年下のオトコノコ  前編


重なった唇を離して、ふと視線を上げたらびっくりしてこちらを見つめる水色の瞳と目が合った。
(見られた)
と、思った瞬間、ソイツはパッと踵を返して立ち去ってしまう。
「ロイ?」
突然身を硬くした自分を不思議そうに呼ぶヒューズの声に、慌てて笑顔を取り繕った。
「なんかいたのか?」
そういうヒューズに、なにも、と答えて体を放す。物足りなげなヒューズには悪いと思ったが、それ以上どうこうする気に
なれず、アイツが消えていった廊下の方へと歩き出した。

士官学校時代からの友人だったヒューズと、いわゆる恋人同士といった関係になったのは、イシュヴァール戦線に従事
していた頃だった。人間兵器として最前線に送り込まれ、それが自分の選んだ道だったとは言え大勢の人間をこの手
から生まれる焔で焼き尽くし、あの頃の自分は狂気の一歩手前に立っていた。何かの拍子に狂気と正気の境をふらり
と踏み越えてしまいそうな自分を引き止めてくれたのがヒューズだった。ヒューズの腕の中では自分を苛むあらゆる
ものが消え去り、自分が自分でいられるような気がした。毎晩のようにヒューズに縋りつき、そのことで自分を保って
いたのだ。それは戦争が終わって二人がセントラルと東方に別れてからも続いていた。以前のように頻繁に会うことは
出来なくなったが、それでも互いに気持ちは続いていたし、会えば必ず体を重ねてもいた。
「ロイ、今夜はお前の家に泊まってもいいだろ?」
後ろからついてきたヒューズが隣りに並ぶと肩に腕を回して言う。甘えるようなその言い方に思わずくすりと笑って
頷けば、嬉しそうに頬にキスをしてきた。流石にこれ以上くっついて歩くわけにも行かず、そっとヒューズを押しやれば
その辺は察してくれて距離を置いてくれた。長年の付き合いでもあり、ヒューズは全部を言わなくても言いたいことを
判ってくれる。その気安さがヒューズといまだに続いている理由なのかも知れない。

がちゃり、と司令室の扉を開いて中へ入ると、机に腰をかけて煙草をふかしながらブレダ少尉と話をするハボックと
目が合った。ハボックは自分の後ろから入ってきたヒューズに気がつくと微かに笑って声をかける。
「あれ、中佐、また来てるんスか?あんまりこっちばっか来てるとそのうちセントラルに席、なくなっちまいますよ?」
「そしたらこっちで雇ってくれよ。」
ヒューズがそう答えると、ハボックはおもいきり顔を顰めた。
「使えない上司は一人で十分っスよ。」
聞き捨てならないことをぬかすハボックに
「使えない上司とはどういう意味だ?」
と聞けば
「誰も大佐のことだなんて言ってないっスよ。」
などと可愛くない答えが返ってきた。今のやりとりからは普段と変わった様子は感じられず、さっき見たことをコイツが
どう思っているのかは窺い知れなかった。かといって、確認するわけにもいかず、執務室に入ると机の上に積み重ね
られた書類の中から目当てのものを探し出そうとがさごそといじっていたら。
「あっ」
書類の山は雪崩をおこして床に崩れ落ちてしまった。
「しまった…っ」
慌てて床に落ちた書類をかき集めていると、ハボックが呆れた顔をして執務室に入ってくる。
「アンタ、なにやってるんスか…。」
「いや、ヒューズに渡す書類を捜そうとだな…。」
「中佐に渡す書類ならこっちにありますけど?」
と、ハボックが指差す先をみればソファーの前のテーブルの上に目的の書類が綺麗にクリップでまとめておいてあった。
「アンタ、昨日、オレに別にしといてくれって山の中から探させたじゃないですか。覚えてなかったんスか?」
信じらんねぇ、とぼそっと呟かれて思わず赤みが差した頬を誤魔化すように「煩いっ」と怒鳴れば、ハボックは肩を
竦めて書類を手に取った。
「はい、中佐。」
そうして、その様子をにやにやと笑って見ていたヒューズに書類を渡すとワザとらしくため息をつく。
「やっぱ使えない上司は一人で十分なんで…。」
「俺はロイとは違って使える上司だぜ?」
「ヒューズ!ハボックっ!」
「なんスか?」
怒鳴る声にも動じもせず振り返ったハボックはさらりと言った。
「どうせ、後片付けをやらせるつもりなんでしょ?いいっスよ、さっさと行ってください。せめて会議に遅れないでくれたら
 それだけでも十分ですから。」
可愛げのない言葉に慌てて壁の時計を見ればあと2分で会議が始まる時間だった。
「すまん、ヒューズ。また後でなっ!」
そう言って、慌てて司令室を飛び出して会議室へと廊下を駆け抜けていった。

長いだけで実のない会議が終わって、執務室に戻ると、さっき崩した書類は綺麗に日付ごとに分類されて机の上に
置いてあった。
(マメなヤツ…)
そう思いながら、ハボックが「本日中」とラベルをつけておいてくれた分の書類を手に取る。中身を確認し、承認のサイン
がいるものには署名をし、いい加減飽きた頃におざなりなノックの音と共にハボックが執務室に入ってきた。
「お疲れ様っス。」
そう言って、コーヒーのカップを机に置く。甘いバニラの香りに疲れが癒されるようで、礼を言うとカップに口を付けた。
そんな自分をハボックはじっと見つめていたが徐に口を開いた。
「アンタと中佐って付き合ってるんスか?」
その言葉にビクリとして見上げれば水色の瞳がまっすぐにこちらを見ている。
「軽蔑するか?」
そう問うと、ハボックはびっくりしたように目を見開いた。
「まさか。」
そう言ってニヤリと笑う。
「むしろアタックしやすくなりました。」
ハボックの言葉の意味が判らずきょとんとしていると、ハボックは笑って顔を近づけてきた。
「だってオレ、ずっとアンタのことが好きでしたから。」
そう告げる青い瞳がじっと見つめてくる。
「でも、アンタは女にしか興味ないと思ってたから黙ってましたけど、でもそうじゃないなら遠慮しません。」
きっぱりとそう言ったハボックの顔が更に近づいて、彼の舌がぺろりと唇を舐めてきた。
「中佐なら相手にとって不足はないです。絶対オレのこと好きにさせますから。」
ハボックは自信満々にそう言ってのけるとにやりと笑って頬にキスを落とし、手を振って執務室を出て行く。自分はと
言えば、ただ呆然とアイツの出て行った扉を見つめることしか出来なかった。

「どした?なんか今日は心ここにあらずってカンジだな。」
ヒューズが肩を引き寄せて髪に唇を寄せて囁いた。それにおざなりな返事を返して昼間のことを思い返す。
『ずっとアンタのことが好きでしたから』
好き?アイツが自分を?そんなこと今まで欠片も感じさせなかったのに。ぺろりと舐められた唇にそっと指を触れると
ハボックの声が浮んできた。
『絶対オレのこと好きにさせますから。』
そう言い切った自信満々な顔を思い出して胸がどきりと鳴った。勝手に決めるな。絶対だなんて、何でそんなに自信
満々なんだ。ぼんやりとそんなことを考えていたら。
「おい、ロイ。」
不機嫌なヒューズの声に我に返った。自分が今どうしているのかを思い出して、慌てて笑顔を作ると心の中からハボック
のことを締め出した。
「ん、コーヒーでも飲まないか?」
そう言って立ち上がると、ヒューズはムッとしたようだった。だが、それに気がつかぬフリで寝室の扉を開けて階下へと
階段を下りる。キッチンに入ってコーヒーを入れていると暫くしてヒューズがやってきた。
「久しぶりに会ったっていうのに、随分つれないじゃないかよ。」
ヒューズはそう言って後ろからやんわりと抱きしめてきた。そんなヒューズに軽くため息をつくと答える。
「少し疲れてるんだ。」
そう言って肩越しにヒューズの頬にキスをすれば、ヒューズが天井を仰いだ。
「仕方ねぇなぁ。じゃあ、今夜は一緒に寝るだけで我慢するか…」
明日には帰るんだけどね、俺、と言いながらもこういう時決してヒューズは無理強いしない。こちらの気持ちを察して
引いてくれるのはイシュヴァールの頃から変わらなかった。それに随分助けられたのも事実ではあるのだが、しかし。
そう考えてふと思った。しかし、なんだ?それになんの不満があるというのだろう。
「ロイ?」
黙ってしまった自分をヒューズが心配そうに見つめてくる。それに小さく笑って返すとコーヒーのカップを手に取った。

「大佐、そろそろ時間っスよ。」
ハボックが執務室の扉を開けると顔を出していった。
「お前な、きちんとノックくらいしないか。」
やんわりとそう諭せばハボックはへらりと笑う。
「大丈夫、大佐以外にはちゃんとやりますから。」
しれっとしてそう言うハボックを軽く睨めば、楽しそうに笑うハボックに胸の中がざわりと波打つ。理由のつかないその
感情に背を向けるようにして、ハボックを追って執務室を出た。

こちらのやる事に文句ばかり言う年寄り連中を相手の会議に、いい加減ウンザリしてそれでもこちらの都合の良い
ように全て話を収めてしまえば、年寄りどもは返す言葉もなく席を立った。連中がぞろぞろと部屋を出て行くのを
見守っていると、中の一人がちらりとこちらを振り向いた。
「イシュヴァールで殺した数だけ貰った勲章で今の地位を得ただけの、ただの人殺しの若造がたいした口をきくものだ。」
ソイツはそう言い捨てると靴音も荒く仲間達の後を追って部屋を出て行った。
「何なんスか、アイツ…」
側に立っていたハボックが腹立たしそうにそう呟いたが、その言葉に何か言い返すことは出来なかった。既に力を
持たない、ただの年寄りの悔し紛れの一言に、相手が意図したよりもずっと深く心の奥に押し隠した傷口を抉られて、
ぼんやりと立ち尽くす自分をハボックが訝しげに見つめる。
「大佐?」
その声にハボックを見返す自分の表情に、ハボックが目を見開いた。それに背を向けて会議室を出ようとした自分の
腕をハボックが掴む。
「待って、たいさっ」
「なんでもないから。」
「そんなワケないでしょうっ!」
ハボックはそう言うと自分の両肩を掴むとハボックと向かい合わせた。
「あんなヤツの言うこと、いちいち真に受けることないっスよ?」
「なぜ?本当のことだろう?」
「たいさっ」
「イシュヴァールで私はこの手で沢山の人間を焼き殺した。武器を持った人間ばかりじゃない、女も子供も年寄りも、
 ほんの少しでも反抗の意思のあるものは見せしめの意味も込めて殺したんだ。その沢山の屍の上に今の私の
 地位はあるんだ。」
「戦争なんだから、それにアンタが望んでしたことじゃないでしょう?責めるのならアンタにそんなことをさせた、アイツら
 年寄り連中を責めるべきでしょうがっ!」
綺麗な水色の瞳を怒りに煌めかせてハボックは言う。だが、お前は知らないだろう?あの場にいなかったのだから。
もしかしたら自分の力を使う事に、私が喜びを感じていなかったかどうかなんてどうして判るんだ?ヒューズはあの時の
自分を知っていて、その上で受け止めてくれた。お前は知らないじゃないか。知らないくせにそんなことを言わないで
くれ。そんなことを考えて、ハボックの体を押しやろうとする自分を、ハボックは突然ぎゅっと抱きしめてきた。驚いて
その腕から逃れようともがく自分を更に強く抱きしめて、ハボックは囁く。
「何も知らないくせに、って顔してますね。そりゃ、オレはイシュヴァールの時のアンタを知りませんよ。でも、それが
 何だっていうんです?今オレの目の前にいるアンタを知ってる、それだけで十分でしょ?生まれてからずっと、
 いろんなことがあって、士官学校をでて、イシュヴァールに行って、その全ての経験が今のアンタを作ってるんでしょ?
 だったら今ここにいるアンタを好きで十分じゃないっスか。オレ、イシュヴァールに行ってないからって中佐に勝てない
 なんてこれっぽっちも思ってませんから。」
まっすぐに見つめてくる瞳から視線を逸らせなくて。
「アンタが好きです。アンタが傷ついて泣いてるなら抱きしめて慰めてあげたい。オレじゃダメっスか?イシュヴァールを
 知らないから?そんなの、クソ食らえだっ!アンタが好きだ、中佐なんかに渡したくない…っ」
ハボックはそう言うと噛み付くように口付けてきた。抗うことも出来ずに深く口づけを交わす。気がついたときには
ハボックの腕に必死に縋り付いていた。


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