| 裏・曼珠沙華 第九章 |
| フッと目を覚ましたとき、オレはジーノの腕の中に抱きしめられていた。多分気を失っていたのはほんの数分のことだったのだと思う。ジーノはオレの髪をかき上げると額にキスを落とした。 「ジャン、愛しているんだ…」 そう言って見つめてくる瞳が大佐とは違う濃い茶色なのが悲しくて。 「俺じゃダメか?愛してるんだよ、ジャン…っ」 想いを込めたジーノの言葉もオレの中には入り込めずに表面を滑り落ちていく。 「ごめんね…ジーノ」 オレにはこれしか出来ない。体をあげることは出来ても心まではあげられない。 「ホントに、ごめん…」 オレはジーノの腕から抜け出るとベッドから足を下ろした。どろりと注ぎ込まれたものが脚を伝って零れ落ちて、背筋を走る悪寒にオレは体を震わせる。それでもズボンを穿き素肌に上着を羽織ると痛みによろけながら歩き出した。 「ジャンっ!!」 血を吐くようなジーノの声が聞こえたけど、オレは振り向かずに部屋を出て行く。アパートの扉をパタンと閉めて、オレは自分から暖かくて優しい場所を捨ててしまったことを今更ながらに自覚した。いつもは煩いくらいガンガンとなる階段があまり音を立てないことで自分が裸足である事に気づく。だがもう、そんなことなどどうでもよくてオレはふらふらと夜の街を歩いていった。途中、からかうような声が聞こえたけど、あまりに様子のおかしいオレに誰も近寄っては来なかった。 もう、どこにも行くところなんてない。 大佐が結婚すると言うなら、もう側になんていられない。 ジーノの事は自分から切り捨ててしまった。 今、オレに残っているのは大佐への想いだけで。 何の価値もない、何の意味もない、恋焦がれるオレの想い。 何もかもがもうどうでもよくて、ふらふらと踏み出したオレの前を眩い光が照らした。 辺りをつんざくクラクションの音すら遠くに聞こえて。ハンドルを握り締めた男の顔が恐怖に歪むのだけが妙にはっきり見えた。黒い鉄の塊がオレの体を跳ね飛ばそうとした瞬間、横合いから吹き付けた焔が車の進行方向を変える。路肩に乗り上げ植え込みに突っ込んだ車をぼんやりと見つめるオレの肩を誰かがグイと引いた。 「ハボックっ!!」 その声に視線を向ければ大佐の怒ったような泣いているようなそんな顔が目の前にあって。 「たいさ…」 何か叫んでいる大佐の黒い瞳が目の前に大きく広がって、オレはそのまま気を失ってしまった。 目を覚ますと見上げていたのは暫く前に見上げたことのある天井だった。そのままぼんやりと見上げているとカチャリと扉の開く音がする。足早に近づいてくる足音がして天井との間に大佐の顔が飛び込んできた。 「ハボック、大丈夫かっ?」 辛そうに顔を顰めてそう言う大佐をオレはぼんやりと見つめる。大佐はオレの頬をそっと撫でると呻くように聞いた。 「誰にヤられた…っ?」 そう聞かれても、咄嗟にはなんのことか理解できなくて。不思議そうに見つめれば大佐が苛々と繰り返した。 「誰がお前をレイプしたんだっ?!」 レイプ?オレが? そう考えて、オレはようやく自分の体が綺麗に清められている事に気がつく。大佐の言っている意味がやっと判ってオレは唇を歪めた。 「レイプなんかじゃないっス…」 「ハボック?」 「オレには体しかあげられるものがなかったから」 そう呟くように言えば大佐が驚いたように目を瞠る。その綺麗な黒い瞳を見つめているうち、オレの唇から言葉が零れた。 「たいさ…結婚するってホント…?」 「え?」 「結婚するって…」 「ハボック?」 見下ろしてくる瞳にオレは微笑む。 「スキ…たいさがスキ…」 もうそんなこと言う資格なんてオレにはないのかも知れないけど。でも一度だけ言わせて。そうしたらアンタの前から消えるから。 「ごめんなさい…でも、オレ…たいさがスキっス…」 まん丸に見開かれた大佐の瞳。こんな顔、きっともう二度とみることもないんだろう。そんなことを考えながらオレはベッドの上に身を起こす。下ろした脚につけていたのは以前ここで大佐に世話かけた時に着てたスウェットだった。なんだ、オレ。これ置きっ放しだったんだ。こんなことがおかしくてオレはくすりと笑うとゆっくりと立ち上がる。大佐はオレの動きを追うように何も言わずにじっとオレを見つめていた。 「ごめんなさい、もう、二度と大佐の前には顔、出しませんから…。今日は迷惑かけてすみませんでした」 オレはそう言って頭を下げると大佐に背を向ける。歩き出そうとしたオレの腕を、大佐がいきなり掴んだかと思うと乱暴に引き戻した。 「迷惑だとっ!?そんなものならとっくの昔からかけられてるんだっ!」 怒りを露わにオレを睨みつける大佐を驚いて見つめる。大佐はオレの肩を掴むとグイと引き寄せてオレの目を覗き込むようにして言った。 「覚えてないのか、お前。以前ここに来たときのことを…」 「…え?」 以前来た時って、熱出してぶっ倒れた時のこと?覚えてるけど、それがどうしたと言うんだろう。それほど迷惑だったと言いたいんだろうか。 「す、すみません…あの時も大佐の家で寝込んじゃったりして、迷惑かけて…」 「そうじゃない…っ」 オレがそう言えば大佐が即座に否定する。何がなんだか判らなくて大佐の顔を見つめていると、大佐がひとつため息をついた。 「あの時、熱に浮かされながら何度も何度も私にスキだと言ったのを覚えていないのか?」 え? 「あんな縋りつくような目で泣きながら何度もスキだと言ったのを、お前、覚えていないのか?」 何度も…スキって…?なんのこと、それ? 訳が判らないと凍りついたように大佐を見つめるオレに、大佐は脱力したようにため息をついた。オレの手を引いてベッドに座らせると隣りに腰を下ろしオレの顔を見つめる。 「まったく、散々人のことを悩ませておいて覚えていないとは…。お前らしいと言えばお前らしいが」 大佐はオレの頬を両手で包み込むと言葉を続けた。 「あんなに必死に想いを込めてスキだと告げられたのは初めてだった。これまで随分恋もしたし、色んな女性と出会いもしたが、あれほど心を揺さぶられたのは初めてだったんだ。お前が女だったらこれほど悩まずに済んだんだろうが生憎とお前は男で私の部下で、すっかり混乱してたのにお前ときたら熱が下がったらまるでそんな素振りも見せないし…おかげでどれだけ私が悩んだと思ってるんだ」 そんなこと言われたって、オレ、好きだって言ったなんてそんなの全然覚えてなくて。 「悩んで悩んで気がついたらお前のことばかり目で追っていて…ショックだったぞ、男に惚れてると気づいた時は」 大佐はそう言うとオレの瞳をまっすぐに見つめる。 「お前が本当に私にスキと言ってくれたのか、正直自信がなくなりかけていたんだが」 そこまで言ってニヤリと不敵に笑った。 「私もお前が好きだよ、ハボック。だから私の前から消えるなど赦さない」 オレは、大佐が言った言葉が即座には理解できなかった。今、たいさ、なんて言ったの?呆然として大佐を見つめるオレの頬を大佐が軽く叩く。 「おい、私の言っていることが判っているのか?」 「…判んないっス」 「お前な…」 がっくりと肩を落とす大佐をオレはぼんやりと見つめた。だって本当に判らないんだもの。ちゃんとオレに判るように言ってよ。 大佐はオレの肩を掴むと顔を近づけ、オレの瞳を覗き込む。それから口を開くと言った。 「いいか、もう一度言うぞ。よく聞けよ。私はお前が好きなんだ。お前が私を好きだと言ったのと同じ意味で。だからどこかに消えるなんて言わずにずっと私の側にいろ。わかったかっ?」 「たいさが…オレをスキ…?」 いろんなことがショックで、幸せな夢でも見てるんだろうか。バカみたいに繰り返したオレに、大佐は辛抱強く頷いた。 「そうだ、お前が好きなんだよ、ハボック」 「うそ…」 「お前…私をなんだと思ってるんだ。うそとはなんだ、うそとは。こんなこと、うそで言えるかっ」 大佐はそう言うとオレの体を引き寄せる。アッと思ったときにはたいさの顔が目の前にあって唇を塞がれていた。大佐の舌がオレの口内を弄り舌を絡め取る。くちゅりと濡れた音がしてようやくキスしているのだと気がついたオレの顔は火を噴いたように真っ赤になった。唇を離した大佐がそんなオレの顔を見てくすりと笑う。 「やっとわかったか、バカ者め」 だってそんな、絶対ありえないって思ってたんだから。 「まだちゃんと判っていないようだな」 大佐はそう言うとオレをベッドに押し倒す。 「私がどれ程本気か、教えてやる」 そう言って笑うと大佐はゆっくりとオレに圧し掛かってきた。 |
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