ベクトル  前編


「もう一回言ってみろ、ただじゃおかないぞ。」
ハボックは殴り倒した相手を見下ろして言った。上背のあるハボックは、いつもの人懐こい笑みが消えると凄みが増して
恐ろしく物騒に見える。
「おっ、俺はただそういう噂があるって言っただけで…」
「そう言うこと自体が大佐への侮辱だって言ってんだよ。」
低い声でそう言うハボックに、相手はすっかり縮みあがって地面についた尻でずりずりと後ずさった。
「でも、あの若さで大佐だぜ、将軍達に脚開いてその地位を得たっていう噂もまんざらでも…」
そこまで言ったところでハボックの蹴りが相手の腹部に深く突き刺さった。のた打ち回る男を見下ろすハボックがもう
一発お見舞いしてやろうと腕をあげた時、後ろからその腕を掴むものがいた。
「ハボ、もうその辺にしとけ。」
「…ブレダ。」
「お前も、」
と、ブレダは地面に転がっている男に向かって言う。
「根も葉もない噂をおいそれと口にすんじゃねぇよ。上官侮辱罪でぶち込まれるぜ。」
そう言うとブレダはハボックの腕を引いてその場を後にした。少しいったところでブレダの手を振りほどいて立ち止まる
ハボックにブレダはため息をついた。
「お前もなぁ、大佐のこととなると血相変えんの、いい加減にしとけ。」
「お前は腹立たないのかよ。」
「相手にしなきゃいいだろ。」
むぅと黙り込むハボックの肩をブレダはポンポンと叩く。
「俺達がわかってるんだからそれでいいんだよ。噂なんてのはほっとけ。」
ブレダはそう言うと、おら、行くぞ、と先にたって歩き出した。ハボックは不機嫌な顔でその後に続く。
(でも、イヤなんだ。大佐のこと、そんな風に言われるの…。だって、オレ、大佐のこと…)
ハボックは考えてふるふると頭を振った。考えてもせん無いことを考えようとしてる。ハボックはそう思うと、頭の中で
その考えが明確な形を持つ前に思考の外へと追いやってしまった。

ロイは司令室への階段を上りながら、通路の突き当たりに見慣れた金髪がいるのに気がついた。何をしているのだろう
と覗き込むと、その長身に隠れて可愛い女子職員がいるのが目に入った。あれは確か最近入った受付の女性だ。
可愛らしい顔に似合わぬ見事なスタイルはいかにもハボック好みだと言えるだろう。ロイはちくりと胸が痛むのを感じ
ながら二人の様子を窺った。声までは聞こえないが女性がハボックに白い封筒を渡しているのが見える。あれはどう
見てもラブレターというヤツだ。ロイがじっと見つめる先で、だが、ハボックはそれを受け取らなかった。相手の女性が
悲しそうな表情を浮かべてもハボックはすまなそうな顔をするだけだった。ロイはそんなハボックの様子に知らず胸を
なでおろす。そうして無理矢理二人から視線を逸らすと、階段を駆け上がっていった。

「はい、大佐。どうぞ。」
「ああ。」
ハボックは執務室で書類の山を前にげっそりとしたため息をつくロイの前にコーヒーのカップを差し出した。ロイの好みに
あわせて砂糖とミルクをたっぷり入れたそれを口にして、ロイはホッと息をつく。
「もう、うんざりだ、書類なんて。」
そう言ってぺたんと机の上に頬を乗せる。小さな子供のようなその仕草に、ハボックはくすりと笑った。
「まあ、そう言わず、頑張って下さいよ。」
そう言いながら優しく髪を撫でてくる手に、ロイは気持ちよさそうに目を閉じる。ハボックはそんなロイに思わずキスを
落としたくなる自分を心の中で殴り飛ばした。
(こんなこと考えて、オレは…)
それでもぞくりと湧き上がる気持ちを抑えることが出来ない。
(好きだ…たいさのこと…)
ずっと見ぬフリをしていたロイへの気持ち。でも、おいそれと口にすることも出来ない。ハボックはロイに見えぬところで
僅かに顔を歪めると、自分の気持ちを宥めるようにロイの髪をなで続けた。
「…シチューが食べたい…」
机に懐いたままロイがぽつりと呟く。きょとんとしてハボックが撫でる手を止めると、ロイはハボックを見上げるようにして
言った。
「仕事の後に美味しいものが待っていると思えば、やる気が出るかもしれない。」
「なんスか、それ?」
暗に自分にシチューを作れと言っているのだと察して、ハボックがおかしそうに言う。そんなハボックにロイはムッと
眉を寄せると反対側を向いてしまった。ハボックはそんなロイを愛おしそうに見つめると言う。
「じゃあ今日のメニューはクリームシチューにしましょうか、牛乳たっぷり使って」
ぴくりと肩を震わせてちらりとこちらを見るロイにハボックは猫の姿を重ねて笑い出しそうになるのを必死に押さえた。
「じゃあ、仕事が終わったら大佐のうちに行きますから。他に食べたいもの、あります?」
「…デザートにオレンジケーキが食べたい…」
「いいっスよ。その代わり、仕事、頑張って下さいね。」
「…わかった。」
ハボックは真剣に書類に向かうロイを残して、執務室を後にした。

物凄い勢いで書類を片付けながら、ロイの頭の中にはラブレターを差し出されるハボックの姿が浮んでいた。実は
ハボックが意外にモテる事をロイは知っている。ロイはその事実が許せなくて唇を噛み締めた。ハボックが誰かと
付き合うようになったらどうしようかと思う。今まで、そんなことがないように、ハボックの周りに集まる悪い虫は片っ端
から遠ざけてきた。ハボックに気がある素振りをするやつは男だろうが、女だろうが誘惑し、自分に気持ちが向いた
ところで捨ててやった。自分が実はハボックに惹かれていると気がついたのはいつだろうか。気がついたときには
好きで好きで、でもそんなこと自分から言えるような可愛い性格をしていないことをロイはよく判っていた。それでも、
ハボックが欲しくてたまらなくて、もう、今ではのっぴきならないところまで来てしまっている。このままハボックを
放っておいて誰かにくれてやる気などさらさらない。いっそのこと既成事実を作ってしまったらどうだろうか。ロイは
ふとそんなことを思った。今夜、家に来るというハボックに、自分を抱けといったら彼はどうするだろう。ロイは握り締めた
ペンが止まっていることにも気がつかず、浮んだ考えに沈みこんでいった。

「はい、お待たせしました。熱いから気をつけてくださいね。」
ハボックはそう言いながらロイの前にシチューの皿を差し出す。仕事帰りに食材を買い込んでロイの家にやってくると
ハボックはあっという間に夕飯のメニューを整えてしまった。
「お前、ホントにいいお嫁さんになれるぞ。」
とロイが嬉しそうにシチューに口を付けながらそう言えば、ハボックは顔を顰めた。
「なんスか、いいお嫁さんって。」
「…なんなら私が貰ってやろうか?」
半ば本気で呟いた言葉にハボックは「ヤですよ」とあっさり返す。ロイの瞳が一瞬翳ったのにハボックは気がつかな
かった。
食事を済ませてデザートを食べて、コーヒーを飲みながらソファーで他愛ない言葉を交わす。いつの間にか話は
ハボックの恋愛のことになっていた。
「相変わらずフラレまくっているのか?」
ロイにそう言われてハボックは口を尖らせた。
「別にフラレまくっちゃいませんよ。」
ハボックの恋愛はいつも長続きしなかった。心の中で本当に好きな相手がいるのに付き合ったりするのだから、それも
当然といえば当然なのだが。
「…私が手ほどきしてやろうか。」
「え…?」
低く囁くロイの言葉にハボックは目を瞠る。
「私と寝てみないか、と言っている。」
「た、いさ…?」
ロイはうっすらと微笑むと向かいのソファーに呆然と座り込んだハボックの隣に座った。青い瞳を見つめながらロイは
ハボックの頬を撫でる。びくりと体を震わせるハボックにロイはうっとりと微笑んだ。頬に触れた手を髪に絡ませると
ゆっくりと口づけていく。そのまま体重を預けるとハボックもろともソファーに倒れこんだ。
「ん…」
ロイの舌が口中に入り込んできて舌を絡め取られた時、ハボックの頭の中にかつて聞いた言葉が聞こえてきた。
『将軍達に脚を開いてその地位を得たって…』
その瞬間、ハボックはロイを押し返した。目を見開いて自分を見つめてくるロイにハボックは呟く。
「アンタは…っ」
信じたくない、でも、こんな風に自分を誘惑してくるロイをみたら、ハボックにはとても否定できなかった。
「どうした、怖気づいたか?」
にやりと笑うロイにハボックの心が悲鳴を上げた。だが、ハボックはその声を聞かぬフリをする。そうして乱暴にロイの
肩をつかむと、逆にロイをソファーに押さえつけた。
「アンタ、そんなにオレに抱かれたいんスか?」
僅かに目を見開くロイに冷たく囁く。
「アンタがそうして欲しいっていうなら、いくらでも抱いてあげますよ。」
そう言うとハボックはロイのシャツを力任せに引き裂いた。そうして目に入ったロイの乳首を思いきり捏ねる。
「ひっ」
噛み付くように口付けるとハボックはロイの口中を乱暴に弄った。息苦しさにハボックの腕を掴むロイの手を二つ
いっぺんに掴むと頭上に押さえつける。ぷくりと膨れた乳首に歯を立てるとロイの体が跳ね上がった。
「ひあっ」
びくびくと震えるロイにハボックは薄く笑う。
「酷くされるのがスキなんスか?」
そう言うとハボックはロイのズボンを下着ごと一気に剥ぎ取った。
「あっ…いやっ…」
「イヤじゃないでしょ、嘘つき。」
ハボックはロイの腕を放すと脚を大きく開かせる。煌々とした明かりの下、恥ずかしい部分を晒されてロイは身悶えた。
まだ堅く閉ざされた蕾へ強引に指を差し入れると、ハボックはぐちぐちとかき回す。
「ひっ…い、いたっ」
まだろくに解れていないソコから指を引き抜くと、ハボックは滾る自身を押し当てた。
「ハボっ…やめっ」
みしりと。ロイの蕾がハボックの熱に引き裂かれていく。ロイは目を見開いて喉を仰け反らせた。大きく開かれた唇から
一瞬遅れて悲鳴が迸った。
「ひあああああっっ」
錆びた匂いがハボックの鼻をつく。傷ついたソコから流れる血を潤滑剤にしてハボックは乱暴に抜きさしを繰り返した。
「あっ…ああっ…いたい…うああっ」
痛みのあまり気を失うことも出来ずに、ロイはハボックに揺さぶられるまま力なくその身を任せる。目を開ければ蔑む
ように見下ろしてくる青い目が辛くて、ロイはぎゅっと目を瞑った。ずっと欲しかったハボックにその身を貫かれて
ロイは涙を零した。震える腕を伸ばしてハボックの背をかき抱く。その瞬間びくりと震えたハボックに次の瞬間思いきり
突き上げられてロイは悲鳴を上げた。自分から望んでハボックに抱かれているのに痛みしか伴わないその行為は体
だけでなくロイの心も傷つけていく。それでも自分の気持ちを伝える術を知らないロイは、体を開くこと以外にハボック
を手にする方法が思い浮かばなかった。乱暴に揺さぶられながらも必死にハボックの体に縋りつき自ら唇を合わせる。
ロイにとってハボックへの気持ちを伝えたいその行為も、しかし、ハボックにとっては噂を肯定するものにしかなり得な
かった。ロイが出世の為にその身を投げ出しているという噂がどれほどまことしやかに流れてきても、そんなことは
絶対にないと信じていただけに、自分を誘うロイの言葉はショックだった。ロイの言葉の裏に、ハボックを見つめる黒い
瞳に隠されたものに気づくことが出来ないほどにそのショックは大きくて、その分ハボックは乱暴にロイを抱いた。
ロイを想う気持ちが強ければ強いほどロイを引き裂きたい気持ちも大きく膨れ上がっていく。こんな風に自分以外の
男にも抱かれているのだと思うとハボックは大声で叫びだしそうになった。相手を想う気持ちはお互いの方へ向いて
いるはずなのにそのベクトルは絡みあうことはなく、互いへの気持ちを抱きしめたまま二人は体だけを繋げていた。


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