変化に気が付いた。視野が狭まり呼吸が忙しなくなっていく。それでも必死にハンドルを握っていたが、ついに路肩に乗り上げるようにしてブレーキをかけた。
「はあっ…は…っ」
 ハンドルに突っ伏して苦しげな呼吸を繰り返すハボックに背後から低い声がかかる。
「どうした、ハボック、大丈夫か?」
 ロイの声に答えようにも目が回って意識をはっきり保つことすら難しい。バタンとドアが閉まる音がしたかと思うと、ハボック側のドアが開いて冷たい空気が入ってきた。その冷たさに一瞬はっきりした視界にロイの黒い瞳が入ってきたのを最後にハボックは意識を失った。


→ 第四章