my pretty little baby   前編


「で、こいつが今日からお前に世話焼いて欲しいって頼んどいたヤツな」
 ヒューズはそう言うと傍らに立つ子供の頭をくしゃりとかき回した。ハボックはヒューズの隣に立つ子供をまじまじと見つめる。黒い癖のない髪に黒曜石の瞳。大きな黒い瞳にじっと見つめられてハボックは咳払いをした。
「えっと、中佐…」
「何だ?」
「オレは20歳の男の錬金術師って聞いてたんスけど」
 やけに平坦な口調でそう言うハボックにヒューズは事も無げに言った。
「んあ?そりゃ間違いだな」
「そうっスよね」
「20歳じゃなくて10歳だ、10歳」
「はあ…つか、年はまだいいんスけどね、女の子なら中尉に面倒見てもらった方が――」
 と、そこまで言った所でハボックは思い切り子供にむこうずねを蹴られた。
「…っってぇぇっっ」
「私は男だっ」
「へ?」
 すねを押さえながら間抜けな表情を浮かべるハボックを子供は胸と顎を反らせて偉そうに見つめる。
「…男?」
 子供を指差してハボックがヒューズに訪ねれば、ヒューズが「そ」と返した。
「こんなに可愛いのに?」
 と言った途端、今度はハボックが咥えた煙草の先が一瞬にして燃え落ちた。
「…っっ」
 度肝を抜かれたハボックが恐る恐る子供を見れば凄い顔をして睨んでいる。
「ロイ、いい加減にしとけ」
 ヒューズが子供をたしなめると子供はフンという顔をしてそっぽを向いた。
「ロイ・マスタング。10歳の男で国家錬金術師だ。ま、よろしく面倒見てやってくれ、少尉」
 ヒューズが子供をハボックに紹介する。それがハボックがロイと会った最初だった。

「ね、さっきのどうやったんスか?」
 ハボックがリビングの窓を開けながら聞く。
「さっきの?」
「オレの煙草、燃やしたでしょ?」
「なんだ、お前、私の錬金術のことについて何も聞いてないのか?」
「はあ、さっぱり」
 そう言いながら煙草を取り出すハボックににやりと笑うとロイは手袋を嵌めた手を差し出した。そのまま指をすり合わせると、火をつけようとライターを取り出したハボックが咥えた煙草の先にポッと赤い火が点る。
「…っっ?!」
 びっくりして煙草とロイを見比べるハボックにロイはふふんと笑った。
「私のふたつ名は『焔』だ」
「…すごいっスね」
 ハボックはただただ感心して呟いた。ロイはそんなハボックを見つめると言った。
「そう言えばお前から名前を聞いてない」
「…なーにいってるんスか、さっき中佐が言ったでしょ?アンタ、1人でカリカリして聞いてなかったんじゃないんスか」
 ハボックがそう返すとロイはむうと脹れる。そんなロイをみてハボックはくすりと笑った。
「ハボック。ジャン・ハボックっス」
「ハボック?凄い名前だな。お前の先祖はよっぽど乱暴者だったのか?」
「ひでぇっスよ、ソレ」
 苦笑いするハボックに、だがロイは機嫌がよさそうに笑った。
「だが、気に入ったぞ」
「そりゃどうも」
 ハボックは肩を竦めて答えると逆に聞き返した。
「オレはアンタのこと、なんて呼べばいいっスかね?」
 国家錬金術師ってことは階級的にはオレより上でしょ、と言うハボックにロイが答える。
「別に、ロイでいい」
「いいんスか、呼び捨てで?」
「…お前にさんづけで呼ばれたら気持ちワルイ」
「…アンタ、さっきから何気に酷いっスよ」
 ぼそりと文句を言いつつハボックはキッチンへと向かうとお茶の仕度を始めた。
「一息ついたら買い出しに行ってきますけど、なんか食べられないものとかあります?」
「特にない」
 ロイは所在無げにダイニングの椅子に座り込むとハボックを見つめる。痛いほどの視線を注がれてハボックは苦笑した。
「オレの顔になんかついてます?」
「綺麗な空色だなと思って…」
 ロイはそう呟いた次の瞬間はっとしてそっぽを向いてしまう。そんなロイの前にハボックはカフェオレを差し出した。
「アンタ、中佐の知り合いか何かなんスか?」
 ハボックにそう聞かれて、ロイの顔が僅かに緊張したが、ハボックは気がつかなかった。
「…ヒューズとは昔から家ぐるみの付き合いなんだ」
「ああ、そういうことっスか。わざわざ面倒みろなんていうから、何でかと思いましたよ」
「…ヒューズは心配性なんだ」
「まぁ、10歳の子供を1人で暮らさせるわけにはいかないでしょ。オレも仕事がありますから1日中一緒ってワケにはいかないけど、できるだけのことはしますんで、何でも言ってくださいね」
 そう言ってにっこり笑うハボックをロイはまぶしそうに見つめた。

「お前、料理上手だな」
「ガキのころからちょこちょこやってましたからね」
 出された料理をあらかたお腹の中に収めてロイは感心したように言う。そんなロイに答えるとハボックは立ち上がってデザートを持ってきた。
「デザートもあるのか?」
 デザートの皿を前に目を輝かせるロイにハボックはくすりと笑うと食べ終わった食器をシンクへと運ぶ。代わりにカフェオレのカップを持ってくるとロイに差し出しながら言った。
「お腹落ち着いたら一緒に風呂、入りましょうね」
 さらりと言われた言葉にロイは口にしたケーキを喉に詰まらせてしまう。げほげほとむせ返る背中をハボックは慌ててさすった。
「大丈夫っスか?」
「なっ、なんで一緒に入るんだっ!」
「オレがガキの頃って親とか兄弟とかと一緒にワイワイ風呂に入りましたけど」
「私は1人で入りたいっ」
「いいじゃないっスか、一緒で。仲良くなるには裸の付き合いが一番っスよ」
「なに馬鹿なこと…」
「それともアンタ、やっぱ女の子なんじゃ――」
 ハボックがそういった途端、ロイの拳が飛んでくる。それをひょいとかわすとハボックは笑った。
「ま、いいじゃないっスか、ここの風呂、広いから二人で入ったって全然オッケーっスよ」
 のほほんとそう言うハボックに、ロイは僅かに頬を染めて目を逸らした。

「アンタ、細いっスねぇ」
「うるさいっ、お前が筋肉だるまなんだっ」
 ひでぇ、と呟くハボックを見ていられなくてロイは目を逸らした。鍛え上げられたハボックの体は、実際は筋肉だるまなどではなく、無駄な筋肉のないバランスのとれたそれだった。その体に触れてみたくて、だがそう言うわけにもいかなくて、ロイはむすっと黙り込む。ハボックはそんなロイの様子には全く気がつかず、スポンジを泡立てるとロイの腕を引いた。
「そこ、座ってください。洗いっこしましょ」
「えっっ!」
「…なんスか?」
「いや、別に…」
 他意のなさそうなハボックの様子にロイはホッと息をつく。
(触りたいと思ったの、バレたかと思った…)
 ロイはこっそりそう思いながらハボックが背中を洗い出すのに身を任せた。ロイは鼻歌を歌いながらスポンジを握るハボックをそっと窺う。その空色の瞳を見つめてとくりと鳴る心臓を必死に宥めた。
(コイツは私のことなんて全然知らないんだから…)
 ロイの脳裏に今より少し若いハボックの姿が浮かび上がる。ぼんやりとするロイの目の前にハボックがひょいと顔を出した。
「うわっ!」
「どうしたんスか、ぼんやりして。のぼせました?」
「い、いきなり顔を近づけるなっ!」
「そんな怒らなくても…」
 体洗い終わりましたよ、というハボックからロイはスポンジを受け取った。
「洗ってくれるんスか?」
「…洗いっこなんだろ?」
 ロイはそう言うとスポンジを泡立ててハボックの体をこすり始めた。どきどきと高鳴る鼓動を聞かれはしないかとびくびくしながら洗っていく。ハボックの項に口付けたくなって、ロイは慌てて目を瞑った。
(明日からは絶対ひとりで入ろう…)
 ロイはひとり心に誓うのだった。

 ベッドの上に二つ並んだ枕を見つめてロイは拳を握り締めた。
「さ、そろそろ寝ましょうか」
 パジャマに着替えたハボックがにっこり笑ってそう言う。
「なんで一緒のベッドなんだ…?」
「パジャマパーティってことで」
「あのなぁっ」
 ロイが真っ赤になって怒るのをハボックは不思議そうに首を傾げた。
「なんでそんなに怒ってるんスか?あ、もしかしてオレのことキライ…?」
 ワザとらしく手を口元に持っていってウルウルしてみせるハボックにロイはため息をついた。
「別にそんなこと言ってないだろ」
 ぶすっとむくれるロイにハボックは小さく笑った。
「どういう事情か知りませんけど、アンタくらいの子供が親元離れて来るのってよっぽどのことでしょ?」
 一緒にいたいんスよ、と言うハボックにロイは彼が彼なりに気を使ってくれているのだと気づく。ロイはそんなハボックに内心泣き出しそうになりながら言葉に出してはこう言った。
「お前が一緒にいたいって言うならいてやってもいい」
 憎まれ口のようなその言葉にハボックはにっこり笑うと答えた。
「一緒にいてください」
「…しっ、しかたがないなっ」
 そう言うロイの腕をハボックは引いてベッドに引っ張り上げる。ロイが枕に頭をのせて横たわると、ハボックはそっとブランケットをその体にかけた。そうして自分はロイにより添うように横たわると、ロイの黒髪を優しく撫でる。
「良い夢を」
 そう言って額に落とされる唇をロイはドキドキしながら待った。

(眠れない…)
 ハボックの腕の中で寄り添うようにベッドに横たわりながらロイは呟いた。頭のすぐ上ではハボックがすうすうと安らかな寝息を立てている。
(大体好きな相手とこんなにくっついて眠れるわけないんだ)
 いっそのことイタズラでもしてやろうかと考えながらロイはハボックの寝顔を見つめた。2年ほど前、ロイはハボックと会ったことがあった。もしそれを会ったということができるなら、だが。その空色の瞳に一目で惹かれてしまったのだ。どこの誰かもわからない彼に、一目惚れしたのだと後になってから漸う気づいた。それからずっと好きだった。色んな事があって、とても誰かと普通に恋愛などできるわけないと判ってからもロイはハボックを忘れられなかった。だから、今回ここに来る事になった時、ただ1人事情を知るヒューズを拝み倒してハボックの側に置いてもらったのだ。
 ロイはそっとハボックの寝顔を見上げる。それからその胸に顔を寄せるとホッとため息をついて、眠れぬ夜を過ごした。


→ 後編