wedding band 第五章
「昨夜はよく眠れました?」
ロイがダイニングに入って行くとキッチンで忙しく働くアニタがにっこりと笑って言う。
「ええ、おかげ様で。」
「もうすぐ朝ごはんできますから、ちょっと待って下さいね。」
そう言われてロイは窓辺に近寄ると外を見た。バウバウと犬の鳴き声が聞こえてそちらへ目をやると、ハボック
が大きなふさふさした毛の犬と一緒に走ってくる。
「マロンっ」
ハボックがそう言うと犬はハボックに纏わりつくようにハボックの周り回った。その毛をわしわしと愛しそうに撫でる
ハボックは不意に犬に圧し掛かられて地面に倒れこむ。
「おいっ、こらっ、マロンってばっ」
ベロベロと顔中舐められてゲラゲラと笑うハボックをロイは半ば呆れた目で見つめていた。
「犬が犬とじゃれてる…」
「ロイさんっ、おはようございますっ」
背後から元気のよい声が聞こえてロイが振り向くと、ビリーが満面の笑顔で立っていた。
「おはよう、ビリー。」
「何見て…あ、マロン。」
「あの犬はここの家の?」
「ええ。みんな家を出ちゃって淋しいからって母さんが。まあ、番犬代わりにもなるし。」
ビリーがそう言った時、ハボックがダイニングに入ってきた。
「母さん、マロンの食事っ…あ、大佐、おはようございます。」
ちょっと気まずそうに、それでもにこりと微笑んで言うハボックにロイも微かに笑うと返事を返す。ハボックはそんな
ロイの様子にホッとしたように笑うと、アニタから餌入れを受け取って部屋を出て行った。
「さあ、私達も食事にしましょう。」
そう言われてそれぞれに席につくと食事を始める。ロイは色とりどりに並んだ朝ごはんを前に感心したように
呟いた。
「ハボックが毎日しっかり朝ごはんを作るのはいつもこういうのを食べていたからなんだな。」
その言葉をしっかり聞いていたビリーが眉を顰めてロイに聞く。
「ロイさん、よくそんなこと知ってますね。朝ごはん作ってるなんて。」
そう言われてロイが慌てて言い繕う。
「前に朝ごはんをどうしてるかって話が出たんだよ。アニタ、このヨーグルト、お手製?」
話を逸らすようにアニタに話しかけるロイをビリーはじっと見つめていたが、肩を竦めると手にしたパンに齧りついた。
(まさか、ね。)
そうするうちにハボックが戻って来て慌てて席に着く。
パンに齧りつきながら、ロイの世話を焼き始めるハボックの様子にビリーは胸の中にもやもやとしたものが
沸いてくるのを止められなかった。
「ジャン、ちょっと悪いんだけど。」
朝食が済んで、今日はロイをどこへ案内してやろうかと考えているハボックにアニタが言った。
「なに、母さん。」
「これ、父さんのところへ持って行ってくれないかしら。忘れていってしまったの。」
そう言ってアニタは茶色い封筒を差し出す。
「昨日の会合での書類なんだけど、今日いるみたいなのよ。」
「ビリーじゃダメなわけ?」
ゆっくりできるのは今日一日と言うこともあって、できればほんの少しの時間でもムダにしたくない。ハボックが
そう思って聞くとアニタが答えた。
「それがどこに行ったのか姿が見当たらないの。」
「役に立たないやつ…。」
ハボックは顔を顰めながらも仕方ないと席を立つ。そうしてロイを見下ろすと言った。
「すみません、大佐。オレちょっとこれ、父さんのところに届けてきますんで、ちょっと待っててもらえますか?」
「別に構わない。慌てなくていいから。」
そう答えてくれるロイにハボックは笑うと「急いで帰りますから」と言って家を駆け出していった。
「ロイさん、お待たせしました。」
ハボックと入れ替わるようにして姿を現したビリーにロイは目を丸くする。
「ビリー、アンタどこにいたの。父さんのところに持っていって欲しいものがあったのよ。」
そう言うアニタにビリーがすまして答えた。
「ジャンがいるんだからいいだろ。さ、ロイさん、行きましょう。」
そう言って促すビリーにロイは困ったような顔をする。
「でも、ハボックが…。」
「ジャンのこと待ってたら遅くなっちまいますよ。あ、心配なら行く先を幾つか書いておいて置けばどこかで合流
できますし。」
だから先に行きましょうと言うビリーにロイは仕方なしに頷いた。
「メモ、書いておきますからロイさんは上着着て先に出てて下さい。」
「わかった、ありがとう。」
答えてロイは席を立つと玄関に向かう。ビリーはロイの背を見送ると、紙を取り出して文字をしたためた。
「『ジャンへ、ロイさんのことは気にせず、親孝行するように。』…これでよし。」
書いた紙をテーブルの上に置き、中庭にいるアニタに声をかける。
「母さん、俺、ロイさんのこと色々案内するから、昼飯はいらない。」
「あら、ジャンのこと待たなくていいの?」
「いいの。じゃ、行ってくる。」
ビリーはそう言うとロイの後を追いかけたのだった。
「父さん、これ。」
まだ開店前の店の中へ入るとハボックは封筒をダニエルに差し出した。
「ああ、すまん。忘れてたよ。」
「もう、しっかりしてくれよ。」
半ば呆れて、半ば心配してそういう息子にダニエルは苦笑する。
「普段はこんなことないんだ。」
「ならいいけど。」
ハボックはそう言うと店の中を見回した。
「どう?店は上手く行ってるの?」
「ああ、少なくとも母さんと2人で食っていくには困らんよ。」
「もう若くないんだからさ、ムリしないで。何かあったら連絡くれよ。」
そんなことを言うハボックをダニエルは笑って見つめる。
「何言ってるんだ。連絡したところですぐ来られるような立場じゃないだろう、お前は。」
「大佐なら事情を話せばすぐなんとかしてくれるよ。」
ハボックの言葉にダニエルは年若い大佐の姿を思い描いた。
「馬鹿を言え。そんな甘いことを言ってどうする。」
そう言ってダニエルは真剣な表情で続ける。
「お前はマスタング大佐の役に立つことだけを考えなさい。我々のことは自分たちで何とかするから。」
ハボックはそう言うダニエルを見てため息をついた。父の性格はよく判っている。こう言うからには何があっても
自分たちから連絡してくることなどありはしないだろう。
「ごめん、父さん。店を継がないどころか好き勝手してて。」
申し訳なさそうにそう言うハボックにダニエルは笑って言った。
「やりがいを感じているんだろう?お前が信じる道を進んでくれることが一番嬉しいんだよ。」
だから謝ったりするな、と言う父にハボックは感謝する。実際両親に何かあったとして、そう簡単にロイの側を
離れることなど出来るわけはないのだから。
「ありがとう、父さん。」
そう言ってこつんと肩口に頭を寄せる息子の金色の髪をぽんぽんと叩いてダニエルは笑った。
「それじゃあ行きましょうか。」
ニコニコと笑って促すビリーにロイは言った。
「最初にお父さんのお店に連れて行ってくれないか。どういうお店か見てみたいし、それにハボックもそこに行って
るんだから店なり途中なりで会えるだろう。」
そう言われてビリーは内心思い切り顔を顰めたが、実際には表に出さずに答える。
「店ったって田舎の雑貨屋ですからわざわざ見に行くほどのもんでもないですよ。色々見て回れるのは今日だけ
だし、あんな店なんて――」
「ビリー、自分のお父さんの店だろう。そんないい方をするもんじゃない。」
ロイにピシリと言われてビリーは思わず目元を染めた。ロイはそんなビリーにフッと笑いかけると優しく言う。
「駅の近くって言ってたね。行こうか。」
そう言って歩き出すロイに遅れまいとビリーは慌てて歩き出したのだった。
ダニエルと話をして思いの外時間が経ってしまい、ハボックは慌てて店を出る。急いで家に戻ろうとするハボック
が後ろから呼ぶ声に振り向けば、そこにはレティシアが立っていた。
「レティシア。」
「おはよう、ジャン。」
にっこり笑うレティシアにおはようと返しながら、ハボックは内心舌打ちを禁じえない。昨夜のように引き止め
られるのは堪らないとハボックは口を開いた。
「悪い。オレ、急ぐから。」
じゃあ、と言って歩き出そうとするハボックの腕をレティシアが掴む。
「待って、ジャン。ちょっとでいいから。」
ね、と言われて、ハボックは渋々レティシアと向き合った。
「何?」
「こんなところで立ち話もなんだからあっちに行きましょう。」
そう言ってハボックを見たレティシアは、その肩越しにビリーと一緒にこっちに向かって歩いてくるロイの姿に
気がついた。僅かに目を見開いて、だがレティシアはにっこり笑うとハボックの腕に自分のそれを絡める。
「こっちよ、ジャン。」
レティシアはそう言うと、通りから外れた路地の方へハボックを連れて行ったのだった。
「あっ、あれ、レティシアだ。」
並んで歩いていたビリーの声に、ロイは通り沿いの店に向けていた視線を正面に戻す。そのロイの視線の
先で、レティシアがハボックの腕に自分のそれを絡めるのを見て、ロイの足がピタリと止まった。嬉しそうに
ハボックに話しかけながら路地へと消えていくレティシアの姿を、ロイは立ち尽くしたまま見つめる。
「なんだ、やっぱりあの2人、つきあってんじゃん。」
さらりとそういうビリーの声にズキンと胸が痛んで、ロイは踵を返すと今来た道を引き返していた。
「えっ?ロイさんっ?!」
突然戻り始めたロイにビリーが慌ててついてくる。
「どうしたんですか?店、行かなくていいの?」
答えずにずんずん歩いていたロイは暫くして立ち止まると、俯いたままで言った。
「ごめん、ビリー。私は…。」
仲睦まじく腕を組んでいた様子が目の前に浮んで息が苦しくなる。言葉に詰まるロイにビリーはにっこり笑う
と言った。
「こっからだと俺が通ってた小学校が近いんですよ。」
行ってみませんか、と言うビリーをロイは黙って見上げる。ゆらゆらと揺れる黒い瞳に見つめられてドギマギ
しながら、ビリーはロイの肩に手を回した。
「こっちですよ、ロイさん。」
ロイの体温を近くに感じて、ビリーはバクバクいう心臓を必死に宥めながら歩き出したのだった。
→ 第六章