黒き瞳の見つめる先を 第四章
ロイが行くような高級な店は知らないと言うハボックがロイを案内したのは、こじんまりとした隠れ家的な小さな店
だった。
「酒の肴も美味いし、結構落ち着いた雰囲気のいい店だと思いますよ。」
そう言ってハボックがロイを連れて入った店の中は少し照明が落とされ、静かにピアノの曲が流れている。カウン
ターに座った2人の前に立ったバーテンが、ハボックを見てにっこりと笑った。
「誰かと一緒なんて、珍しいですね。」
そう言うと注文をとる。2人はそれぞれに飲みたい酒の名を告げ、ハボックはつまみになるようなものを2、3注文
した。
「いつも一人で来るのか?」
バーテンが行ってしまうとロイはハボックに聞いた。
「ここはね、一人で来る事にしてるんで。でも他に大佐を案内できるようなとこ、知らないし。」
ハボックはそう言うと煙草を取り出し、吸っても?とロイに聞く。ロイはそれに頷きながら口を開いた。
「それは悪かったな。飲みに行こうと言ったはいいが、こちらには来たばかりでまだよく判らないんだ。」
すまなそうにそう言うロイにハボックは笑ってみせる。
「別に構わないっスよ、大佐なら。」
そう言ってから変な意味に取られなかっただろうかとちらりとロイを窺った。だが、ロイは特に気にした風もなく、
バーテンからグラスを受け取るとハボックに向かってソレを掲げて見せた。
「では、ハボック。これからよろしく頼む。」
「こちらこそよろしくお願いします…。」
そう言ってグラスをチンとあわせると口を付ける。そうして他愛もない話をポツリポツリと交わしながら2人はグラス
を傾けていった。お互い3杯ずつも飲んだろうか。そろそろいい気分になりかけていたハボックはロイを見つめる
と言った。
「大佐、一つ聞きたいことがあるんですけど。」
そう言われてロイが不思議そうにハボックを見る。
「過去の実績を調べて決めたって言ってたっスよね。」
「ああ。」
「…オレと誰か他のヤツ、間違ってませんか?」
グラスに目を落としてそう言うハボックをロイはまじまじと見つめた。
「どうしてそう思うんだ?」
「いやだって、過去の実績調べたんならわかるでしょ?」
どこの部署も長続きしてないの、と恥ずかしそうに呟くハボックにロイは答えた。
「それはお前のせいじゃない。」
「でも、どの上司からも使いにくいヤツだって…。」
「どこの部署のヤツもお前を使いこなせなかったと言うだけだろう?」
そう言われて目を見開くハボックにロイは笑う。
「士官学校時代の成績も調べさせてもらった。銃の腕前、体術、実戦での判断力、どれも特Aクラスだ。」
そして一呼吸おいて言葉を続ける。
「私ならお前を使いこなせる。」
そう言ってロイは自信満々に笑った。その輝く黒い瞳にハボックは吸い寄せられるように目を離せなくなる。
そして。
(ヤバイ。どうしよう…。)
その黒い瞳に、自信に満ちた言葉に、ハボックは今日、ロイを初めて見たときからもやもやと心に漂っていたもの
が何なのか気づいてしまった。
(オレ、この人が好きみたいだ…。)
自分の中に潜む気持ちに『恋』と言う名前がついたことに気がつくと同時に、その気持ちを満たす術などあり得ない
事に思い至り、ハボックは深い絶望を感じたのだった。
自分の気持ちに気づいてしまって、ハボックはその後、ロイと何を話したのか、どうやって帰ってきたのかさっぱり
覚えていなかった。気がついたときには狭い自分のアパートのソファーに呆然と座り込んでいた。
「どうするよ、オレ…。」
ハボックはポツリと呟いて頭を抱える。相手は自分の上司でしかも男だ。どうすると考えるまでもなかった。ハボック
は深いため息をつくとガシガシと頭をかいた。答えは決まっている。誰にも気づかれないうちに諦めろ、だ。だが、
そう考えた途端、ハボックの中で目覚めたばかりの恋心が悲鳴を上げる。そんな簡単に消してしまわないでくれと
叫びを上げる。
「無茶言うな…。」
ハボックはどうにもならない心を持て余して、ぎゅっと目を瞑った。
「隊長っ!たんまったんまっっ!!」
ハボックの組み手の相手をしていた部下が悲鳴を上げてハボックを制した。ハッとして蹴り上げた脚を相手のこめ
かみのすぐ側で止めたハボックは、パニック寸前の表情を浮かべた部下の顔を見て、ドサリと振り上げた脚を
下ろした。
「あ…」
「隊長っ、なに荒れてるんですかっ?」
俺を殺す気ですか、と言われてハボックは目をしばたたかせた。
「…ごめん。」
呆然と呟くように言うハボックの側へ、ハボックの副官を務める軍曹がやってきて言う。
「どうしたんです、今日はおかしいですよ。」
心配そうに言う相手にハボックは引きつった笑みを向けた。
「悪い、ちょっと、オレ…。」
「新しい司令官と上手く行きませんか?」
これまでのハボックの遍歴を知っている軍曹は単刀直入に聞いてくる。
「いんや、今までじゃ最高の上司。」
そう答えるハボックを気遣うように見る相手にハボックは苦笑すると言った。
「ごめん。今日はここまでにしてもいいか?」
「そうした方がいいでしょうな。」
軍曹はそう言うと年若い上官を元気付けるようにその腕を叩いたのだった。
「あれ、早いじゃん。もう訓練、終わりか?」
司令室に戻るなりブレダにそう言われてハボックは苦笑した。
「ん、ちょっと早退。」
「なんじゃ、そりゃ。」
ブレダはそう言うと書いていた書類に目を落とす。ハボックはそんなブレダをちらりと見ると、ファイルに手を伸ばして
中の書類を取り出した。目で文字を追いながら、だがハボックの心はすぐそこの執務室の中にいるはずの人物へと
向いていた。昨夜ハボックが出した答えはやはり「諦められない」だった。だが、そうだからといってその気持ちを
相手にぶつける気はなかった。諦められないのは仕方ない。人の気持ちなど、たとえそれが自分のものであっても
簡単にコントロールするなど不可能だ。それなら消すことの出来ない気持ちは、それが望ましいものでない以上、
封じ込め、隠し通すしかない。そう決めたというのに、ざわめく気持ちを抑え切れず、失態を演じてしまった。
(修行が足りないぞ、オレ!)
気持ちを伝えられないまでも、ハボックはロイの側にいたかった。彼のために役立ちたいと思った。その為には
邪魔な気持ちは隠し通すしかない。
(しっかりしなくちゃ。)
ハボックはそう思うとぐっと拳を握り締めた。
→ 第五章