年下のオトコノコ 中編
会議室でキスをしてから、ハボックは度々キスをしてくるようになった。ヒューズがいるのだからと、拒まなくてはいけない
と頭では思っているのに、あの空色の瞳に見つめられると身動きすることが出来ず、ハボックの望むままに唇を重ねて
しまう。自分が何を思ってどうしたいのか、まるで判らずにただ時間だけが過ぎていった。
「お前、最近おかしいぞ、ロイ。」
久しぶりにイーストシティに出てきたヒューズが執務室のソファーに座ってそう言った。
「電話してもどこかうわの空だし。何かあったのか?」
そう聞いてくるヒューズに返す言葉を見つけられず、ただ曖昧に微笑むしかない。そんな自分をヒューズはしばらく
見つめていたが、やがて口を開くと言った。
「今夜はお前の家に泊めろよ。」
「えっ?」
思わずそう声を漏らしてしまった自分にヒューズはむっとした顔をする。
「なんだよ、気に入らないのか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
ヒューズは眉を顰めてじっと見つめてきていたが、ソファーを立つと扉へと向かった。
「今夜、行くからな。」
そう言って執務室から出て行くヒューズの背中を見送って、どうしていいか判らずに立ち尽くした。
夜もだいぶ遅くなってから家にやってきたヒューズは、挨拶もそこそこに自分を抱きしめてきた。強く抱きしめてその
腕の中に自分を閉じ込めると唇を合わせてくる。ハボックと違うその感触に背筋をぞくりと何かが駆け抜けた。その
何かに思わずヒューズを押し返すと、ヒューズがその常磐色の瞳に怒りを乗せて見つめてきた。
「ロイ…っ」
何を言っていいのか判らずに視線をそらす自分の顎をぐっと掴むと、ヒューズは低い声で言った。
「何が気に入らないんだ、はっきり言えよ。」
「気に入らないことなんて何も…」
「だったらなんだって言うんだっ」
気に入らないことなんてある訳がない。いつだって自分を支えてくれたのはヒューズだった。ヒューズだから好きに
なったのだ。なのにどうして心がついていかないんだろう。ずっとヒューズに向かっていたはずの心はどこかに置き
去りにされて、どこへむかったらいいのか判らずに、立ち竦んでいる。
「ロイっ」
何も答えない自分に焦れたヒューズが圧し掛かってくる。支えきれずにソファーに倒れこんで、覆いかぶさってくる体
に、ぞくりと体が震えた。
「いやだっ」
無意識に零れた言葉にヒューズがカッとなるのが判った。ヒューズの手がシャツの襟元に伸びたとき、電話のベルが
鳴った。
「「っっ?!」」
凍りついたようなヒューズの腕から抜け出して受話器をとる。電話の相手は当直の士官だった。
「マスタング大佐。お休みの所申し訳ありません。西地区で大規模な爆発事故が発生いたしました。ちょうど夜勤で
詰めていたハボック少尉がとりあえず集められる人員を連れて現場に向かっています。申し訳ありませんが大佐も
至急…。」
「判った、すぐいく。」
受話器を置くとすぐ側に立つヒューズを振り返った。
「なんだ?」
「西地区で爆発事故があったらしい。ちょっと行ってくる。」
「待て、俺も行こう。」
そう言うヒューズと共に夜の街へと駆け出していった。
司令室に入ると既に情報が集まり始めていた。爆発があったのは西地区の薬品工場で、保管されている薬品に引火
していまだに爆発が続いているらしい。近くの住民達には非難指示が出ているが、夜であることもあり現場はかなり
混乱しているようだった。
「ハボックから連絡はあったのか?」
そう聞けば
「まだです。」
とそっけない返事が返ってくる。司令室の窓から西の空を望めば、暗いはずの空がオレンジ色に染まって火災が続いて
いることを知らせていた。あの空の下で金色の髪に炎の色を映して走り回っているであろう男を思い浮かべて、居ても
立っても居られなくなる。軍服の裾を翻して司令室を出ようとすると、ヒューズが扉の前に立った。
「どこに行く気だ?」
「…判ってるんだろう?」
「お前は司令官だろう。司令官が現場に行くべきではないことくらいよく判っているんだろうが。」
「ヒューズ、行かせてくれ。」
「ロイ。」
「頼む。」
ヒューズはしばらく黙っていたが1つため息をつくと言った。
「仕方ないな。だが、俺も行くからな。」
そういうヒューズに小さく頷いて司令室を飛び出した。
赤々と燃える空の下、沢山の人間が走り回っていた。手近の憲兵を捉まえては目指す人間の居場所を問いただす。
だが返ってくるのは判らないという言葉ばかりで、望む答えは得られなかった。焦りが募ってもう、どうしたらいいのか
判らなくなってきた時、言い争うような声が聞こえてそちらに足を向けると見覚えのある男が憲兵達と言いあう姿が
見えた。
「どうした?」
と近づきながら声をかけると、驚いたような顔をしてこちらを振り返った。
「マスタング大佐っ?」
慌てて敬礼をしようとする相手を制して報告を促す。
「それがっ、ハボック少尉が中へ…」
そう言って男は赤々と燃え上がる建物を指差した。
「どうしてそんなことをっ?!」
詰め寄るようにしてそう問えば、男は青ざめた顔で答えた。
「近所の子供が中に入ったって通報が。なんでも飼い猫が迷い込んだとかで、母親がちょっと目を離した隙に…」
「そんな…っ」
凄まじい炎を上げて燃え上がる建物に血の気が引いていく気がする。その時叫び声が聞こえて背後からぐっと腕を
引かれた。
「下がれっ!また爆発するぞっっ!!」
ゴオ―――ッッ!!
熱風が押し寄せて髪が僅かに焦げる匂いがする。空気が一瞬薄くなったような気がして。
ドオオオ――――ンンッッ!!!
大きな爆発音が響いて目の前の建物のガラスというガラスが一遍に吹き飛んで炎が燃え上がった。
「ハボックっっ!!」
建物に向かって走り出そうとする体を誰かが背後から引きとめる。邪魔をする相手を思わず睨みつければ、炎に顔を
紅く染めたヒューズだった。
「放せっっ!!」
「馬鹿言うなっ!」
なんとかヒューズの腕を振りほどこうと暴れる自分の目の前で建物がゆっくりと崩れ落ちていく。信じられないものを見る
ように、スローモーションで過ぎる現実に心が凍りついた。
「ハボーーックっっ!!!」
へなへなとその場に座り込む自分を抱え込むようにヒューズが腕を回してきたのにも、殆んど反応することが出来な
かった。燃え上がる炎も、吹き付ける熱い風も、もう何も感じることが出来なくて。信じたくないと叫ぶ心だけが全てに
なっていく。その時、声を上げることも出来ずに崩れた建物を見つめる視線の先に、ゆらりと立つ影が映った。
軍服のあちこちに焼け焦げを作り、輝く金髪を煤で汚して、片腕に猫を抱えた子供を抱いて、ソイツは自分の姿に
気がつくと水色の目を瞠って首を傾げる。
「あれ?なんで大佐がここにいるんスか?」
のほほんとしてそう言うハボックに全身から力が抜けたと思った次の瞬間、カァっと頭に血が上った。
「お前…っっ」
ハボックは抱えていた子供を地面に降ろすと駆け寄ってきた母親に引き渡す。子供を抱きしめながら何度も何度も
礼をいう母親に手を振るとのんびりした足取りで近づいてきた。
「大丈夫っスか?ここ、空気悪いから気分悪くなっちゃいました?」
薬品燃えるとすげぇ匂いですよねぇ、などととぼけたことを言うハボックに益々頭に血が上ってガバッと立ち上がると
ハボックの襟首を掴んだ。
「お前はっ、何考えてるんだっ!!ヘタしたら死んでたんだぞっ!!」
ぐいぐいと締め上げながらそう怒鳴れば、ハボックはきょとんとしたがそれから笑って言った。
「でも、死ななかったでしょ?」
水色の瞳が優しく微笑んで。
「大体、まだアンタを口説き落とせてないのに、死んでられませんよ。」
軽い口調でそんなことを言うハボックに、思わず涙が零れた。
「えっ?ちょっと、たいさ、どうしたんスかっ?」
ハボックの胸に顔を埋めて泣き出した自分に、ハボックがオロオロと腕を振り回す。
「ど、どうしようっ、あっ、中佐っ!大佐、どうにかしてくださいよ〜っ」
ハボックの言葉に慌てて顔を上げて後ろを振り向けば、ヒューズがなんとも言えない表情を浮かべてこちらを見ていた。
「ヒューズ…」
「…そういうことか。」
「そういうこと、って、中佐?何とかしてくださいよ。」
「ぬかせ。お前が何とかしろ。」
ヒューズはそう言うと背を向けて行ってしまう。「ゴメン」と呟いてハボックの背に腕を回してぎゅっと抱きしめれば、
戸惑いながらも抱き返してくれるハボックに零れる涙を止められなかった。
一晩中燃え続けた火災は、夜明けを迎える頃にようやく鎮火した。執務室に戻ってぐったりと椅子に座っていると、
煤けた格好のままのハボックがコーヒーを持って来てくれた。
「お前はこれからどうするんだ?」
コーヒーを啜りながらそう聞けば
「んー、オレは夜勤明けっスから、アパートに戻ってシャワー浴びたら寝ますけどね。」
それから手を伸ばしてカップに口を付ける自分の前髪をかき上げながら言った。
「アンタは通常勤務なんでしょ?中尉に言って少し仮眠した方がいいっスよ。」
結局徹夜だったんだし、ハボックはそう言って手を放した。離れてしまった手を少し残念に思いながらハボックに聞く。
「仕事が終わったら、お前のアパートに行ってもいいか?」
その言葉にびっくりしたように見開く空色の瞳を見ていられなくて目を逸らすと、ハボックが笑う気配がした。
「アンタだったらいつだって歓迎しますよ。」
そう言うハボックを見上げれば優しく笑ってこちらを見ている。
「待ってますから。どんなに夜遅くなっても待ってますから、絶対きてくださいね。」
「…うん。」
ハボックの言葉に小さく頷けば、ハボックが本当に嬉しそうに笑った。
→ 後編