黒き瞳の見つめる先を  第五章


そうして秘めた想いを抱えたまま、ハボックはロイの護衛官兼副官として、同一部署に留まり続けるという自己記録
を更新し続けていた。さして大きい事件も起きずに、ロイが東方司令部に着任して2ヵ月が過ぎようという頃。
ハボックはロイの出張についてセントラルに出かけた帰りの列車で、ロイと向かい合わせに座っていた。
「もうこっちには慣れたっスか?」
ハボックが聞くと、ロイは腕を伸ばして長時間列車に座っていたことで凝り固まった筋肉を解しながら答えた。
「そうだな、9割がた。」
そう言うロイの横顔を見つめてハボックは薄く笑う。初めて自分の気持ちに気づき、それを隠し通すと決めた時は
ちゃんと隠していけるのか不安もあったが、今ではただの上司を尊敬する部下を演じきっているという自信が
あった。ロイが女性にモテて、色んな美女達と恋の華を咲かせるのを見ているのは辛くないといえば嘘になるが、
ハボックはただロイの側にいることで満足していると、自分に言い聞かせていた。ハボックは小さく息を吐くと
窓の外に目をやる。黒い箱型の車が列車に並走しているのを見て、列車と競争するなんて、と苦笑した。ふと
ロイをみれば疲れた様子で目を瞑っている。ハボックが荷物と一緒に置いてあったコートを取って、ロイにかけて
やろうと立ち上がった時、カーブに差し掛かった列車がスピードを落とした。
「…っと。」
少しよろめいたハボックが視線をあげた窓の先に、先程の黒い車が見える。その窓に鈍く光るものを見つけた
瞬間、ハボックはロイの体を座席から引き摺り下ろしていた。
ガシャ――――ンッッ!!
凄まじい音を立てて列車の窓が砕け散る。通路を挟んでハボック達の並びの座席に座っていた男が血しぶきを
あげて倒れた。
「どこからっ?!」
「頭下げてっ!!」
驚いて身を起こそうとするロイを床に押さえつけてハボックは叫ぶ。続けざまに窓ガラスの割れる音が響いて、
更に数人が倒れこんだ。辺りを悲鳴と怒号が包む中、ハボックは血の気の引いた顔に空色の目を見開いたまま
ロイの体を庇い続けたのだった。

「大佐っ!」
イーストシティの駅に滑り込んだ列車から降り立ったロイ達のもとにホークアイが駆け寄ってきた。
「お怪我はっ?!」
「大丈夫だ。ハボックのおかげでな。」
ロイはそう言うとまだ顔色の悪いハボックをちらりと見上げる。ホッと息をつくホークアイにロイは次々と指示を
与えていった。
「今からでは車を捕まえるのは難しいかもしれないが。」
ロイは悔しそうに言うと唇を噛む。
「まあいい。遅かれ早かれこのロイ・マスタングを狙ったことを後悔させてやる。」
その黒い瞳を怒りに輝かせそう言うロイを見て、ハボックはため息をつくと言った。
「大佐は司令部に戻って少し休んでください。」
そんなハボックの言葉にロイは目を吊り上げる。
「何を言うんだ、のんびり休んでなど――」
「お願いですからっっ」
ハボックはロイの言葉を打ち消すように声を荒げた。
「お願いですから早く司令部に戻って下さい。」
低く早口に呟くハボックにロイは目を見開く。そんな2人の側でホークアイも口を開いた。
「確かにこんな所にいつまでも立っているのはどうかと思います。とりあえず現場の捜索は憲兵に任せて、大佐は
 司令部にお戻り下さい。」
ホークアイにもそう言われてロイは口を噤む。少ししてわかったと呟くロイを車に乗せるとハボックは勢いよく車を
走らせた。

司令部に戻るとハボックは、車を警備兵に預け引き摺るようにロイの腕を取って廊下を歩いていく。司令室に入る
と、安堵する声、心配する声がかかるが、ハボックはそのどれにも構わずロイを執務室に押し込むと扉を閉めた。
扉が閉まって外の音が遮断されると同時に、ハボックの腕が伸びてロイの体を抱きしめる。
「ハボック?!」
力強い腕に抱きすくめられて、驚いたロイは苦しい息の下、なんとかハボックの顔を見ようともがいたが、もがけば
もがくほど強く抱きしめられ、ロイは身動きすることが出来なくなっていった。
「息が止まるかと思った…」
耳元で囁くように言われて、ロイの体がぴくんと震える。それに構わず、ハボックはロイの耳元に唇を寄せると
呟くように言った。
「あの時、アンタが撃たれるかと思ったとき、心臓が氷の手で鷲掴みにされたかと思った。なんとか床に引き摺り
 倒して無事に済んだけど…なんであの時、アンタを窓際に座らせたんだろうって…なんでブラインドを下ろして
 おかなかったんだろうって…こんなんで護衛なんて、オレ…っ」
苦しそうな声に、ロイはハボックの背に手を回すと、その広い背中をなでた。そしてお前のせいじゃないと言おうと
顔を上げたロイの目の前に、ハボックの空色の瞳が広がったかと思うと。
「…っ?!」
ロイはハボックの唇に自分のソレを塞がれていた。強く抱きしめられ深く唇を合わせられる。歯列を割って差し
込まれた舌が、ロイの口中を蹂躙した。
「んっ…んんっ」
深い口付けにまともに息をすることすらままならない。含みきれない唾液がロイの唇の端から銀色の糸となって
零れ落ちた。どれほどの間口付けを交わしていたのだろう、かくんとロイの膝が落ちて、二人の唇が離れた。
信じられない思いでハボックを見つめるロイの黒い瞳に、ハボックの空色の瞳が揺れる。ハボックは抱きしめて
いたロイの体をそっと離すと2、3歩後ずさった。
「あ…オレ…」
自分でも信じられないと言うように唇を押さえたハボックは、顔をくしゃりと歪める。
「す、すみません…っ」
そう叫んで次の瞬間部屋を飛び出していくハボックを、ロイはぺたりと床に座り込んで呆然と見送ったのだった。

「大佐?大丈夫ですか?」
執務室のソファーに座り込んでぼんやりと膝の上に組んだ手を見つめているロイに、ホークアイが声をかけた。
「やはりどこか痛められているのでは?」
心配そうに言うホークアイをロイはぼうっとして見上げる。それからハッとして2、3度瞬きすると慌てて答えた。
「いや、何ともない。」
そう言うときょろきょろと執務室の中を見回した。
「…ハボックは?」
聞かれてホークアイは軽く首を傾げて答える。
「ハボック少尉でしたら現場で捜索の指揮を執っています。…大佐が命じられたのではないのですか?」
逆に聞き返されて、ロイはそういえばそうだったな、などともごもごと呟いた。そんなロイをホークアイは微かに
眉を寄せて見つめていたが、やがて現在までに判ったことをロイに伝え始める。ロイはホークアイの言葉に耳を
傾けながら、だが心の半分は今ここにはいないハボックへと向いていた。
(どうして…?)
ロイはハボックが触れた唇にそっと手をやる。そこは今でも酷く熱い気がした。ハボックが抱きしめた体がなんだか
頼りないものに感じる。
「大佐?」
気遣うように自分を見つめるホークアイにロイは微笑むと、指示を与える為に口を開いた。

結局その日、ハボックは戻ってこなかった。ロイはブレダが運転する車の後部座席にぐったりと沈み込んで窓の
外を見ている。ロイは小さくため息をつくと視線を前に戻し、ブレダに言った。
「少尉はハボック少尉とは士官学校時代からの友人だったな。彼はどういう男だ?」
ブレダは2ヵ月もたった今頃になってそんなことを聞いてくるロイを不思議に思ったが、表にはそれを出さずに
答えた。
「そうですね、まっすぐで飾ることを知らないっていうか、誤魔化すことをしないヤツですね。上司にもそのまんま
 で接するもんだからえらいウケが悪くて、大佐のとこにくるまでは長くても1ヶ月くらいしか続かなかったんですよ。
 反対に部下にはエラく慕われてて、アイツのためなら何でもやるってヤツらばかりですよ、アイツの隊は。」
自分が言ったことくらい疾うに判っているだろうと思いつつ、ブレダはルームミラーに映るロイの様子を窺う。ロイの
顔は半ば前髪に隠れて、その表情はよく判らなかった。
「付き合っている女性はいるのか?」
「は?付き合ってる女性、ですか?」
聞いたことを繰り返されて、ロイは慌てて首を振る。
「いや、知らないならいいんだ。」
「ソッチも長続きしないですね。アイツ、淡白っつうか、付き合っててもデートに誘うわけでもなし、プレゼント贈るでも
 なし、それこそろくにキスもしないって感じで、そのうち相手から『ホントに私のこと、好きなの?』ってなっちゃう
 みたいで。」
ブレダの言葉にロイはそっと唇を指で触れる。ロイにはハボックが何を考えているのか判らなかった。なぜ、あんな
ことをしてきたのか、その理由を聞きたくて、だが聞くのが怖い気もする。
「大佐?」
「…すまない、少し疲れているようだ。」
そう言って座席に沈み込んで目を瞑るロイをブレダは心配そうに見つめたのだった。

翌朝、執務室で書類を書いていたロイのところへハボックがやってきた。
「昨日の襲撃事件のことなんスけど。」
そう切り出したハボックは、昨日の現場の捜索で新たにわかったことを淡々と説明していく。ロイは静かにハボック
の声に耳を傾けていたが、ハボックの言葉が途切れると口を開いた。
「ハボック、一つ聞きたいことがあるんだ。」
視線を合わせようとしないハボックをロイは見つめる。
「昨日のことなんだが――」
「忘れて下さい。」
言いかけたロイの言葉を遮るようにハボックが言った。そんなハボックをロイは僅かに目を見開いて見つめる。
「忘れて下さい。昨日はどうかしてたんです。」
低く囁くように、だがはっきりと言われた言葉にロイはそれ以上聞くことを拒まれてしまう。
「それをお前は望むのか?」
そう聞かれてハボックは答えた。
「そうです。オレがアンタに望むのはそれだけです。」
「…そうか、わかった。」
ロイの言葉を聞くと、ハボックは軽く頭を下げて執務室を出て行く。忘れてくれと言ったハボックの言葉に、ロイは
酷く傷ついている自分に気づいて唇を噛み締めた。


→ 第六章