psy  第一章


「ハボック!ハボック!!」
 苛々とロイに呼ばれてハボックは我に返った。慌てて上司の方を見ればその綺麗な面を不機嫌に歪めて睨んでいる。
(やべ…またやっちまった)
 ハボックはばつの悪い思いをしながらも表情には出さずに答えた。
「なんスか?」
 気のない返事にロイの眉間の皺が3割ほど増えたように思えた。せっかくのいい男なのに勿体無いと、その原因を作った本人であることも忘れてハボックはそう思う。
「なんスか、じゃないだろう。お前、人の話を聞く気があるのか?」
「え、そりゃ、内容にも寄りますけど。面倒な話なら聞きたくないなぁとか…」
 そう答えた途端、ロイに頭をはたかれて、ハボックは痛ぇと頭を擦った。
「まったく、お前のようなヤツ、私だから大目に見てやっているが他だったらやってけんぞ」
「感謝してマ〜ス…」
 ハボックは軽い調子で答えたが、実際のところ本当に感謝していた。時と場所をわきまえずぼうっとしてしまうクセ――ハボックに言わせればきちんと理由があるのだが――は、ごく普通の上司であれば文句を言う位では済まされないだろう。心の狭い人間であれば、自分を馬鹿にしているなどと言いかねない。だがロイは多少文句は言いながらもそれもハボックと言う人間の一部なのだと受け止めてくれていた。だからハボックはロイの下で上手くやっていけたし、口には出さなくてもちゃんと感謝もしているのだ。
「で、ホントに何ですか?」
 文句を言っているうちに最初に言おうと思っていたことを忘れてしまっている様子のロイに、ハボックは改めて聞いた。
「ああ、そうだった。お前の所為で忘れてしまったじゃないか」
 そう言うロイにハボックは苦笑する。ロイはそんなハボックを見ながら言った。
「今夜なんだが、リベーラ画伯のパーティに行く事になったから」
「はあ?アンタ、それ行きたくないから断ったって言ってたじゃないっスか」
「総務の方から言ってきたんだよ。寄付がどうのと脅して来たらしい」
「アンタ、あの画伯にエラく気に入られてますもんね」
 とハボックが言えば、ロイは思い切り顔を歪めた。
「あんなジジイに好かれて何が嬉しいんだっ!!」
「ご愁傷さまです」
 拳を握り締めて叫ぶロイにハボックが言えば、ロイはハボックを見て言った。
「お前も行くんだからな」
「えっ?!あそこに行く時はいつも中尉と行ってたじゃないっスか」
「中尉は今夜から出張だろう」
「あっ…」
 言われてハボックはそう言えばと思い出した。思い切り嫌そうな顔のハボックに、ロイが嬉しそうに言う。
「一人だけ逃げようなんて甘いんだよ」
「ヤな性格…」
「何か言ったか?」
 ぼそりと呟いた言葉に返事を返されて、ハボックは慌てて別に、と答える。
「7時からだからな、忘れるなよ」
「大佐こそ故意に忘れてトンズラこかないでくださいね」
 そういった途端、ロイの蹴りがハボックの脛に飛んできたのだった。

「オレ、あそこ行きたくないんだよな…」
 ハボックは資料室でファイルを探しながら呟いた。
「あそこんちいっぱいいるんだもん」
 そう言ってため息をつくと手にしたファイルをめくる。
「あ、あった。コレだろ、ほら」
 ハボックはそう言うとファイルを宙に差し出した。だが、ハボックの周りには誰もいない。それでもハボックは差し出したファイルを誰かが読むリズムに合わせるようにページをめくっていった。
「アンタが担当してた事件、ちゃんと決着ついてる。これで安心した?」
 ハボックはそう言ってしばらく宙を見つめていたが、やがてにっこりと笑うとおやすみと囁いてファイルを閉じた。ファイルを棚に戻すとホッと息を吐いて呟く。
「死んでからも自分が係わってた事件を気にするなんて、仕事熱心だなぁ…」
 見習うべきだよね、と言いながらハボックはコキコキと首をまわした。
 実は、ハボックには人には言えない秘密があった。それは普通、人には見えないこの世にあらざるもの、つまり幽霊が見えるということだった。しかもただ見えるというだけではない。その声を聞くことも出来るし、姿も生きている人間と同じくらいハッキリ見える。だから小さい時はそれが死んでいる人間だとは判らなくて、普通に話しかけたりしていた。
「ジャン、誰に向かって話してるんだよ」
 と一緒にいた友達から言われ、
「この人」
 と指差した自分を気味の悪いものを見るような目で見られて初めて、ハボックはそれが自分以外の人には見えていないのだと気がついた。それからハボックは自分の前にいるそれが、生きている人間なのか、そうでないのか、よく見るようになった。最初のうちはなかなか区別がつかなくて奇異の目で見られたりもしたが、そのうち慣れてきちんと見分けられるようになった。だが、相手が幽霊だとしてそれをまったく無視することも出来ず――というのも、やはり幽霊としても数少ない自分たちを見てくれる人間には相手にして欲しいのだ――ハボックの都合を考えずに話しかけてくる幽霊に、つい耳を傾けているうちにぼうっとしていると見られてしまうのだ。
 今もハボックは事故で死んだ軍人の幽霊に、生前係わっていた事件がきちんと解決したのかが気になって眠れないと泣きつかれて資料を調べてやっていたところだった。事件が解決済みだとわかって、その軍人の幽霊は安心して眠りについた。ハボックはこうやって幽霊と話をするうちに知った幽霊の悩みを解決してやったりしているのだ。これまでにもハボックは軍内部、特に司令室界隈にウロウロしている幽霊の除霊まがいのことをしてきた。特にロイの周りにはロイ自身が強烈な魂の持ち主であるせいか霊が集まってきやすかった。大抵は害のないものであったが、極まれにロイに危害を加えかねないものがいる場合もあり、そんな時ハボックは誰にも知られることなく穏便に、時には力ずくでお引取り頂いているのであった。ロイには優秀な副官であるホークアイや親友のヒューズがいるが、このことは彼らには出来ない、自分だけがロイの為に出来ることだとハボックはほんの少し誇りに思ってもいた。勿論、科学者で現実主義者であり幽霊などと言う非科学的なものを全く信じていないロイにこのことを言えるはずもなかったが、たとえロイに知られなくともロイの為に役立っているという自負がハボックにはあり、だからこそ幽霊がらみでは何があっても自分がロイを護るのだと密かに誓ってもいるのだ。
「リベーラ画伯の家、悪いのはいないんだけど数がな…」
 ハボックは資料室を出ながらぼそりと呟いた。美術界の重鎮でもあるリベーラ画伯はイーストシティの高級住宅街の一角に大きな屋敷を構えている。綺麗な男女がことの外好きで、何かにつけてパーティを開いては気にいりの人物を呼んで楽しんでいるのだ。焔の錬金術師で若くして地位もあるロイはその見目のよいこともあり、画伯のお気に入りのトップ3に入っていてしょっちゅうパーティのお誘いがくるのだが、ロイのほうでは画伯を思い切り嫌っている。何やかやと理由をつけて断っているのだがそれでも全部を断りきれるわけもなくハボックも一度だけ護衛として同行したことがあった。その時行った画伯の家が、いわゆるモンスターハウス並みだったのである。悪いのはいない。だが、その数の多さは幽霊が見えるハボックにとっては正直パニック物だった。
「あれはカンベンしてほしい…」
 幽霊たちもハボックが自分たちの存在に気がついていることが判ったのだろう。わさわさと寄り集まられてはっきり言って護衛どころではなかったのだ。それ以来あそこに行く時は理由は明かさずに中尉に同行して貰うようにしていたのだがいないとなれば腹を括るしかない。
「何がカンベンしてほしいんだ?」
「大佐」
 後ろから声を掛けられてハボックは立ち止まる。ロイは追いついてくるとハボックを見上げて言った。
「一人だけトンズラしようなんて赦さんからな」
「その言葉そのままお返ししますよ」
 ため息をついてそう言うハボックの髪に手を伸ばすと、ロイはハボックの頭をグイと引き寄せた。くちゅと唇をあわせるロイにハボックはたちまち顔を紅く染める。
「たいさっ」
「くだらんパーティはさっさと切り上げて家でゆっくりしよう」
 艶っぽく笑うその黒い瞳にハボックは数日前のロイの熱を思い出した。思わずぎゅっと目を閉じるハボックの頬をするりと撫でてロイは先に歩き出してしまう。
「性質
(たち)悪ぃ…」
 ハボックは目元を染めてそう呟くと慌ててロイの後を追ったのだった。


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