しょぼいカオすんなよベイベ  前編


 セントラルに出張に来たロイは、早めについたおかげで偶然空いた午後の時間をのんびりお茶でも飲んで過ごそうかと街を歩いていた。そんなロイの耳に穏やかならぬ声が飛び込んでくる。
「泥棒っ!!誰か、ソイツ、捕まえてくれっっ!!」
 声のした方を見れば尻餅を付いた男が叫び声をあげながら指差す先に、こちらに向かって走ってくる人相の悪い男が目にはいった。
「まったく、人がゆっくり過ごそうと思っているのに、台無しじゃないか…」
 ロイはそうぼそりと呟くとポケットから発火布の手袋を出して手にはめた。走る男に狙いを定めて焔を繰り出そうとした、その時。
 スッと目の前に入ってきた金色の影が男に向かって腕を伸ばす。男が手にしたナイフを肘で軽く跳ね上げると、男の襟首を掴み、ダンッという音と共にあっという間に相手を地面に沈めてしまった。地面に叩き伏せた相手の腕を後ろ手にねじ上げると、側に落ちた包みを拾う。
「人の物に手を出しちゃダメって教わらなかったのか?」
 咥え煙草のままそれだけのことをやってのけたTシャツにジーパン姿のその男はそう言うと、駆け寄ってきた憲兵に泥棒を引き渡した。そうして、未だ尻餅を付いたままの男のところに歩み寄ると手を貸して立たせてやり、取り返した包みを渡してやる。
「ありがとうっ!!アンタ、命の恩人だよっ!」
「別に命は助けてないけどな」
「いや、これがなかったら首括らなきゃならなかったんだ。だから命の恩人だよ。是非お礼を…」
「いいって、たいしたことしてないし。それより、気をつけなよ」
 金髪の男はそう言って手を振るとロイの方に向かって歩いてくる。じっと見つめていたロイに空色の瞳を細めて笑うと声をかけた。
「こんな人通りの多いところで焔なんて出したら、危ないっスよ、マスタング大佐」
 思ってもみないことを言われてロイの瞳が見開かれる。驚いてまじまじと見つめるロイの視線を無視して、男は時計を覗くと「やべっ、時間っ」と叫んだ。そうしてロイが口を開く前にあっという間にロイの目の前から走り去ってしまったのだった。

「よお、ロイ。久しぶりのセントラルはどうよ」
「相変わらず物騒な街だな」
「ああっ?人聞き悪いこというなよ。最近は結構 治安いいのよ、これでも」
 執務室の扉を開けて入ってきたロイにそう言ったヒューズは不満そうに眉を顰めた。
「何?なんかあった?」
「いや、たいしたことじゃないんだが…」
 ロイはそう言いながらソファーに腰を下ろす。
「ヒューズ、お前知らないか。多分ここの軍人だと思うんだが、短い金髪で、背の高い男なんだ」
「金髪で背が高いなんて軍人だったらそう珍しくないな。他に特徴ないのか?」
「綺麗な空色の瞳をしていた。咥え煙草のまんま泥棒のして、平然としてるようなヤツ」
「へ?咥え煙草?それって…」
 ヒューズが言葉を続けようとした時、おざなりなノックと共に執務室の扉が開いた。
「すんませんっ、中佐っ!遅れましたっ!」
 そう言って飛び込んできた金髪の男を見た途端、ロイはがたんと立ち上がって声を上げた。
「あっ!おまえっ!!」
「え?あ、マスタング大佐」
 さっきはどうも〜、とへらりと笑う男を指差して、ロイはヒューズに言った。
「コイツ!コイツのことだっ!」
 珍しく興奮して言うロイにひらひらと手を振ってヒューズは苦笑した。
「咥え煙草っつうから多分そうだと思ったよ」
 ヒューズは首を傾げる金髪の男の肩を叩くとロイに言った。
「コイツはジャン・ハボック少尉。俺の部下で先日ようやく口説き落とした俺のハニーだ」
「ちょっと、中佐。変な紹介しないで下さいよ」
 思い切り嫌そうな顔をするハボックにヒューズはてれっと笑って見せた。
「だってホントのことだろ」
 そう言って腰に回してきたヒューズの腕を思い切りつねり上げると、ハボックはロイに向かって言った。
「ジャン・ハボック少尉っス。お噂は予々窺ってます。大佐がこちらにおいでの間、送迎やれって言われてるんスけど」
 すんません、遅刻しちゃって、と言ってふわりと笑う空色の瞳に、ロイは見入ってしまった。ぼうっとして何も言わないロイにハボックは首を傾げる。それから遠慮がちに「あの…」と声をかけた。
「あっ?ああ、ロイ・マスタングだ。その、宜しく頼むよ」
 慌てそう言うと、ロイはハボックに手を差し出す。ハボックはホッとしたように笑うと、その手を握り返した。ほんのりと温かいその手を不意に放したくない衝動に駆られて、ロイはぐいと握った手を引くとハボックを引き寄せた。
「えっ?あ、あのっ!」
 驚くハボックの顔に顔を寄せると、ロイは囁いた。
「お前、私のところに来ないか?」
「は?」
 ロイがなおも言い募ろうとした時、突然ハボックとロイの間にヒューズがぐいと割って入った。
「待て待てっっ!!ロイ、お前、なにさり気なく口説いてんだよ!」
「うるさいな、優秀な人材は私も欲しい」
「ダメッ、ハボックはダメだかんなっ!口説くんじゃねぇよっ!」
「何でだ?ソイツはお前の持ち物じゃないだろう?」
「さっき俺が言ったこと聞いてなかったのかよ。俺のハニーだって言ったろ?」
 ヒューズは背後にハボックを庇うとロイを睨みつける。
「口説いたばかりと言っていたな」
 ロイはニヤリと笑うと言った。
「なら殆んど立場は変わらんな」
 不穏な空気を撒き散らすロイにヒューズは慌てて怒鳴った。
「変わらんって、なんだ、変わらんって。思い切り違うだろ!」
 ぎゃあぎゃあと言い合う上司2人にハボックはため息をつく。
「何でもいいけど、仕事しなくていいのかな…」
 ハボックはそう呟くとウンザリした顔で2人を見やり、そっと執務室を抜け出していってしまった。

「こんな所にいたのか」
 そう言う声に、屋上の柵にもたれかかって煙草をふかしていたハボックは振り返った。
「マスタング大佐」
 ハボックの隣りに並んで柵にもたれかかるとロイは頭1つ高いハボックを見上げる。
「ヒューズが探してたぞ」
 ロイがそう言うとハボックは困ったように笑いながら言った。
「あの人、最近、ちょっとハイだから」
 そうしてまたぷかりと煙を吐き出すハボックを見つめてロイが尋ねる。
「ヒューズと付き合ってるのか?」
「付き合ってるっていうか…」
 ハボックは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「好きだって言われました。それからキスされて…」
「で、お前はどう思ってるんだ?」
「別にイヤじゃなかったし、中佐のことは嫌いじゃないし、それならいいかなって」
 なんとも頼りないハボックの答えにロイは苦笑した。
「ヒューズが聞いたらがっくりしそうな答えだな」
 ロイにそう言われて、ハボックはむっとしたような顔をする。
「だって、よく判んないっスよ。好きって言われたって。オレ、男だし」
「じゃあ、私がお前を好きだと言ったら?」
 そんなことを言うロイをハボックはまじまじと見つめた。
「からかわんで下さいよ」
「本気だと言ったら?」
 そう言って見つめてくるロイにハボックは思い切り顔を顰めて言った。
「信じられないっスね。アンタ、すげぇ女ッタラシだって中佐が言ってたっスよ」
「ヒューズのヤツ…」
 眉を顰めるロイにハボックは軽く笑うと煙草を咥えたまま空を見上げる。
「中佐も、そのうち前言撤回したくなるんじゃないっスかね」
 そう言うハボックをロイは不思議そうに見た。
「だって、中佐って意外とモテるんスよ?」
 別にオレじゃなくたってねぇ、と言うハボックをロイはじっと見つめた。それから小さな声で言う。
「そうでもないさ」
 その言葉にロイを見下ろしてくる空色の瞳を見つめてロイは続けた。
「少なくとも私はお前を気に入っている。口説きたいくらいにな」
 ロイの言葉にハボックはポカンとして、次の瞬間盛大に赤くなった。そんなハボックを可愛いと思ってしまったロイはハボックの襟首をぐいと掴むと引き寄せて囁く。
「私が東方に戻る時、連れて帰るからな」
 そう言ってロイはハボックに軽く口付けるとニヤリと笑い、屋上を出て行った。後に取り残されたハボックはただ呆然として、ロイが出ていった扉を見つめるのだった。

「どこ行ってたんだ、ハボック」
 司令室に戻ったハボックにヒューズが声をかける。ハボックは「ちょっと…」と言葉を濁らせて答えると、席に座った。煙草を取り出して火をつけようとして、なかなかつかないそれに苛々としていると、ヒューズが呆れたように声をかける。
「おい、逆だぞ、それ」
「えっ?」
 そう言われて咥えた煙草を手に取れば、フィルターの方に火をつけようとしていた事に気がついた。
「くそ…」
 ハボックは灰皿に煙草を押し付けると新しいものを出して火をつける。スパスパとすごい勢いで煙を吐き出すハボックをじっと見つめてヒューズは言った。
「ロイになんか言われたのか?」
 ヒューズの言葉にハボックはげほげほと咳き込んでしまう。そんなハボックにヒューズはちっと舌打ちすると、ハボックの顎を掴んだ。
「言っとくがな、ロイが何と言おうとも俺はお前を手放す気はないからな」
 そう言うとヒューズはハボックに深く口付けて来る。ハボックはヒューズの体を押し返しながら顔をそらすと必死に言い募った。
「ちゅ…さっ!ここ、しれい、しつっ!」
「誰もいないだろ」
 そう囁いてヒューズはハボックを抱きしめるともう一度口付ける。ハボックはどうしてよいか判らず、ただヒューズの軍服の襟元にしがみ付いていた。たっぷりとハボックの口内を味わったヒューズはゆっくりと唇を離すと、ハボックに囁く。
「なぁ、まだその気にならないか?」
「…え?」
「セックス」
 そう言われてハボックはおろおろと視線を彷徨わせる。ヒューズはそんなハボックに小さくため息をつくと言った。
「ったく、うかうかしてたらロイに掻っ攫われそうだからな。ここは早めに既成事実を作っとかんと」
「えっ?!」
 驚いてヒューズの顔を見つめるハボックにヒューズは言った。
「今夜お前のアパートに行くからな」
「えっ、でっでもっ!」
「でも、じゃねぇよ。お前、俺の気持ちわかってんだろうな」
 そう言ってじっと見つめてくる常磐色の瞳を見返せなくて、ハボックは俯いてしまう。ヒューズはそんなハボックを抱き寄せるとその耳元に囁いた。
「もう、待たないぜ、俺は」
 耳の中に吹き込まれる囁きにハボックはぴくんと震えると唇を噛み締めた。

 ロイは軽い夕食を済ませるとホテルへの道をのんびりと歩いていた。初めて会ったときからひどく心惹かれた空色の瞳に想いを馳せ、本気で東方へ連れて帰ることを考える。口説きたいと言われて真っ赤になった顔を思い出してロイは小さく笑った。ヒューズとは付き合い始めたばかりで、ハボック自身まだどうしていいか判らない、中途半端な気持ちのようだ。今ならまだまだ自分の方を向かせることだって可能なはず。ロイは親友には悪いと思ったが、恋に関しては別問題と自信満々に微笑んだ。

 ホテルの近くまでやってきて、ロイはふと気が変わって川辺の方へと足を向ける。特にあてもなくぶらぶらと歩くロイの目に金色の光が飛び込んできた。
(あれは…)
 ふと心に浮んだ姿にロイはその光の方へと近づいていく。川端の繁みの中に隠れるように蹲るその姿にロイは思わず目を瞠った。
「やっぱりお前か」
 そう言ったロイの言葉にハボックがハッと顔を上げる。なんとも頼りなげなその表情にロイの心臓がどくりと鳴った。
「たいさ…」
「何してるんだ、こんな所で」
 ロイは心の動揺など感じさせない声でハボックに尋ねる。ハボックは困ったように抱えた膝を引き寄せると、その上に顎を乗せた。
「ちょっと…」
 口ごもるハボックの手に触れるとひんやりとした感触が伝わってくる。
「冷え切ってるじゃないか。風邪引くぞ」
「…風邪引いて熱出して、なんも考えないでいられるようになりたいっス」
 ぽつりとそう言うハボックにロイは目を瞠った。だが、次の瞬間優しい口調でハボックに訊いた。
「ヒューズと何かあったのか?」
 ロイが言った名前に動揺したように体を震わせるハボックをロイはじっと見つめる。それから小さくため息をつくと、ロイはハボックの腕を引いた。
「こんな所にいても仕方ないだろう。私のホテルに行こう」
「そんな…悪いっスから」
「構わん。こんな所にお前を置いて帰ったら却って気になって仕方がない」
 そう言うとロイは、行くぞ、とハボックの腕を引く。ハボックは仕方なしに立ち上がるとロイに引かれるままに歩き出した。ぼんやりと考え事をしているようなハボックは、いつの間にかロイと手を繋いで歩いていることにも気がついていないようだ。ロイはそんなハボックにくすりと笑うと、足早にホテルへと向かった。


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