運命は突然やってくる。   第一章


「やべ…、遅くなった!」
花屋で両腕に一抱えもあるほどのバラの花束を買ったハボックは、慌てて店を飛び出した。片手に持った
大きな花束を肩に載せるようにして、長い脚をフルに使って大股に歩いていく。ハボックは少し前から
付き合い始めたリンダとのデートに向かうところだった。この春ジュニアハイを卒業したハボックは、生まれ
育った町を出て、士官学校に入学することになっていた。残された入学までの短い期間に、少しでも
親しくなっておこうとここのところせっせとデートを重ねているのだ。今夜、リンダの両親は親戚の結婚式で
南部へ出かけていて帰ってこないと言う。なので出来ることなら今夜なお一層、お近づきになれたらなどと
密かに思っていたりする訳で。その下準備としてのどデカイ薔薇の花束だったりするのだが。
「花ってなんであんなに高いんだよ…」
ハボックはそうぼやくと花束を揺すりあげた。思ったより花束に金がかかってしまい、財布の中身が淋しく
なってしまった。
「メシ、外で食わないで手料理が食べたいって言ったらまずいかな…。」
外食するより材料を買った方が安く済みそうだ。ハボックはそう考えて頭を振った。以前付き合っていた
女の子が手料理をご馳走してくれると言うので彼女の自宅に行った時、そのあまりの手際の悪さに思わず
手を出してしまい、しかもハボックの方が格段に料理の腕が良かった為、思い切り相手を怒らせてふられて
しまったのだ。
「やっぱ手料理はマズイっしょ。」
なまじ料理が出来るだけに同じ轍を踏みかねない。
「女の子ってめんどくさいよなぁ…。」
妙にプライドが高くていろんなことを要求して来るくせに、自分には何もしてくれないのだ。ハボックは通り
添いの店先の時計を見て軽く舌打ちした。
「遅刻だ。また文句言われる…。」
待ち合わせには必ず男が先に行って待っていなくてはいけないらしい。ハボックは行く手に視線を戻そうと
して、ふと反対側の歩道に目をやった。そしてそこに佇む人物に吸い寄せられるように目が釘づけになる。
ハボックは脚が止まっているのにも気が付かず茫然とその人を見つめた。すらりとした体つき、そよぐ風に
さらさらと揺れる艶やかな黒髪、大理石の肌に漆黒の瞳。淡い薄紅色の唇はうっすらと微笑んでいる。
まるで周りの景色が突然モノクロになって、彼だけを天然色に染め上げたように、ハボックの目にはもう
他の景色など入っては来なくなってしまっていた。ハボックは無意識の内に通りへと踏み出していた。途端、
クラクションの音と怒声が響いたがハボックの耳には入ってこない。ふらふらと通りを渡ったハボックは
その人物の前に立った。
(あ、いい匂いがする)
綺麗な人はいい匂いがするもんなんだとハボックがぼんやり思っていると、見つめる相手が訝しむように
ハボックを見返してきた。その瞳にハボックの心臓がトクンと音を立てる。何も言わずに見つめてくる
ハボックに相手は困ったように首を傾げた。
「何か?」
耳に心地よい甘いテノールにハボックは聞き惚れる。じっと見つめてくる空色の瞳にますます居心地悪そう
に瞬くと、その人は再度口を開いた。
「あの…」
その時ハボックの腕がスッと動いて手にした花束を差し出した。驚いた相手は花束とハボックの顔を交互に
見比べる。
「私に?」
コクンと頷けば遠慮がちに手を伸ばして花束を受け取ってくれるその人に、ハボックが何か言おうとした時。
「おい。」
突然かかった声にそちらを振り向けば常磐色の瞳が二人を見ていた。
「何やってる、どこに行ったのかと思っただろう。」
「すまん、ちょっとそこの骨董品屋を覗いてた。」
その答えに男が顔をしかめる。
「こんな田舎の骨董品屋なんてろくなもんないだろう。」
男はそう言うと先に立って歩きだした。
「行くぞ、列車に遅れる。」
そう言われてハボックに微笑むと小走りに男を追い掛けていく後ろ姿をハボックは茫然と見送っていた。

ヒューズは立ち止まるとロイが追いついてくるのを待つ。その手が抱える大きな花束を見て顔を顰めた。
「なんだよ、それ。まさかアイツに貰ったのか?」
「ああ。」
「なんで?知ってるヤツか?」
「いや、初対面。」
そう言うロイにヒューズが目を瞠る。
「初対面のヤツに花束なんて貰ったのか、何でだ?大体お前、男からは絶対に貰わない主義だったろ?」
驚いて聞いてくるヒューズにロイ自身も首を傾げた。
「さあ、何でだろうな。」
まっすぐに見つめてくる空色の視線に、差し出された花束を断ることなど思いつかなかった。
(綺麗な青だった…)
ロイはそう思って花束を差し出してくる空色の瞳を思い浮かべる。名前も聞かなかったことが何となく
悔やまれて、ロイはそうすることで再びあの空色に逢えるとでも言うように、花束に顔を寄せたのだった。

「それじゃ私にくれるはずの花束、見ず知らずの人にあげちゃったの?!」
「うん…」
「信じらんないっ!」
立ち去っていく後ろ姿を暫く茫然と見送った後、ハボックがようやく待ち合わせ場所に着いたときには、約束
の時間はとうに過ぎていた。手ぶらで現れたハボックにリンダが花束はどうしたのかと聞けば偶然あった
見ず知らずの人にあげてしまったのだと言う。
「なんでそんなことしたのよ?!」
「なんでって…あげたくなったから。」
「なによ、それっ!」
リンダはぼうっとして立っているハボックを睨みつけると言った。
「恋人の私よりその人にあげたいって、どういうことよっ?!」
「すごい綺麗な人だったんだ…」
ハボックの言葉にリンダは一瞬息を飲むと、ブルブルと震えだす。
「それって私のほうがその人より劣るっていう意味…?!」
「うん…リンダなんか全然目じゃないかも…」
ハボックがそう呟いた瞬間、パアンとハボックの頬が鳴った。
「さいってぇぇっっ!!アンタなんて最低よっ!!だいっキライっっ!!」
そう叫ぶとリンダはバタバタと走り去ってしまう。ハボックは思い切り叩かれた頬にそっと手をやってため息を
ついた。
「綺麗な人だったよなぁ…。」
そう呟いて瞳を閉じる。その目蓋に浮んだ姿にハボックはうっとりと微笑んだ。
「男の人であんな綺麗な人、いるんだ…。」
叩かれた頬はジンジンと物凄く痛かったが、正直ハボックにはその痛みすらどこか遠いものに感じられた。
さっきまでもっとお近づきになどと思っていたはずのリンダのことはきれいさっぱり頭から抜け落ちていた。頭
にあるのはさっきあったあの人のことだけで。ふらふらと歩き出したハボックの脚は段々と早くなり、先ほど
花束を渡した場所にたどり着いた頃にははあはあと息を切らしていた。
「いるわけ…ないよな。」
ハボックは膝に手を当ててはああ、と大きくため息をついた。
「ちきしょ、あの男が来なければ…。」
突然現れたメガネをかけた目つきの悪い男が彼を連れ去ってしまわなければ、名前くらい聞けたかもしれない。
「くそっ、列車に遅れるとか言ってたよな。」
と言うことは、どこか遠くからきたということだろう。
「もう、逢えないのかな…。」
そう口に出した途端鼻の奥がツンとなる。
「…も一回逢いたい…」
ハボックはそう呟くと道端に蹲ってしまったのだった。


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