| 心の奥深くに眠る君へ 第二章 |
| コンコンと言うノックの音とともに入ってきた男の姿に、ベッドの上で身を起こして雑誌を読んでいたハボックは身を硬くした。 「気分はどうだ?」 そう言いながらベッドサイドの椅子に腰を下ろす男から目を逸らしてハボックは答える。 「や、特になんともないっス」 ハボックはそう答えてブレダが置いていった雑誌に目を落とした。軍の広報誌であるその雑誌によれば、今目の前にいる男の名前はロイ・マスタング大佐。イシュヴァール戦線の英雄であり焔の錬金術師でもあるその男は、ハボックにとっては直属の上司であるはずだった。 (何でこの人、こんな目でオレのこと見るんだろう…) ハボックは強い視線で見つめてくる黒い瞳を直視できずに膝の上の雑誌を見つめ続ける。それでも頬に突き刺さるような視線にどうにも居た堪れず、ハボックは小さな声で聞いた。 「あの…こんなしょっちゅう見舞いにきて、大変じゃないんスか?」 ロイはどんな時でも1日に1度、来られれば日に何度もやってくることもあった。扉から顔を覗かせてハボックの様子を伺うだけのときもあれば、今日のように傍らに座って話していくこともある。だが、いつの時でもその強い視線は変わることがなく、その視線に曝される度ハボックは落ち着きをなくすのだった。 「別に大変だとは思わないが…迷惑、か?」 ほんの少し不安をにじませたような声に、ハボックはハッとして顔を上げると慌てて答えた。 「迷惑だなんて、そんなことは…」 そこまで言って強い視線に絡めとられたように言葉を失う。ハボックはごくりと唾を飲み込むと必死に目を逸らして言葉を続けた。 「抜糸はまだっスけど、もうそろそろ退院できるみたいっス」 そう言えば嬉しそうに細められる黒い瞳にどきりと心臓が跳ねる。 (何、ドキドキしてんだろ、オレ…) 困ったように俯くハボックの頬に手を伸ばしそうになってロイはギュッと手のひらを握り締めた。自分が病室を訪れる度、ハボックがどうしてよいか判らずにおろおろとしているのは判っていた。だが、目を離している隙に再びハボックに何かあったりしたらと、離れている時間が苦痛でならない。それに。 (何度も顔を合わせているうちに思い出してはくれないだろうか…) 医者は要するに記憶の引き出しが開かなくなっているのだと言っていた。 『とにかく、普段の生活の中からゆっくりと記憶を揺り起こしていくしかないと思います』 だったら少しでも側にいたいと思う。 (早く思い出してくれ、ハボック) その空色の瞳が再び愛情を込めて見つめ返してくれることを願って、ロイはハボックの顔をじっと見つめ続けていた。 ハボックが退院する日。ロイはブレダとともに病院へと来ていた。医師からの話を聞き精算を済ませるとハボックが待っているはずの病室へと向かう。だが、そこにはボストンバックがぽつんと置かれているだけで肝心のハボックの姿はなかった。 「どこ行ったんですかね、アイツ」 途方に暮れたように呟くブレダにロイが言う。 「少尉はここで待っていてくれ。私が探してくる」 頷くブレダを置いてロイは病室を出ると左右を見渡し、足早に歩き出した。休憩所を覗き、売店に顔を出したが目指す姿は見当たらなかった。 「どこだ?」 こみ上げてくる不安に視線を泳がせたロイの目に、屋上へと上がる階段が飛び込んでくる。ロイは一瞬迷ってだが、階段を駆け上がると屋上へと出た。ぐるりと辺りを見回せば、柵にもたれてイーストシティの街を見下ろすハボックの姿があった。 「ハボックっ」 そう声を掛けて駆け寄っていけばハボックが驚いたように振り向く。ロイは僅かに見開く空色の瞳に、思わず手を伸ばしてその体を引き寄せた。 「驚かすな、どこへ行ったのかと思っただろう…っ」 存外に強いその力にびくりと震えるハボックの体からロイは慌てて身を離す。 「す、みません。ちょっと、外の空気が吸いたくなって…」 呟くように言うハボックにロイが心配そうに尋ねた。 「気分でも悪いのか?」 「いや、大丈夫っス。」 慌ててそう答えるハボックの瞳が不安に揺れているのを見て、ロイは優しく微笑んだ。 「大丈夫だ、何も心配することなんてない」 ロイの言葉に、だがハボックは困ったように瞳を伏せる。ロイはそっとため息をつくとハボックの背を押して促した。 「ブレダ少尉が待ってる。心配してるだろうからもう、行こう」 ロイはそう言うとハボックとともに屋上を後にした。 「ハボ!お前、どこ行ってたんだよ」 病室へ戻れば、ブレダが安心したような声を上げた。 「ごめん、ちょっと空気吸いに…」 「は?何言ってんだ、これから外に行くんだろ、いくらでも吸えるだろうが」 呆れたように言うブレダにハボックは困ったように笑うと、恐る恐ると言う風にブレダに聞く。 「あのさ、オレの家ってどこ?」 「どこって…大佐んとこだろうが」 「えっ?!」 当たり前のように言われてハボックは声を上げるとロイを振り向いた。その黒い瞳を見て、慌ててブレダを振り向くと早口でハボックが言う。 「オレ、ブレダんとこ行っちゃダメっ?」 「はあっ?」 ブレダは素っ頓狂な声を上げるとハボックとロイの顔を交互に見渡した。 「何言ってんだよ、お前」 「いいだろ、なっ?」 必死に言い募るハボックにブレダは焦ってロイの顔を見る。傷ついたように目を見開いたロイは、ゆっくりと瞳を閉じると呟くように言った。 「ハボックがそうしたいと言うなら――」 「ダメですよっっ!!」 ロイの言葉をかき消すように怒鳴るブレダの声に、ロイはハッとして目を開く。ブレダの顔を見やればその瞳が怒りを湛えてロイを見つめていた。 「ダメですよ、大佐。そんなこと、アンタが一番判ってるはずでしょうっ?アンタでなくて誰がハボの記憶を呼び戻すって言うんです?!」 「ブレダ少尉…」 ブレダはハボックをじろりと見ると言う。 「ハボ。お前の家は大佐んトコだ。ちゃんと自分ちに帰れ」 「でも、ブレダ…っ」 「お前、思い出したくないのかっ?」 きつく睨まれてハボックは口を噤んだ。不安そうに俯くハボックの肩を叩くとブレダが言い聞かせるように言う。 「このまんま思い出さないなんてお前だって嫌だろう?だったらちゃんと家に帰れ、な?」 ブレダにそう言うとロイを見た。 「大佐も。アンタらしくないですよ」 責める様なブレダの言葉にロイがフッと苦笑する。 「そうだったな、少尉」 ロイはそう言うとハボックを見た。 「帰るぞ、ハボック」 そう言ってハボックの手をとると、ロイは病室を後にしたのだった。 |
→ 第三章 |