曼珠沙華  第一章


「ロイ・マスタングだ。よろしく頼む。」
 そう言って不敵に笑う瞳に見つめられた瞬間、恋に落ちたのだと思う。敬礼を返しながらその黒曜石の瞳からどうしても目が離せなかった。

「ハボック、車を回してくれ。」
「Yes, sir!」
 そう言われて後は大佐の送迎だけと待っていたオレはすぐに司令室を出る。キーを受け取って急いで車を正面に回せば大佐が上着の裾をなびかせて出てくるところだった。
 ああ、カッコいいなぁ…。
 オレは心の中で感嘆の声を上げながら、普段と変わらぬ顔で車の外に立ち、大佐が下りてくるのを待つ。大佐が側にくると車のドアを開け、中へ乗せた。運転席へと回って乗り込むとハンドルを握る。
「今日はどちらへ?」
「レイモンドストリートのラ・ロシェルに行ってくれ。ああ、その前に――」
「花、っスね。」
「そうだ。」
 うっすらと笑う気配がしてオレはアクセルを踏み込んだ。夕焼けにオレンジに染まる街をオレは大佐に言われた場所へと車を走らせる。途中、車を止めて花屋で腕いっぱいの赤い薔薇の花束を受け取って後部座席の大佐の横へと置き、目的地へと向かった。
「今日はどちらのご婦人なんです?」
「セントラルから公演でこっちに来ている女優だ。」
 そう言って大佐が挙げた名前はオレもよく知っているものだった。相変わらず焔の錬金術師はよくモテる。その女優は今、アメストリスで1、2を争う人気者でそんな人と食事だなんてきっと、世の中の男みんなが嫉妬と羨望に駆られるだろう。
「大佐が誘ったんスか?」
「彼女から声をかけてくれたんだよ。」
 そう言って笑う顔をルームミラーでちらりと見てオレは苦い息を吐いた。ホント、よくモテるんだよ、この人は。
「お前も一緒に来るか?」
「冗談。あんな美人に恨まれるのはごめんです。」
 せっかく二人きりでの食事の席、あわよくばその先もなどと思っているかも知れない相手のところへのこのこと一緒に行ってみろ、きっと後で刺されちまう。
「なんだ、お前も会ってみたいだろうと思ったのに。」
 平然とそんなことを言う大佐にワザとらしくため息をつけばクスクスと笑い声が聞こえた。オレはそれ以上何も言わずにハンドルを握る。程なく到着した店の前で車を降りるとあたりを確認してから後部座席のドアを開けて大佐を下ろした。
 大佐は花束を抱えて店の扉をくぐる。すぐに支配人と思しき男が寄って来て大佐を中へと通すのを確認すると、オレは車に乗り込み司令部へと戻った。車を返すと今日はもう残業もないので帰路につく。このままアパートに帰ろうかと思ったオレは、やっぱり少し飲みたくて行きつけの定食屋へと向かった。
「いらっしゃい!」
 扉を開ければ元気なオヤジが声をかけてくる。いつもの席につくとすぐウエイトレスのおねえちゃんが水を持って来てくれた。
「今日のおススメでいい?」
「ああ、それとビール。」
「かしこまりましたぁっ」
 明るく答えて戻っていく健康的な後姿を見送って、オレはグラスの水をぐびりと飲む。陽気に声をかけてくる常連に笑顔を向ける彼女を、可愛いななどと思いながら窓の外へと目をやった。さっきまで綺麗なオレンジ色に染まっていた街はいつの間にか夕闇に溶けて輝くネオンを身に纏っている。その光をぼんやりと見つめながらオレは花束を抱えて立っていた大佐の姿を思い描いた。すらりと伸びた背。さらさらと流れる黒髪。整った顔立ち。若くして大佐の地位にあるあの人は全ての女性の――と言っても過言ではないだろう――の憧れの的だ。独身の大佐にはそれこそ毎日のようにラブレターが来るし、お誘いもひっきりなしだ。仕事関係の会食が入らない限り、今日のように毎日違う相手とデートをしているのだ。
「はい、ビール。おまちどうさま。」
「…サンキュ。」
 オレは置かれたビールを一口飲むとため息をついて目を閉じる。視界を遮ればより一層鮮やかに大佐の姿が目の前に浮んで、オレは慌てて目を開けた。大佐の面影を振り払うようにグイグイとビールを喉に流し込み、ジョッキを乱暴にテーブルに戻す。今頃大佐は人気者の女優と極上のワインのグラスを傾けている頃だろうか。ぼんやりとジョッキに浮ぶ水滴を見つめていたオレの前に湯気の立つ皿が置かれ、オレはフォークを手に取ると食事を始める。豪華ではないが料理人が腕を振るって作ったそれに舌鼓を打ちながら、今度は大佐は美味いフレンチ食ってるんだな、などと思ってしまう。オレはガツガツと皿の上のものを腹に収めると金を払って店を出た。
 足下だけを見ながら大股で夜の街を駆け抜けるように通り抜けアパートへと帰る。アパートにつくと2段抜かしで階段を上がり、3階の自分の部屋のドアを開けた。中に入ると明かりもつけずに風呂場へと向かい服を脱ぎ捨てる。冷たいシャワーを頭から被り、火照った体を沈めるように暫くじっとシャワーを浴び続けた。冷たい水に体が小刻みに震え始めてようやくオレはシャワーを止めると手早く体を洗って風呂から出た。体を拭くのもそこそこに濡れた髪のままベッドへとぼすんとダイブすると、オレはようやく深く息を吐く。そうしてぼんやりと闇に沈んだ部屋の中を見つめた。
 デートに行く大佐を送り届けた日、必ずオレは冷たいシャワーを浴びる。どんなに寒い日でも。そうしてオレの中に燻る昏い焔を沈めなければどうにもならなかった。
気づいたのは一体いつのことだったろう。最初はただ尊敬できる上司として敬愛しているのだと思っていた。軍に入って初めて命を懸けてついていきたいと思った人で、サボり癖はあるし口はきついけど、でもこの人の為なら何でもしようってそう思って。その意志の強い黒曜石の瞳に魅せられて、気がつけば大佐の姿を目で追っていた。大佐が綺麗な女性とデートに出かけるたび、チリチリと胸を焼くそれがなんなのか、それが何か気づいてしまえばどうにもならなくなると無意識に思っていたのだろう、ずっと考えずにいたのに。
「なんで気づいちゃったんだろう…」
 自分の胸を占めるこの想いが大佐への恋心だと言う事に気づいた時、オレはショックだったのと同時に頭のどこかで「ああ、やっぱり」と思っていた。だって多分、初めて会ったときには既に大佐のことが好きだったから。だってあの黒い瞳で見つめられると、体の全てが泡立つように感じるから。
「たいさ…」
 オレは大好きな人の名を呼んで目を閉じる。今頃彼は美しい女優を抱いているのだろうか。そう思うと、さっき冷たい水で必死に押さえ込んだ昏い焔がチラチラと燃え立ち始める。その女優に昏い嫉妬を覚えるオレは女であるというだけで大佐の腕の中にいる彼女を、うらやむと同時に男である自分を疎ましく思っている事に唇を歪めて笑った。そうだ、こんななりをしていながら、大佐を恋焦がれるオレは彼に抱かれたいと思っている。あの綺麗な上官を抱きたい、ではなく抱かれたいと。あの燃える黒い瞳で射抜かれながら犯されたいと思っている。
「サイテー…」
 そう呟きながら、今夜も自身に伸びる手を止められない。こんな自分を自分自身軽蔑しながら己を慰める手を止める事が出来ない。
「ん…あっ…はあ、ん…」
 裾をなびかせて階段を下りてくる大佐の姿が目に浮ぶ。車の中でくすくすと笑う声が耳に木霊する。薔薇の花束を抱えてスラリと立つ姿が。
「あ…ふ…た、いさ…」
 オレは無我夢中で自身を扱く。袋を弄んでいた手で体の奥で震えている穴の淵をそっと擦ればぞくんとする痺れが体を駆け抜けた。
「ひ…ぅんっ…ああ、んんっ」
 零れ出る蜜を擦り付けるようにしてきつく擦り上げれば手の中の自身がぴくぴくと震える。オレの頭の中に大佐の綺麗で強い光を放つ瞳が浮んで。
『ハボック』
 大佐の唇がオレの名を呼ぶ声が頭の中に響いた時。
「んっあああああっっ!!…た、いさぁぁ…っっ!!」
 その人の名を呼びながらオレはどくんと精を吐き出していた。
暗闇の中に青臭い匂いが広がり、ハアハアと荒い自分の息遣いが聞こえる。手の中にべっとりと吐き出されたそれをティッシュで乱暴に拭うと、オレはふらつく足取りで風呂場へと向かった。もつれる脚で中に入ると倒れるように両手をついてしまう。そうしてオレは四つん這いのままシャワーのコックを捻ると、冷たい水を頭から被ったのだった。


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