psy  第四章


 気がついたときにはベッドの上でロイの腕に抱かれていた。ハボックはゆっくりと視線を廻らせたが幽霊の姿はどこにもなかった。
(帰ったんだ…)
 ハボックはそう思ってホッと息をつくとともに恥ずかしさのあまり消え入りそうな気分になる。
(オレのえっちは見世物じゃないっての。でも…)
 幽霊に見られて余計に快感を煽られたのも事実で、ハボックはきゅっと唇を噛み締めるとロイの肩に顔を寄せた。突然髪を梳かれてハボックが目を上げるとロイの黒い瞳がハボックを見つめていた。
「どうした?今日は様子がへんだな」
 言われてハボックは目を閉じるとロイに聞く。
「ね、たいさ…たいさは幽霊とかって信じます?」
「幽霊?私は科学者だからな。残念だがそういったものに興味はないよ」
 はっきりと信じないとは言わないものの、ロイの言葉にハボックはほんの少し悲しくなった。ハボックがロイの為にしていることをロイに知ってほしいとは思わないし、これは自分にしか出来ないことなのだからこれからもやっていくだけだと思ってはいるが、それでも幽霊を否定されることで自分の一部も否定されたような気がする。ハボックは顔をロイの胸に押し付けるとぎゅっと唇を噛み締めた。するとその時、ロイの手がハボックの頬に触れてそっと撫でていった。
「何を泣いてる?」
 言われてハボックはハッとしてロイの顔を見る。涙など零していないのにと見上げたロイの瞳が優しく自分を見つめていて、ハボックは胸が詰まった。
「泣くな」
 そう言って抱きしめられてハボックの瞳からぽろりと涙が零れる。その胸に抱きしめられてハボックは心が暖かくなるのと同時に、何があってもこの人を護りたいと思うのだった。

 司令室の扉を開けた途端、ブワッと吹き付けてきた負の気配にハボックはぐるりと視線をめぐらせた。
(あ。あんなとこにいる)
 ハボックは窓際によると煙草に火をつけて、幽霊を見上げる。ぶつぶつとなにやら呟いていたソレは、ハボックの視線に気づいてハボックの方を見ると目を見開いた。
『お前、俺が見えるのか?』
 微かに頷くとハボックは会議中で主のいない執務室へと入っていく。ソレが付いてきているのを感じながら扉を締めると、幽霊を見上げて小声で言った。
「ここはアンタのいるとこじゃない。出て行ってくれないか?」
『断る。お前に指図されるいわれはない。俺はマスタングに仕返しするまではどこにも行かん』
「…大佐に何の恨みがあるんだよ?」
『アイツのおかげで俺はフラレたんだっ!アイツを祟ってやるまでは眠れんっ!!』
(やっぱり…)
 幽霊の様子からそうじゃないかとは思っていたが、幽霊の口からはっきり聞いてハボックは額に指を当ててため息を付いた。
(ほんっと、大佐の周りって恋愛がらみの怨みつらみを持ってくる幽霊、多いよな)
 リアルだけでなく霊体の世界でまでロイの恋愛の尻拭いをしている自分ってどうよ、とハボックは悲しくなった。
「大佐がアンタから彼女を奪ったわけ?」
『他に好きな人が出来たと言われたんだっ!俺は一生懸命尽くしてきたのにっ!!』
「…それってアンタと彼女の問題で大佐、関係ないじゃん」
 勝手に好きになられたところまでいくらロイでも面倒見切れないだろう。だが、幽霊は目を吊り上げると怒鳴った。
『アイツがいなければこんなことにはならなかったんだっ!!』
 叫んだ途端ブワッとハボックに向かって澱んで昏い空気が吹き寄せてくる。ハボックはため息をつくと幽霊に言った。
「そんな事言ってないで、気持ち落ち着けて早くあっちの世界に行かないと悪霊になっちゃうぜ?」
『うるさいっ!お前に関係ないだろうっ!!』
 ぎゃあぎゃあと喚きたてる幽霊にハボックはもう一度ため息をつくと襟元から鎖に繋がった貴石を取り出す。貴石を持った手をぎゅっと握り締めて幽霊に向けて掲げるとそっと手を開いた。その途端、きらきらと瑠璃色の光が零れだす。その光がふわりと浮いて幽霊に向かって飛んでいったと思うとぱあんと広がって幽霊を包み込んだ。
『なんだっ、これはっ?!』
 光は急速に縮まって幽霊を飲み込んでしまう。最後に小さな輝きになったと思うとキンと微かな音を立てて空へと消えていった。
「…おやすみ」
 ハボックはそう囁くと咥えていた煙草を灰皿に押し付け、執務室を出て行った。

「それで、何でアンタがここにいるんですか…っ!」
 追い詰められて立てこもったテロリスト達と対峙するハボックはすぐ横にいるロイに向かって言った。ホークアイと2人、口をすっぱくして司令室で待っているように言った筈なのに、いつの間にやらちゃっかり着いてきているロイに、ハボックは思い切り顔を顰める。
(ったくもう、幽霊みたいにふらふらと…っ)
 ハボックがそう思った時、立てこもるテロリスト達から激しい銃弾が降り注いできた。ハボックは配置についた部下達に指示を出すと、傍らのロイに向かって言う。
「いいですか、ここから動かんで下さいよ。いいっスね!」
 きつく言い置いてハボックは飛び出していった。無駄な抵抗を続けるテロリスト達を次々と黙らせていくハボック達だったが、その時感じた嫌な気配にハボックはスッと身を屈める。途端、頭上を過ぎて行った銃弾をかわして反撃しようと銃を構えたハボックの目に映ったのは燃え盛る焔に包まれたテロリストの姿だった。
「たいさっ!」
 得意げに建物の影から現れる黒髪にハボックは怒鳴る。
「アンタねっ、動くなって言ったでしょうがっ!!」
「助かったろ?」
 言われてムッとするとハボックはロイに向かって言った。
「あれくらいどってことないですよ」
 2人が言い合ううちにテロリスト達の抵抗もやみ――実を言えば瞬時に燃やされた仲間の姿に戦意を喪失したと言うのもあるのだが――ハボックは部下達に事後処理を指示すると、ロイの腕を掴んで歩き出した。
「頼んますからちょろちょろ出てくんのやめて下さいよ」
「お前な、上司に向かってその言い方はないだろう」
「アンタ、司令官って言う自分の立場、わかってます?」
 ため息混じりにそう言うハボックにロイはふわりと笑うと掴まれた腕をグイと引いた。思わずよろけたハボックの肩をひくと唇を掠めるキスをする。
「なっ…」
 途端に真っ赤になるハボックにロイはニヤリと笑うと先に立って歩き出した。
「全くもう…っ」
 ぐいと唇を拭って歩き出したハボックだったが、その時背後から押し寄せてきた禍々しい気配にハッとして振り向いた。
「なんだ?!」
 だがその時にはその気配は綺麗に消え去っていて。ハボックは言いようのない不安に駆られて先を行くロイの背中を見つめたのだった。

(なんかヘンだ…)
 ハボックは演習を終えてロッカールームで着替えながらそう思った。ここ2、3日、霊たちの存在が全く感じられない。何をするでないにしろ、常に数体の霊はいるものなのだ。特に軍部という特殊な環境下であれば霊が全くいなくなるなど考えられない。
(どうしよう。一体何が起きてるんだろう)
 今までにない事態にハボックは首から提げた貴石をぎゅっと握り締めた。これをハボックにくれた祖母はやはり「見える」人だったらしい。結婚して子供を生んでその力は消えてしまったそうだが、小さい時のハボックが自分と同じような力を持っていると気づいてハボックにその貴石をくれたのだった。
「肌身離さず持っていなさい。必ずあなたを護ってくれるから」
 祖母はそう言ってハボックの首にペンダントをかけてくれた。唯一の理解者であった祖母はその後間もなく亡くなってしまったが、ハボックは彼女のくれたペンダントを外したことはなかった。貴石を握り締めた手を額に当ててハボックは瞳を閉じる。
(どうかオレに力を…あの人を護る力をください)
 握る手に力を込めて瞳を開くと、ハボックは軍服を身にまとってロッカールームを後にしたのだった。


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