| 紫 chap.2 |
| 「前にいらしていた先生の代わりに来てくださる事になったルイ・テナール先生です」 ノーマンに紹介された青年はハボックに手を差し出すとにっこりと笑った。 「よろしく、ジャン。僕のことはルイと呼んでくれ」 ハボックは差し出された手を握ると「よろしくお願いします」と言った。ノーマンが部屋を出て行くとハボックは椅子に腰を下ろす。すぐにでも勉強を始めるような姿勢を見せるハボックにテナールは苦笑した。 「ジャン、君はまだ7つだろう?」 そう言われてハボックは頷いた。 「まだこんな勉強を始めるには早いんじゃないのかな」 テナールの言葉にハボックは不思議そうな顔をする。 「まだ小さい君には勉強よりももっと学ぶべきことがあるような気がするんだけど」 そう言うテナールにハボックは答えた。 「でも、ノーマンが『早くマスタング様の側に行きたいのなら沢山勉強しなきゃダメ』だって…」 「マスタングってのは雇い主だったな。でもソイツだってまだ19の子供だそうじゃないか。ジャン、君はもっと子供らしいことから学ぶべきだよ」 テナールはそこまで言ってしばし考えた。 「そうだ、今日はこれから外に出かけよう。天気もいいし、いろんなものを見つけに行こう!」 そう言ってハボックの手を取って立たせようとするテナールに、ハボックは慌てて首を振った。 「ダメだよ、外には行けないんだ」 「行けないってどういうことだい?」 「絶対外に行っちゃいけないって言われてるから」 「大丈夫だよ、一人じゃないんだし」 「一人じゃなくてもダメなんだよっ、絶対外には出るなって…」 そういい募るハボックにテナールは眉を顰めた。 「ちょっと待てよ、じゃあ、君はここから外に出たことないの?」 そう聞かれてハボックは頷いた。 「うん、このお屋敷に来て2年になるけど、外に出たことはないよ」 「2年間一度も?じゃあ友達とかは?同じくらいの年の子と遊んだりしないの?」 テナールの言葉に首を振るハボックにテナールはカッとなった。 「信じられないっ!そんなの、おかしいだろうっ?勉強だけさせとけばいいってもんじゃないだろう!」 「勉強だけじゃないよ。本を読んだり、運動したり、映画のビデオを見せてもらったこともあるよ」 「でもそれ、全部この屋敷の中で、だろ?そんなのおかしいよ」 一人熱くなるテナールにハボックはどうしてよいか判らずオロオロとする。テナールは紙を取り出すとそこに「外出します」と書き置くとハボックの腕を取って立ち上がらせた。 「さ、行こう!」 ぐいと腕を引くテナールにハボックは首を振った。 「ダメだよっ!そんなことしたら叱られるっ!」 「叱られる時は一緒に叱られてあげるよ。ほら、行こうっ」 テナールはそう言うとハボックの体を抱え上げた。ドアを開けるときょろきょろと辺りを見回し、そっと階段を下りていく。 「先生っ、ダメだよ、部屋に戻ろうっ!」 「しぃっ、大きな声出すとノーマンに聞こえちゃうだろ」 「でもっ」 「いいから、いいから、僕に任せて」 テナールは楽しそうにそう言うと、玄関を出て庭を抜けるとまんまと外へと抜け出してしまったのだった。 「ハボックがいなくなったとはどういうことだっ?!」 ロイは帰ってくるなりそう怒鳴った。 「それが…。今日から新しく見えたテナール先生とお部屋で勉強されているとばかり…」 お茶を持って部屋にいったノーマンは勉強しているとばかり思っていた二人の姿がない事に気がつき、慌てて学校にいるロイのところへ連絡したのだった。 「まさか誘拐ということは…」 「それはあり得ません。マイアー公の紹介で身元もきちんとしていましたし、こちらでも確認いたしました」 「だが、いなくなったのだろうっ?」 「…申し訳ございませんっ!」 ロイは苛々と部屋の中を歩き回りながら言った。 「連れ戻せ。1時間以内だ」 「承知いたしました」 慌てて部屋を出て行くノーマンを見送ってロイはどさりとソファーに座り込む。 「どこへ行ったんだ、ハボック…」 そう呟くとロイはぎりっと唇を噛み締めた。 かっきり50分後。ハボックはテナールと共にロイの前に立っていた。怒りのオーラを立ち上らせるロイにハボックは僅かに震えながら目を閉じる。 「ジャンを怒らないでやってくださいよ。僕が連れ出したんですから」 そう言うテナールを睨みつけるとロイは冷たく言い放った。 「貴様はクビだ。とっとと出て行け」 「…ちょっと待ってください。こっちの話も聞いてくれてもいいでしょう?大体、おかしいでしょう、2年もの間、一度も外に出たことがないなんて。友達もいないって言うし、そんな監禁みたいな生活、一体どんな権利があって…」 「…いいたい事はそれだけか?だったらもう、出て行け」 「な…アンタ、何様だよっ!こんなことが許されると…」 「テナール様」 ロイに食ってかかるテナールの腕をノーマンが掴んだ。 「どうぞ、お帰りはこちらです」 「…然るべき所に通報するぞ。子供を監禁してるって」 テナールはロイとノーマンを交互に見やると言った。その言葉にも全く動じないロイに向かってテナールがなおも言い募ろうとした時、ノーマンが言った。 「無事に一生を過ごされたいのなら余計なことは仰らないことです」 その言葉にテナールは息を飲む。ノーマンはそんなテナールをつれて部屋を出て行った。後に残ったハボックはどうしていいか判らずにロイの前に立ち尽くしている。やがてロイが静かに口を開いた。 「ハボック、顔を上げなさい」 そう言われてハボックはおずおずと目を開いてロイを見た。 「どうして、外へ出た?」 「先生が…2年も外へ出ないのはおかしいって。もっと外でいろんなことを見た方がいいって…」 「それでお前はそんな言葉につられて出て行ったのか?」 「…ごめんなさい」 ロイはゆっくりと立ち上がるとハボックを見下ろした。ハボックはロイを見上げてその冷たい瞳に凍りついた。次の瞬間。 ビシィッッ!! ロイの平手がハボックの頬を張った。何度も何度も振り下ろされる手に、ハボックは両腕で頭を抱えながら叫ぶ。 「ごめんなさいっ!もう、しませんっ!ごめんなさいっっ!!」 思い切り打ち下ろされた手に、ハボックの体が床に倒れこんだ。痛みに涙を浮かべるハボックの耳にロイの冷たい声が届いた。 「私の言うことが聞けないのならここから出て行け」 その言葉にハボックはハッとしてロイを見上げる。冷たく見下ろしてくる黒い瞳にハボックは思わずロイの脚にしがみ付いた。 「聞く…っ!言うこと聞くからっ!だから何処へもやらないでっ!!ここに置いてっっ!!」 しがみ付いて必死に言い募るハボックをロイは暫く見下ろしていたが、ゆっくりと跪くとハボックの顎を掴んだ。 「誓うか?」 ロイの言葉にハボックは無我夢中で頷く。そんなハボックの顎を掴む手にロイはぐっと力を込めた。ハボックが顎を砕かれるのではないかという恐怖に襲われた時。不意にロイの顔が近づいてきて、ハボックは自分の唇の上にロイのそれが重なったのに気づいた。驚いて身を離そうとするハボックの体を抱きこんで、ロイは更に深く口付ける。ロイの舌が口中に入り込み、怯えるハボックの舌を絡め取ると強く吸い上げた。口中を舐めまわし深く交わす口付けに、ハボックの唇から含みきれない唾液が銀色の糸を引いて落ちていく。長い口付けでくったりと力の抜けた体を抱きしめるとロイはハボックの耳元に囁いた。 「裏切るな、お前は私のものだ。いいな、ハボック」 耳の中に吹き込まれる甘い毒のような言葉に、ハボックはただ頷くしかなかった。 |
→ chap.3 |