黒き瞳の見つめる先を  第一章


ハボックは東方司令部の廊下を足早に司令室へと歩いていた。このたび、ハボックは新しく司令部に赴任してくる
司令官の護衛官として配属される事になった。司令官付きの護衛官といえば聞こえはいいが、正直なところを言えば
前にいた部署の上司と折り合いが悪く追い出されたといった方が正解だ。前の部署もその前の部署も、ハボックは
上司と上手くいかずに短期間で放り出されていた。能力的に問題があるわけではなく、本人には全くそういう気は
ないのだが、歯に衣着せぬ物言いと、やる気なさげな態度が上司の不興を買うらしい。そんなわけで部署になじむ
間もなく配置換えされているのだが、当のハボックは荷物を移すのが面倒くさいと思うくらいで、どうしたらこう、
短期間での配置換えをなくす事が出来るのかなど、考えもしないので一向に一箇所に留まることができず、ふらふら
とするはめになっているのであった。
(司令官付の護衛官なんて、それこそ3日で首になりそう…)
廊下を歩きながらハボックは思う。いつも配置換えなどどこ吹く風のハボックであったが、流石に今回は明らかに
配置ミスだろうと自分でも思った。これまでだって長続きしなかったのだ。司令官なんて言ったらもっと無理に違い
ない。ハボックは無駄な配属を命じた人事部を恨めしく思いながら司令室の扉を開けた。中にいた数人が開いた
扉を一斉に振り向く。その中に見知った顔を見つけたハボックは、小さく「あっ」と声をあげてその人物に近づいて
いった。
「ブレダ、お前も司令室付かよ。」
「ハボック。それじゃお前も?」
「ああ、護衛官だってさ。」
ハボックが声をかけた少し太めの人物はハボックの士官学校時代からの友人であるハイマンス・ブレダ少尉だった。
ブレダはハボックのことを僅かに眉を顰めて見上げると言う。
「ハボック、お前相変わらずあっちこっちの部署、ふらふらしてんだってな。」
「仕方ないだろ。上司に嫌われちゃうんだもん。」
「それで司令官付護衛官?大丈夫なのか?」
「オレのが聞きてぇ…。」
情けないことを言うハボックに苦笑するブレダを見て、ハボックは唇を尖らせた。
「いいよな、お前は。士官学校時代からオレ達のホープだったもん。」
見た目によらず鋭敏な頭脳でさ、と言うハボックにゲンコツを食らわせながらブレダは答えた。
「お前だって決して悪くはなかったろ。実技とか戦術面では。要するにお前の態度が問題なんだよ。」
「オレの態度のどこが?」
一生懸命やってるだろ、と言うハボックにブレダはため息を洩らす。
「まぁ、今度の司令官に気に入ってもらえるよう頑張るんだな。」
ブレダの言葉にハボックは顔を顰めた。
「今度くる司令官ってアレだろ?イシュヴァールで活躍した…」
「焔の錬金術師、な。」
「見たことあるのか?」
「いや、エライ若いらしいな。まだ26、7だろ?」
「げー、オレと5つくらいしか違わないのか。」
それで大佐ねぇ、とハボックは呟いた。若くしてそれだけの地位にあるのならよほど力も度胸も知恵もある人物
なのだろう。
「とてもオレと合うとは思えねぇ…。」
どうせまたすぐ首だ、とぼやくハボックにブレダはまあ、ガンバレや、と思い切り背を叩いたのだった。

ハボックとブレダが最近のお互いの様子など伝え合って30分も過ぎた頃、人事の担当官が司令室に入ってきた。
「お、そろそろお出ましらしいな。」
ブレダが囁くのにハボックも小さく頷く。担当官がなにやら言っているが、司令室にいる人間の殆んどは既に部屋
の外で待っているのであろう人物の方へ意識が向いていた。
「もったいぶってないで早く入ってくりゃいいのに。」
ぼそりとハボックが呟けばブレダが苦笑して返した。
「お偉いさんってのはそんなもんだろ。」
どうする、すげぇごついオヤジとかだったら、とからかうブレダにハボックが歯をむいた時、司令室の扉が開いて
新しく赴任してきたという司令官が中に入ってきた。カツン、と靴が床を蹴る音に司令室にいる全員の視線が
その音の主へ向く。同じように視線を向けたハボックの目に飛び込んできたのは。
濡れたように艶やかな漆黒の髪。大理石の肌。薄紅色の唇。そして何よりハボックの心を一瞬にして捕えたのは。
「よろしく、諸君。私がロイ・マスタングだ。」
強い意思を持って輝く黒曜石の瞳だった。

その後、ハボックの耳にはロイの話している事はさっぱり入ってこなかった。いや、聞こえてはいるのだが意味を
成して届いてはいないといった方が正しいだろう。その耳に優しいテノールを聞きながら、ハボックの視界には
ロイの黒い瞳だけがいっぱいに広がり、それ以外のものは何も見えない状態だった。
(どうしちゃってんの、オレ…。何かヘンだろ、これって。)
ハボックは半ば混乱した体
(てい)でその場に立ち尽くしていた為、ロイが自分の直属の部下として何人かの名前
を呼んだ時まるでそれを聞いておらず、自分の名が呼ばれたときも全くそれに気がつかなかった。
「おい、ハボックっ」
ブレダが囁いてハボックの脇腹を肘でつつく。それにぽやっとした顔を向けたとき、面白そうに自分を呼ぶ声に気が
ついた。
「うわぁっ、は、はいっっ」
飛び上がって返事をするハボックをロイは見つめる。その瞳が面白がる光を湛えているのを見たハボックの顔が
みるみるうちに紅くなっていった。
「ジャン・ハボック少尉。」
「はいっ」
「よろしく頼むよ。」
「イ、イエッサー!」
慌てて敬礼を返すハボックにくすくすと笑うとロイは執務室へと入っていってしまった。

「お前、なにやってんだよ。」
ロイが執務室に消えて司令室を支配していた緊張感が緩むと、ブレダがハボックに声を掛けてきた。
「なにって…」
「全然話、聞いてなかったろ。」
「あー…うん…。」
「お前なぁ」
ボリボリと頭をかくハボックを呆れた顔で見るとブレダが言った。
「お前とオレと、あと3人、大佐の直属ってことになったんだよ。マジ聞いてなかったのかよ。」
「お前と…オレも?」
「護衛官だしな、お前、実戦部隊も持ってんだろ。上司のウケは悪いくせして部下には慕われっからな。30分後に
 執務室で話があるらしいぜ。」
「マジかよ…」
ハボックはさっきロイを初めて見たときの自分の気持ちが何なのか判らず、眉を顰める。こんな訳のわからない
気持ちを抱えたままロイの下で働くのは正直ごめん被りたかった。
「辞退するって選択肢、ないのかな…」
ぼそりとそんなことを呟くハボックにブレダが目を丸くする。
「なんだよ、らしくねぇな。」
首にされることはあっても自分から出てきたことはないだろ、と言うブレダにいっそそうした方がいいような気がする
ハボックだった。


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