千草色の君を抱いて  前編


「たいさっ」
「うわっ」
 ロイは玄関の繁みの影からいきなり飛びついてきた金色の頭を、受け止めながら眉を顰めた。
「お帰りなさいっ」
「…2つや3つの子供じゃないんだから、いい加減にこういうのはやめろっていつも言ってるだろう」
「いいでしょ、別に」
 口を尖らせてそう言う相手をロイはため息をついて見つめた。仕事を終えて返ってきたロイを熱い抱擁で出迎えたのは金髪に空色の瞳、先日ようやく15になったばかりのハボックだった。
「大体、子供がこんな時間にうろうろするもんじゃない」
 ロイはそう言うと玄関のドアをあけて中にはいる。もう、帰れと言う前にハボックはドアの隙間をスルリとすり抜けると家の中に入ってしまった。
「…ハボック」
「なんでジャンって呼んでくれないんスか?」
 少年は不服そうにロイを見上げてそう言った。薄闇の中に浮かび上がる綺麗な金色にロイは一瞬眩暈がして、慌てて電気を点けた。
「お前なんてハボックで十分だ、この乱暴者め。お母さんが泣いてたぞ。また学校から呼び出しくらったって」
「だってそれはアイツらが悪いんスよ」
 オレは何もしてないのに、とブスッとした顔をしてそう呟くハボックにロイは苦笑する。
「お母さんにはここに来るって言ってあるのか?」
「それなら大丈夫。オレがいない時はここだって思ってるから」
「…電話しなさい。少ししたら送っていくからって」
「もう遅いんだし、泊めてくれても…」
「今すぐ送っていってもいいんだぞ」
 ロイに軽く睨まれてハボックは口を噤むと、勝手知ったる家の中を電話をすべくリビングへと入っていった。ロイは2階へと上がると軍服を脱いで着替える。階下にいる少年のことを思って、ロイはため息をついた。

 ハボックが3ブロックほど先の家に越してきたのは5年ほど前だ。越してきた当初から乱暴者だとの噂で、実際、ロイが初めてハボックと会った時も喧嘩の真っ最中だった。
「何をやってるんだっ!」
 どう考えても3つ4つ年上の少年達と取っ組み合いの喧嘩をしているその姿はまだほっそりと幼くて、ロイは思わず喧嘩を止めに入ったのだった。ハボックに殴りかかっていた少年達はロイの声に蜘蛛の子を散らすように逃げてしまったが、ハボックは荒い息をつきながらようやく体を起こしたところだった。
「大丈夫か?」
 そう言って差し出したロイの手を少年は乱暴に払いのけた。空色の瞳を怒りに燃え上がらせてロイを見上げるその姿に、ロイは一目で惹き付けられてしまった。
「いた…っ」
 立ち上がろうとして、だが、足首を押さえて蹲る少年をロイは抱き上げると「下ろせっ」と喚くのを半ば強引に家まで連れて帰り、手当てをしてやったのだ。最初は警戒心丸出しだった少年も、ロイが送ってやる頃には大分慣れて少し話をするようになっていた。
「アンタ、軍人?」
「そうだが」
「オレの死んだ父さんも軍人だったって」
 そうしてポツポツと話し出したことから彼がまだ10歳の少年でロイの家から数ブロック先の家に越してきたこと。母親と二人暮らしでそのことで意地悪をする子供達のおかげで学校に馴染めないことが判った。
「また来てもいい…?」
 おずおずと聞いてくる少年にロイは思わず頷いてしまい、それ以来ハボックは何かにつけてロイの家に入り浸るようになったのだった。

「ねぇ、たいさ、オレこの間15になったんスけど」
 ハボックはダイニングの椅子に逆向きに座って背もたれを抱え込むと2階から下りてきたロイに向かって言った。
 ロイのことをハボックは「大佐」と呼ぶ。初めて会ったとき既に中佐だったロイにびっくりしたハボックが、階級で呼びたがったのを、ロイが止めなかったからだ。
「そういえばそうだったな」
 おめでとう、と言うロイをじっと見つめてハボックは言葉を続ける。
「誕生日プレゼント、くれないんスか?」
「欲しいものがあるのか?」
 冷蔵庫を開けて野菜ジュースを取り出したロイは棚からグラスを出しながら聞いた。だが、次の瞬間、ハボックが言った言葉に手にしたグラスを取り落としてしまう。
「…キスして」
 ガチャンと音を立ててグラスが割れたことにも気がつかずにロイはハボックを見つめた。
「なに言って…」
「オレっ、アンタのことずっと好きだったから…っ」
 ハボックはガタンと音を立てて立ち上がるとロイの腕を掴む。
「ずっと好きだった…だからキスして…」
 そう言って顔をあお向けてしがみ付いて来るハボックをロイはぐいと引き離した。
「バカなことを言うんじゃない」
「なんで?ちっともバカなことじゃないでしょっ?オレ、ほんとにアンタが…」
「まだ15の子供がませた事、言ってるんじゃない」
「もう15だよっ!」
 ハボックはそう言うとロイの胸に縋りついた。
「ずっと、ずっと好きだったんだもん。でも小さい時に言ったらきっと相手にしてもらえないから、だからずっと我慢してやっと15になったからっ。たいさ、好きっ!だからキスして…!」
 そう言って見上げてくるハボックの姿にロイは息が止まりそうになる。思わず抱きしめてハボックが望むままに口付けてしまいそうになる自分をロイは必死に押さえ込んだ。
「…もう帰りなさい」
「たいさっ」
「送っていくから」
 ロイはそう言うとハボックのことを待たずに部屋を出て行ってしまう。ハボックは泣きそうな顔をすると仕方なしにロイの後を追って部屋を出た。

 ハボックを宥めすかして送り届けたロイは、家に戻るとダイニングで割れたままのグラスを見つめてため息をついた。本当のことを言えばロイのほうこそハボックをずっと好きだったのだ。多分、初めて会ったあの日から。だが、相手は子供なのだからと必死に気持ちを抑えてきた。年を追うにつれ花開くように成長していくハボックを、ロイはずっと眩しいものを見る想いで見つめてきたのだ。14も年下のそれも少年にこんな気持ちを抱くなんて、自分でも信じられなかったが、それでもその想いは大きくなりこそすれ決して消えることはなくロイはずっと必死の思いでハボックへの気持ちを押し込めてきたのだった。それなのに。
『ずっと好きだったんだもん』
 まるで迷うことなく告げられた言葉にロイの心がつきりと痛む。
「馬鹿なことを…」
 ハボックは自分がどんな思いを抱いているのか全く判っていない。『好き』などという簡単な言葉で括ってしまえるほど単純な気持ちではないのだ。好きだから、その全てを奪ってしまいたい。頭の上から脚の先まで、全てを奪って自分の物にしてしまいたい。ロイは自分の中の醜い欲望から必死に目を逸らすと、ぐっと唇を噛み締めた。

「ハボック…」
 ロイは玄関を開けるとそこに立っていた少年の姿にため息をついた。
「メシ、持ってきたんス。まだ食べてないでしょ?」
 空色の瞳を輝かせてそう言う少年にロイは眩暈がする。ハボックはそんなロイに気づきもしないでさっさとロイの脇をすり抜けるとダイニングへと入っていってしまった。
「母さんと一緒に作ったんスよ?アンタに食べてもらいたくて」
 ハボックはそういいながらロイの言葉を待たずにテーブルの上に食器を広げた。
「そのうち一人で作れるようになったら毎日作りに来ますね」
 にこにこと笑うハボックにロイはぐっと掌を握り締めた。学校でもずっとなじめなくて乱暴者の一匹狼で通しているハボックが、自分だけに懐くのがただ単純に嬉しかったのはいつの頃だったろう。
『あのジャンがこんなに懐くのなんて、マスタングさんだけですわ』
 そう言って「ジャンをお願いします」と頭を下げたハボックに良く似た母親の姿を思い出してロイは緩く頭を振った。
 このままではいけない。このままではきっといつかハボックを傷つけてしまう。ハボックの自分への気持ちは、まだ本当の恋を知らない子供のただの淡い憧れに過ぎないとロイは思う。今ならまだ間に合う、ロイはそう思いながら楽しそうに笑うハボックを見つめた。

「まだ帰ってない…」
 ハボックはそう呟くと玄関前の階段に座り込んだ。ここのところロイは夜遅くなってもなかなか帰ってこなかった。ロイに会いたくて会いたくて、ハボックは毎日夜遅くまでロイの家の玄関先で待っていたのだが、それでも全く会えずに流石に一晩中待っているわけにも行かず、がっかりと家に戻る日々が続いていた。
「オレのこと、嫌いなのかな…」
 ハボックは涙を滲ませてそう呟いた。小さい時からずっとロイが好きで、ロイが綺麗な女の人とデートをしているのを見るたび胸が痛んだ。ずっとずっと好きだった。誰にも渡したくないくらい。やっとの思いで気持ちを伝えたのに、ロイは「15の子供が」なんて言う。
「もう、子供じゃないのに」
 ハボックはそう呟くといきなり立ち上がって家の裏手へと回っていく。
「もう、子供じゃないんだから」
 ハボックはそう言うと目の前の窓を見上げた。


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