黒き瞳の見つめる先を 第六章
そうして何事もなかったかのように二人の間を時間は流れていく。ロイは司令官としての日々の仕事に追われ、
ハボックはそんなロイを副官として支えた。ただ、時折ロイは自分がハボックに背を向けているときにだけ感じる
強い視線に心が震えるのをどうすることも出来なかった。もし、振り向いてその視線を正面から受け止めたら何か
変わるのだろうか。だが、あの日ハボックはロイに忘れてくれと言い、ロイもその望みを受け入れてしまった。
だから、たとえ今、何かを変えたいと望んだとしても、それは決して赦されることではないのだと、ロイはただ黙って
自分の背に感じる視線を受け止めるしかなかった。
その日ロイは、イーストシティの東部の街にある軍の出先機関で行われた会議に出席していた。焔の錬金術師
であるロイにおべっかを連ねる連中に業を煮やして、早々に会議を切り上げてしまうとロイは建物の外へと出た。
「早かったっスね。」
車を回してきたハボックに言われてロイは顔を顰める。
「わざわざ人を呼びつけておいて、ろくに実のある会議でもない。」
苛立たしげにそう言うロイに苦笑しながら、ハボックはロイのために後部座席の扉を開けた。
「でもおかげで早く司令部に戻れますね。」
そう言うハボックにロイはため息をついた。
「くだらん会議のために呼び出されただけ疲れた。」
文句を言いながらロイが座るのを確かめると扉を閉め、ハボックは運転席に回る。席に座るといつものように
静かに車を発進させた。そのまま黙って数百メートル走ったところで、ロイが小さく声をあげたのに気づいて、
ハボックはミラー越しにロイを見た。
「なんスか?」
「…忘れてきた。」
「何を?」
「銀時計。」
「はあっ?何でそんなもん?!」
慌ててブレーキを踏んでハボックがロイを振り返る。呆れたような顔をしているハボックに、ロイは決まり悪そうに
答えた。
「あんまり会議室の時計が進まないから壊れてるんじゃないかと思って、銀時計で時間を見てたんだ。そしたら――」
忘れてきた、というロイにハボックはため息をついた。
「忘れますか、普通。そんな大事なもん。」
「仕方ないだろう。とっとと帰りたかったんだ。」
むぅと頬を膨らませて答えるロイにハボックはもう一つため息をつくと言った。
「取ってきますからここで待ってて下さい。」
「車で行った方が早くないか?」
「ここ、一通なんスよ。走った方が速いっス。」
ハボックはそう言うと車を降りた。
「何にもないとは思いますけど、一応気をつけて下さいね。」
念のため釘を刺してハボックは今来た道を走っていく。車のリアウインドウ越しにそれを見送るとロイは座席に座り
直してため息をついた。
「疲れた…。」
それが会議によるものなのか、はたまた別の所から来るものなのか、ロイには判らない。ぼんやりと窓の外を
眺めていたロイだったが、突然ズゥンという地響きと共に聞こえた爆発音にガバリとシートに沈めていた身を起こ
した。
「なんだっ?!」
車の外へ飛び出すと音がしたと思われる方へ目をやる。そこにはもくもくと黒い煙が立ち上っていた。
「あれは…軍の?!」
その煙の発生源が先程まで自分がいた軍の出先機関である事に気づくや否や、ロイは駆け出していた。
「ハボック…っ」
数百メートルの距離を走りきり、ロイが出先機関の建物についた時には既にそこはパニックに陥った人々で
ごった返していた。ロイは口々に叫ぶ人をかき分けると警備兵の襟首を掴んで引き寄せる。
「何があったっ?!」
「爆弾ですっ!会議室に爆弾が仕掛けてあったって…!」
「会議室に爆弾?!」
ロイは無残に爆破された建物を仰ぎ見る。さっきまで自分がいた会議室。予定より30分以上早く切り上げられた
会議。本当ならまだ自分はそこにいたはずだった。だが、偶然にも早く終わったそれに自分は難を逃れてここに
いて、そうして。
「そんな……そんなっ」
建物の中に駆け込もうとするロイを警備兵が引きとめた。
「ダメですっ!まだ爆弾が残っているかも知れませんっ!今行ったら危険ですっ!!」
「離せっ!ハボックが中に…っ」
警備兵の腕を振りほどいて中に入ろうとするロイを他の警備兵達も一緒になって引き止める。
「いけません、大佐殿っ!」
「危険ですっ、下がって下さいっ!」
「離せっ、くそっ、離してくれっ!!」
何とかして腕を振りほどこうともがくロイの目の前で。
ドオオオ―――ンッッ!!
凄まじい爆発音が響いて。
崩れ落ちる建物をロイは信じられないものを見る思いで見つめていた。
その十数分前。
ハボックは建物の中に入ると会議室を目指して廊下を歩いていた。
「まったく、信じらんねぇ。銀時計忘れてくるなんて。」
ぶつぶつとぼやくとハボックはたどり着いたドアを押した。まだ中に残っていた数人が振り向いてくるのに軽く頭を
下げるとハボックは中へ入った。そうしてまだ置きっ放しになっていた会議用のネームプレートを頼りにロイの
座っていた席を見つけて歩み寄る。
「よかった、あった。」
机の上に置いたままになっていた銀時計を手に取るとハボックはホッと息をつく。ぎゅっと握り締めるとポケットに
それをねじ込んで踵を返した。苛々しながら待っているであろうロイの元へ早く戻ろうと、足を速めたハボックが
会議室の扉を出た瞬間。
カッとハボックの背後から閃光が走り。
本能的に扉の影に飛び込んだハボックの後ろから爆風が吹き付けてきた。
「な…爆弾?」
爆風に煽られて数メートル吹き飛ばされ建物の壁に打ち付けられた体をなんとか起こして、ハボックは呟く。ぱら
ぱらとなんとか崩れ落ちずにいる天井から降ってくるコンクリの欠片を受け止めた手の平の上に、ぽつりと血が
落ちた。
「くそ…っ」
血が流れる額を手の平で押さえると、ハボックは会議室があったほうに視線を向けた。そこは床が深く抉り執られ
先程まで残っていた人であろうと思われる物体の欠片が散らばっていた。ハボックはその無残さに唇を噛み
締めると廊下を足を引き摺るようにして歩き出した。一歩踏み出すごとに右脚に激痛が走る。見下ろせば軍服の
ズボンは引き裂かれ、真っ赤に染まっていた。
「生きてるだけマシってか…。」
ハボックは歯を食いしばると霞む目を見開いて出口へと向かっていく。そこここから呻き声が聞こえ、助けを求める
声がする。本当なら手を貸してやりたいところだが、自分の身ですら運ぶことが精一杯の中で、とても手を差し
伸べてやる余裕はなかった。
「ごめん、でもオレ、絶対に帰らなきゃ…。」
もしこのまま帰れなければ、ロイはきっと自分責めるだろう。自分が銀時計を忘れたばかりに死なせてしまったと
後悔し続けるに違いない。それがたとえどんなことであれ、ハボックはロイを苦しめるものは取り除いてやりた
かった。自分がここで倒れることでロイが傷つくのなら、それは絶対に赦されることではない。ハボックはポケット
に手を入れると銀時計をぎゅっと握り締めた。
「たいさ…」
霞む意識に軽く首を振って、あげた視線の先に外の光が見える。
「あと少し…」
ハボックが痛む足をなんとか踏み出した時。
二度目の爆発音が響き、ハボックの目の前に天井が崩れ落ちてきた。
→ 第七章