ベクトル  中編


その夜以来、ハボックとロイは肌を重ねるようになった。大抵の場合はロイが誘い、その誘いに乗る形でハボックは
ロイを抱く。仕事中に誘われるままトイレで行為に及んだこともあった。狭い個室で交わる部分だけを出して行う
それは欲望を吐き出す以外の何の意味も伴ないはしない。それでも、こうして体を繋げていればいつか変わることも
あるのかもしれないとロイはハボックを誘い続ける。だがハボックにはロイのそんな想いが伝わるはずもなく、ただ
そんなロイを他の男に触れさせたくない一心だけでロイの誘いに乗っていた。だが、自分の下で喘ぐロイの姿を見る
たび、自分以外の男にもこうしてヤらせているのだという考えに支配されて、ハボックは手酷くロイを抱いた。自分が
快楽を得る為でもなく、ましてやロイに快感を与えてやる為でもなく、ただハボックは他の男のもとへ行かせない為
だけにロイを犯し続ける。言葉を交わすこともなく、ただ荒い息遣いだけが支配する空間で交わる二人は自分の気持ち
を伝える術をもたないまま心から血を流していた。

「あっ…つぅ…」
ロイは立ち上がろうとして下肢に走った激痛に思わず机に掴まった。連日のように行われる獣じみた行為で、出血が
止まらず、微熱も続いていた。ロイが唇を噛み締めた時、ノックの音がしてハボックが執務室へ入ってくる。顔色を
なくして机にすがりついて立っているロイを見た途端、ハボックはその細い体を優しく抱きしめてやりたくなった。だが
実際にはそうせずに、ただ淡々と事務的に口を開いた。
「大佐、そろそろ会議の時間です。」
「…ああ、判っている。」
ロイはゆっくり机から手を離すとそろそろと歩き出す。ハボックの脇を抜けて司令室を通り廊下へと出て行った。ハボック
が後ろからついてくる気配を感じながらロイは廊下を歩いた。目の前がチカチカし、息が上手くできない。ロイは空気を
求めるように軍服の襟に手をやったが、そのまま目の前に広がった黒い空間へとくず折れていった。
階下へ続く階段に差し掛かったところで、泳ぐようにくず折れるロイの体にハボックは慌てて手を伸ばす。力なく伸びる
ロイの手を掴もうと必死に伸ばした指先をすり抜けて、ロイの体は階段を落ちていった。まるで命のない人形のように
重力に導かれるまま階下へとすべり落ちていくロイを、ハボックはスローモーションを見るように見つめる。凄まじい音
が止まり、ロイの体が1つ下の踊り場に投げ出されて漸くハボックの時間は漸くもとのスピードで動き出した。
「大佐っっ!!!」
飛び降りるように階段を駆け下り、ぐったりと横たわるロイの体を、片膝をついた膝の上に抱え上げるとハボックはロイの
首筋に指を当てた。弱く脈打つソコにとりあえず安堵の息を零すとロイの顔を覗き込み必死にその名を呼んだ。
「たいさっ、しっかりして、たいさ…っっ」
「大佐?!」
階段の上からホークアイの叫び声が聞こえる。集まってくる人だかりを押し分けて、近づいてきたホークアイはハボック
に抱えられるロイの様子を見ると「担架を!」と叫んだ。
「…必要ない…」
その時、小さなだがはっきりとしたロイの声が聞こえた。覗き込むハボックの腕を振りほどくようにしてロイはふらりと
立ち上がるとホークアイを見つめる。
「大丈夫だ、中尉。驚かせてすまなかった…」
「大丈夫だなんて何をおっしゃるんです?階段から落ちたんですよ?ちゃんとレントゲンをとって調べないと――」
「必要ない。」
「でも、大佐!」
「必要ないと言ってるんだ、中尉。」
頑固に言い張るロイの顔は人形のように白く、血の気を感じさせなかった。誰が見ても大丈夫だと思えないその姿で
ロイは薄く笑うと、周りに集まっていた人々に軽く手を振った。
「騒がせて悪かった、なんでもないから仕事に戻ってくれ。」
ロイの言葉に、なにか後味の悪いものを残しながらも三々五々散っていく。後にはハボックとホークアイだけが残った。
「会議…だったな。遅刻か?」
そう言って歩き出そうとするロイの腕をハボックが掴んだ。
「医者に行きたくないというなら、せめて休んでください。」
真剣にそう言う青い瞳をロイは見上げる。そういえばハボックの瞳を見るのは久しぶりかも知れないとロイは思った。
毎晩肌を合わせていながら氷のような青い瞳を見ていられなくて、行為の間中目を閉じていたから。
(ああ、こんなに綺麗な青だったのか…)
何も言わないロイにハボックは言葉を重ねる。
「家まで送ります。だから休んでください。」
お願いだから、と囁くように言うハボックにロイは微笑んだ。
「お前がそういうなら…」
ロイの言葉にハボックはホークアイを振り向くと言った。
「中尉、オレが面倒みますから。もし何かあったら絶対すぐに医者に連れて行きます。だから今はオレに任せてもらえ
 ませんか?」
必死の形相のハボックをみつめてホークアイは緩く首を振った。
「階段から落ちたのよ。もし頭でも打っていたら…」
「必ずちゃんとします。様子を見て医者に見せた方がよければすぐにそうします。だから中尉!」
お願いします、と頭を下げられてホークアイはため息をついた。
「本当に?信じていいわね、少尉。」
ホークアイがそう言うのにハボックの顔に笑みが浮ぶ。
「はい、必ず!」
ホークアイはハボックの言葉に頷くとロイを見て言った。
「大佐、少しでも調子がおかしかったらすぐに言ってくださいね。くれぐれも無理をなさらないように。」
「わかっているよ、中尉。」
微笑むロイをホークアイは心配そうに見つめる。それからハボックへ視線を移すと言った。
「頼むわね、少尉。」
「はい。」
ハボックは頷くとロイの背を押して促した。

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