baby blue typhoon  前編


「ジャン・ハボック少尉はいる?!」
 バンッと開いたドアと同時に飛び込んできたその声に、司令室の面々が驚いて顔を上げる。中でも一番驚いた呼ばれた名の本人、ハボックは扉のところに立つスラリとした姿にギョッとして目を瞠った。
「ク、クリス?!」
 なんで、ここにっ?と目をむくハボックにカッカッとヒールの音も高く近寄ると、金髪碧眼の美女はハボックの耳をむんずと捻りあげた。
「いてえっ、いててててっっ」
「一緒に来なさいっ!」
 容赦なく耳を捻り上げられて、ハボックは仕方なしに席を立つ。そのまま引き摺られるようにハボックが司令室を出ていくと、それまで水を打ったように静まり返っていた司令室の中がざわっとざわめきたった。
「あれ、誰ですか?」
 目をまん丸に見開いてフュリーがそう聞けば、ファルマンはさあと首を傾げる。
「ブレダ少尉なら知ってるかもしれないけど…」
 そう言ってファルマンはいつもならそこに座っている筈の恰幅の良い上司の席を見た。ハボックとは幼い頃からの友人で、ハボックのことならおそらくは知りたくもないことまで知っているブレダは、生憎昨日から風邪で病欠だ。ファルマンはフュリーと顔を見合わせると、二人してあの美女はハボックの一体なんだったんだろうと首を傾げるのだった。

 嵐のようにやってきた美女がハボックを連れ去ってから10分ほど経って、がちゃりと扉が開くとロイが入ってきた。ロイは可愛い部下で恋人でもあるハボックの姿がその席にないのを見ると、露骨に眉を顰める。
「ハボックは?」
 たしか、今の時間、訓練などの予定は入っていない筈だ。ループのような話し合いを続けるうんざりする会議をなんとかやり過ごして、今日はもう、愛しのハボックをとっととお持ち帰りして疲れた心を癒そうと、司令室に戻ってきたというのに肝心のハボックの姿が見えないのでは話にならない。不機嫌にハボックの行方を問いただすロイにフュリーとファルマンは顔を見合わせた。
「はあ、それが…」
 と、ファルマンがどう説明したものかと口を開きかけた時、司令室の扉が開いて先程の美女が入ってきた。「あっ」と目を見開くフュリー達を尻目に、美女はロイをヒタと見つめると口を開いた。
「ロイ・マスタング大佐?」
 まっすぐに見つめてくる空色の瞳を、どこかで見たような気がしながらロイは答えた。
「ええ。どこかでお会いしましたか?」
 貴女のような美女なら忘れる筈はないんだが、とにこやかに笑って言うロイをギッと睨みつけると、美女はビシリと指を突きつけた。
「おだまりっ!この人類の敵のエロオヤジ!ジャンは南方司令部の司令官付護衛官として連れて行きますからそのつもりで!」
 美女の口から発せられた穏やかでない言葉に、ロイの眦がつりあがる。
「なんだとっ?!一体何の権限でもってそんなことを言うんだっ?!」
「私は南方司令部司令官付一等秘書官のクリスティーヌ・マーシャル。先日負傷したうちの護衛官に代わる人材を探しているの。ハボック少尉はこんなところにおいておくより、うちの方が適材適所だわ」
腰に手をあててつんと顎を反らしてそう言う美女にロイはムッと眉を顰めた。
「こんなところ、とはなんだ、こんな所とは。秘書官の分際であんまり失礼なことをいうと、上官侮辱罪でぶち込むぞ」
「煩いわねっ、こんな所だからこんな所と言って何が悪いのっ?!」
「なにっ?!」
 今にも掴みかからんばかりに声を荒げる2人の様子に、ファルマンたちがなんとか口を挟もうとオロオロしていると、司令室の扉が勢いよく開いた。
「クリスっ!いい加減にしろよっ」
 飛び込んできたハボックがクリスと呼んだ美女の腕を取る。
「もう、やめろって」
「煩いわねっ、アンタは黙ってなさい!」
「ハボック!お前、この失礼な女と知り合いなのか?!」
「失礼とは何よっ!」
「失礼だろうが!」
「なんですって!このエロオヤジ!!」
「なんで君にエロオヤジ呼ばわりされなきゃならないんだ?!君に何かしたか?!」
「したわよっ!」
「クリスっ!もういい加減に…!」
 必死に引きとめようとするハボックの手を振りほどいてクリスはロイに向かって怒鳴った。
「よくも私の弟に手、出したわね!!」
 その一言に司令室の中がシンと静まり返る。
「お、弟…?」
 ロイが口をあんぐりとあけてまじまじとクリスを見つめた。確かに言われてみればクリスと彼女の後ろに立ったハボックはよく似ている。ハボックは怒りに震えるクリスの腕を取ると、司令室の外へと促した。
「たいさ、後で」
 ハボックは扉を閉める寸前に振り向いてそう言うと、呆然と立ち尽くすロイをそのままに司令室を出て行った。

「クリスは上から2番目の姉なんです」
 夕焼けに染まるイーストシティの街並みを見下ろして、屋上の手すりに身を持たせかけたハボックが言った。
「確かに、どこかで見た瞳の色だと思ったよ」
 ロイはそう言うとハボックの空色の瞳を見つめる。ハボックは小さく笑うと、街並みに目を戻した。
「オレは末っ子でたった一人の男の子でしたから。酷く頼りなく見えたんでしょうね。ガキの頃から何かにつけて世話焼いてくれて。オレが士官学校に入ったときは随分心配したみたいっスけど」
「で、今回の騒動はどういうことなんだ?」
「今、こっちに南方司令部の事務次官やらなにやらが来てますでしょ、どうもそれにくっついて来てたらしいんスけど」
 オレも全然連絡とってなかったから知らなかったんだけど、とハボックは言葉を続け、
「で、こっちに来て、オレに会えると思って、そのついでに司令部の中でオレの様子を聞いたらしいんですがね、そしたら大佐とのことを耳に挟んだらしくて…」
 ハボックはそう言うとやれやれとため息をついた。ロイもさっきのクリスの剣幕を思い出し、ふうとため息を洩らす。
「弟に手を出した、か…」
 ぽつりと呟くロイにハボックは街並みに向けていた視線をロイに戻した。
「クリスが言ったことは気にしないで下さい。知らなかったから動揺しただけだと思うし。それに別に、大佐が一方的にどうこう、って訳じゃないんだし」
 合意の上なんだから、と夕日に照らされているからではなく、顔を紅く染めて言うハボックに、ロイは微笑んだ。
「ハボック…」
 腕を伸ばしてハボックの頭を引き寄せる。2人の唇が重なろうとした瞬間。
「ストーーーーップ!!!」
 突然降って沸いた怒鳴り声に凍りついた2人の体を、屋上に駆け込んできたクリスがベリッと引き離した。
「クリス!」
「ちょっと、私の弟になにすんのよっ!」
 ハボックを後ろに庇ってロイを睨みつけながらそう言うクリスに、ロイはムッとして言う。
「恋人にキスしようとして何が悪い」
「こっ、恋人ですってぇっ!」
 クリスはロイの言葉に目をむくと、次の瞬間すごい剣幕で怒鳴り散らした。
「ふざけんじゃないわよっ!アンタの性癖をどうこう言うのは勘弁してあげるけど、ジャンをアンタに渡す気はさらさらありませんからねっ!ジャンは私が帰る時に連れて行くわ!」
「ハボックの上司は私なんだが」
「アンタの下でなんて働かせられるもんですか。どうしてもっていうなら退役させてでも連れて帰るわ」
「クリスっ!」
 ハボックの意思などまるで無視したクリスの言葉に、ハボックが声を荒げる。
「行くわよ、ジャン」
 クリスはそう言うと、ハボックの腕を掴んで歩き出した。困り果てた顔で自分を振り向きながら屋上を出て行くハボックの背を見送って、ロイは眉を顰めて立ち尽くしていた。

 今日は帰れそうにない、とハボックの電話を受けたロイは自宅のリビングで憮然として座り込んでいた。自分とハボックのことは別段隠し立てしているわけではないので、賛否両論あるとは言え、知ってるヤツは知っている。それをネタに足を引っ張ろうとする輩がいないとは言わないが、ロイにしろハボックにしろ軍人として優秀である限り、嫌味を言われこそすれ、そうそう問題になるネタでもなかった。
「それがこんなところで引っかかるとは…」
 ロイは苦虫を噛み潰したような顔で呟く。確かに自分の弟が男にどうこうされていると知って嬉しいと思う人間はいないだろう。だが、自分達は真剣に付き合っているのであり、ロイにとってもハボックは誰よりも大切な存在で、姉が何を言おうと、今更引き下がるつもりなどさらさらなかった。
「100%認めてくれなくてもいいんだ。わかってくれさえすれば…」
 賛成ではなくても黙認してくれればいい。いままでもこれからも、ロイはハボックを大切にするつもりだし(多少は暴走して、ハボックを泣かせたりはしても)だから、何も言わずに見守ってくれはしないだろうか。
「だが、今日のあの調子だと…」
 ハボックの話だと、あのクリスティーヌという姉は、ハボックの姉達の中でもかなり、らしい。自分に厳しく、他人にも厳しい。自分に絶対的な自信があるだけにどうにも人の言う事に耳を傾けない所があるようだ。
「まったく、はた迷惑な性格だ」
 自分のことは棚に上げてそう呟くと、ロイはこの先どうしたらよいか思案をめぐらせるのだった。

「あのね、クリス。オレの話も少しは聞いて…」
「だから、アンタはあの男に騙されてんのよ」
「騙されてるって…仮にもオレの上司なんだけど…」
「そうよ、上司の癖に部下に手を出すなんて以ての外だわっ!」
「いや、だからね…」
 ハボックはクリスがイーストシティにいる間泊まっているホテルの部屋で、座り込んだ椅子にめり込みそうなほどがっくりとしていた。昔から人の話を聞かないほうだとは思っていたが、こと今回の事に関しては全く聞く耳を持たない。確かに男同士であるということで抵抗があるとは思うが、自分がどれほどロイを好きなのか、聞いてくれてもいいと思う。
 騙されてなどいるはずもなく、強引に手を出されたわけでもない。
「あのさぁ、クリス…」
「とにかく、アンタは私と一緒に南部に行くのよ。いいわね」
 いくら一介の少尉とはいえ、そんな簡単に連れて行けるはずもないのに、とハボックは思う。
(クリスみたいのが秘書なんて、南方司令部もさぞかし…)
 大変だろうと思わず同情しつつも、まず自分たちのことをなんとかしなくてはと思うハボックだった。


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