君のいる夏  前編


「大佐、花火見に行きませんか?」
「花火?」
 息抜きの為のコーヒーを持ってきたハボックが言えばロイが首を傾げる。温めに淹れたコーヒーをフウフウと息を吹きかけて啜るロイを見て、クスリと笑みを浮かべながらハボックは言った。
「ほら、毎年恒例のあるっしょ?」
「ああ、河川敷でやる奴だな」
 毎年イーストシティでは八月最後の週末に花火大会が開かれる。一万発を打ち上げるそれはイーストシティでも人気のイベントの一つだった。
「今事件も抱えてないし、一緒にどうかなって」
 そう言って咥えた煙草をぴこりと跳ね上げる男をロイは上目遣いに見上げる。ほんの少し頬を染めて、ロイは小さく頷いた。
「そうだな。見に行ったことないし、いいかも」
「あれ?大佐、行ったことないんスか?結構すごいっスよ」
「うん、音だけは毎年聞いてるから知ってる」
 そんな風に言うロイにハボックがクスクスと笑う。
「じゃあ今年は音だけじゃなくて見てくださいよ」
 ハボックはそう言って少し考えるように煙草に手をやった。
「あそこ、花火だけじゃなくて縁日も出るんスよね。花火は七時からだから六時に行けば結構縁日も見られるんじゃないかな。あ、それでね。ちょっと行く前に大佐に見せたいもんがあるんで、先にオレのアパート寄って貰っていいっスか?」
「見せたいもの?なんだ?」
 言われて目を丸くして尋ねるロイにハボックが片目を瞑って見せる。
「それは当日のお楽しみってことで。じゃあ、土曜日、五時過ぎにアパートで待ってるっスから」
 ハボックはそう言うと「演習があるんで」と執務室を出ていった。パタンと扉が閉まるとロイはフゥと息を吐き出す。
「花火か……これってもしかしてデート?」
 そう呟けばハボックの笑顔が思い浮かんでロイは顔を赤らめた。
 ハボックとロイはつい最近つきあい始めたばかりだ。実はもう随分と前から互いに想いあっていたのだが、なかなか言いだぜずここまでくるのに時間がかかってしまった。漸くつきあい始めてからもなんだか誘うのが互いに照れくさいのに加え仕事が重なって、これがプライベートで出かける初めての機会なのだった。
(花火に縁日か。見せたいものってなんだろう)
 ロイはさっきのハボックとの会話を思い出して考える。それだけでなんだかドキドキして赤らんだ顔が益々紅くなった。誰も見てはいないのだが恥ずかしさを誤魔化すように視線をさまよわせれば、机の上の書類の山が目に入る。
(書類、早く片づけなくちゃ)
 約束は夕方とはいえ万一仕事がずれ込んでは堪らない。ロイは書類に手を伸ばすと次々とサインを認めていった。


「よし、片づけは済んだし、空気も入れ換えたし!これでオッケーだよな」
 ハボックは部屋の中を見回し指さしながらやり残した事がないかチェックする。よし、ともう一度頷いて腕の時計を見た。
「そろそろかな。あー、やっぱ迎えに行けばよかった」
 相手が来るのを待つのはどうにも落ち着かない。うろうろと部屋の中を歩き回っては煙草の煙を吐き出した。
「やば……これじゃ部屋ん中が煙臭くなっちまう」
 自分がヘビースモーカーなのはロイには知れているが、部屋に入った途端煙臭くてはやはり印象がよくないだろう。ハボックはもう一度窓を開けると開けた窓の桟に手をついた。
「へへ……やっとデートだ」
 ハボックはそう呟いて暮れ始めた空を見上げる。まだ昼の明るさを残す空は後少しすればロイの瞳と同じ色合いになるだろう。
「大佐、可愛いよなぁ」
 二人きりで話をする機会はこれまでも何度となくあったが、つきあい始めてからは何となく雰囲気が変わった。ちょっとしたことでロイが頬を染めたりするのを見れば、伸びそうになる鼻の下を引き締めるのが必死だ。今日もどんな可愛い顔が見られるのだろうと、ハボックの鼻の下が伸びかけた時、玄関のブザーが鳴った。
「来たッ!」
 ハボックは飛び上がると今一度部屋の中を確かめてから玄関に走った。ガチャリと扉を開けるとほんの少しはにかんだロイが立っている。その顔に一瞬見惚れるハボックに、ロイが困ったように首を傾げた。
「ハボック」
「あ……、ああ、いらっしゃい、大佐!」
「遅くなったか?」
「いや、全然。散らかってるっスけど、どうぞ」
 ブンブンと首を振ってハボックはロイを促す。そうすればきょろきょろと辺りを見回しながらロイはハボックの後について中に入った。
「どうぞ、座ってください」
 勧められてロイはソファーにポスンと腰を下ろす。差し出された冷たいハーブティーのグラスを受け取りながら言った。
「結構片づいているんだな」
「あはは、一生懸命片づけました。奥の部屋は大変な事になってるっス」
 感心したように言われてハボックが苦笑する。ロイはそんなハボックに笑みを浮かべてゆっくりとハーブティーを飲んで言った。
「見せたいものがあるって」
「ああ、そうそう。早くしないと縁日にいけなくなっちまいますもんね」
 ハボックはそう言うと奥に引っ込む。少しして手に大きな包みを持って出てきた。
「これ、田舎のお袋が珍しいもんが手に入ったからって送ってきたんスよ」
 そう言いながら包みをテーブルに置いたハボックは、そっとそれを開く。そうすれば中から出てきた美しい生地にロイは目を見張った。
「これは」
「浴衣っていうんですって。綺麗っしょ」
 ハボックはそう言って生地をテーブルに広げる。一枚は濃いグレーを基調とした麻の葉に縞を組み合わせた柄、もう一枚は濃紺に大小さまざまな菊が散りばめられた柄で、どちらもそれぞれに洒落ていた。
「でね、これ着ていきませんか?」
「これを?」
 ハボックはそう言って菊の浴衣をロイの顔に近づける。
「ほら、大佐にすっげぇ似合う。こういうの、嫌いっスか?」
 そう言われてロイは浴衣を手に取ってみる。濃紺に花柄のデザインは女性ものではあったが、花の色が白と薄い青で帯も銀の入ったシンプルなもので女の子っぽくないのを見れば、ロイはハボックを見てにっこりと笑った。
「いや、綺麗だな。なかなか着る機会もないだろうし、それにお前が折角用意してくれたんだ、着ていこう」
「ホント?よかった」
 言えば満面の笑みを浮かべるハボックに、ロイはドキリとする。慌てて視線を逸らすと早口に言った。
「着ていくのはいいが、着方が判らんぞ」
「あ、大丈夫っス。一応練習しといたし、帯は造り帯っスから。じゃあ、オレがやるの見て大佐も着替えて下さい」
「判った」
 ロイが頷けばハボックが早速シャツの裾に手をかける。鍛えられた逞しい体を目の前にして、ロイは赤らんだ顔を背けた。浴衣を手にもじもじとしているとハボックが言った。
「大佐、早く脱いでこっちよく見て。オレも自分が着るのが精一杯で人の気付けまでは出来ないっスから」
「わ、判ったっ」
 言われてドキドキしながらもロイは急いで服を脱ぎ捨てる。なんとはなしに顔を見合わせればどちらともなく紅くなりながら、二人は着慣れない浴衣に手を通した。
「まずはこう広げて、上は(たる)んでもいいから裾あわせて下さい」
「こうか?」
「そうそう、そしたらこの紐で腰んとこ止めて」
 ハボックが差し出した紐を受け取ってロイは腰に巻き付ける。チラチラとハボックのやるのを見ながらなんとか縛るとホッと息を吐いた。
「次は襟を整えて御端折りする」
「オハショリ?」
「こうするんです」
 言うなりハボックの手が伸びてロイの襟元を掴む。突然近くなった距離にロイが固まっているのに気づかず、ハボックは襟元を整え着丈を調整しながら腰紐を巻いた。
「こうっス」
 よし、と言ってハボックは顔を上げる。そうすれば間近にロイの赤らんだ顔があることに気づいて、慌てて手を離した。
「すっ、すんませんッ」
「い、いや、ありがとうっ」
 互いに紅くなりながら無意味に声を張り上げる。ハボックはロイに半身背中を向けると、自分も襟を整え腰紐を止めた。
「んじゃ、次は帯っスね。これ造り帯だから巻いて刺すだけっスから」
「うん」
 ロイは頷いて帯を腰に巻き付ける。綺麗に結わいた形に整えられたリボンの部分をハボックがロイの帯にグッと突き刺した。
「よし、オッケー。後は靴の代わりに素足にこれを履いて出来上がりっス」
 ハボックがそう言って差し出す下駄をロイは物珍しそうに見る。靴下を脱ぎ鼻緒に足を差し入れて、ロイはハボックを見上げた。
「どうだ?おかしいところ、ないか?」
 そう言いながらロイはゆっくりと回ってみせる。濃紺の浴衣はロイの白い肌によく似合って、ハボックはポカンとしてロイを見つめた。
「ハボック?」
 なにも言わないハボックをロイが不安そうに呼ぶ。その声にハッとしてハボックはブンブンと首を振った。
「おかしいとこなんて全然ないっス!すっげぇ似合ってる!」
 大声でそう告げられてロイは顔を赤らめる。ハボックを上目遣いに見上げて言った。
「お前も似合ってる。すごく……カッコいい」
 好きな相手にそんな風に言われて、ハボックはボンッと火がついたように真っ赤になる。煙草に火をつけようとしてライターの火で顎を炙ってしまい、熱いと叫んでライターを取り落としそうになった。
「大丈夫か?」
「あはは、大丈夫っス」
 心配して顎に手を伸ばしてくるロイにハボックが頭を掻きながら答える。近くなった距離に互いに視線をさまよわせたが、ハボックがゴホンと咳払いして言った。
「じゃあ、行きましょっか」
「そうだな」
 互いに赤らんだ顔で頷き合ってハボックとロイはアパートを出た。


→ 後編