犬も喰わない  前編


 もうすぐ昼休みが終わるという時刻、珍しくロイが午後の仕事に間に合うよう、司令室に戻ろうと足早に廊下を歩いていると、階段の踊り場の影に見知った金色の頭が見えた。
(ハボック?)
 あんなところで何をしているのだろうと、近づこうとしたロイはハボックが一人でない事に気がつく。ハボックのすぐ前、長身な彼の姿に隠れるようにして立っていたのは、確か総務のエレン・カシュナーだ。2人が話している内容は聞こえないが、ハボックは照れたようにその金髪をガシガシとかきながらエレンに話しかけている。それに二言三言答えたエレンは、ポケットから何か小さな紙片のようなものを取り出すとハボックに渡した。そうしてハボックに手を振ってこちらに向かって歩いてくるエレンに、ロイは慌ててハボックたちに背を向けると司令室に向かって走り出したのだった。

「今日は久しぶりにのんびりしてんな」
 ハボックは司令室に戻ってくると自分の椅子に腰かけながら向かいのブレダに話しかけた。
「何言ってんだよ、俺は忙しいっての」
 文句を言うブレダを笑いながらあしらって、のんびりした仕草で煙草を吸い始めるハボックをロイは細くあけた執務室の扉の隙間からのぞき見た。その様子はいつもと変わったようには見えない。だが。
(何をこそこそ話してたんだろう…)
 照れたように話す様子と言い、それに何よりハボックがエレンから受け取った紙片も気になる。ロイは指先で組んだ腕をとんとんと叩きながら考えていたが、扉を開けてハボックを呼んだ。
「なんスか?」
 呼ばれて立ち上がるハボックをちょいちょいと指先で呼んで、ロイは執務室に引っ込む。ハボックは不思議そうに首を捻りながらもロイの後について執務室に入ると扉を閉めた。
「なんスか?」
 もう一度そう問えばロイが答えた。
「さっきブロンズの美人と話してただろう?」
「え?…ああ、総務の…カシュナー准尉と…。なんだ、見てたんスか?」
 視線をロイと合わせずに答えるハボックにロイは眉を顰める。
(名前、言いなおしたな…)
 エレンと言おうとしてカシュナー准尉と言いなおした。ロイはそれに気づくとムカムカとする胸をぎゅっと押さえる。
「何を話してたんだ?」
「別に、総務に提出する書類のことですけど」
 それが何か、と言うハボックをロイは信じられない思いで見上げた。
「用事、それだけなら席に戻っていいっスか?オレ、忙しいんで」
 そう言って執務室を出て行くハボックに、ロイはかける言葉が見つからなかった。

「大佐、オレ、今夜ちょっと出かけてきますから」
 夕食が済むなりハボックはそう言うと食器を片付け始める。いつもならのんびりとデザートなど食べながら他愛もないおしゃべりをする時間に一人出かけると言うハボックをロイは睨みあげる。
「出かけるってどこに、誰と?」
「え、あ…ちょっとブレダと」
「ブレダ少尉と?どこに?」
 畳み掛けるように聞くロイに、ハボックは嫌そうに顔を歪めた。
「別にどこだっていいじゃないっスか。いちいち全部アンタに断って出かけなきゃいけないんスか?」
 その言い草にカチンと来たロイは勢いよく立ち上がるとハボックに向かって怒鳴った。
「夜遅くに出かけると言われてその行き先を聞く権利も私にはないというのかっ?」
「…別にアンタに迷惑かけるようなとこには行きませんよ」
「そんなこと言ってるんじゃ…」
 ロイはそう言いかけて、ぐっと唇を噛み締めた。そして。
「もういいっ!」
 そう叫ぶとバタバタと2階に駆け上がってしまう。バンッと寝室の扉を閉めてベッドに身を投げるとぎゅっと枕を抱きしめた。暫くしてパタンと玄関の扉が閉じる音が遠くに聞こえ、その途端ロイの瞳からぽろりと涙が零れ落ちた。

 どれほどそうしていたのだろう、ロイは抱きしめていた枕を離すとベッドから足を下ろす。クローゼットからコートを取り出すとそれを羽織って夜の通りへと家を出た。足早に住宅街を抜け、司令部近くのアパートが立ち並ぶ辺りを目指す。目的の建物にたどり着くとガンガンと階段を駆け上がり、目の前の扉を乱暴に叩いた。
「…るせえなっ!今何時だと…っ」
 不機嫌そうに扉を開けた相手はロイの顔を見ると目を見開いた。
「大佐…どうしたんですか、こんな時間に」
 もしかして一人ですか、と聞くブレダの問いには答えずロイは聞いた。
「ハボックが来てないか?」
「ハボック?いや、来てませんけど」
「約束してるんじゃないのか?」
 そう聞かれてブレダは目を丸くする。
「いや、約束なんてしてませんよ」
 半ば予想のついていた答えにロイは唇を噛み締めた。様子のおかしいロイにブレダはとりあえず中に入るよう言う。だがロイは首を振るとそのまま階段を駆け下りていった。
「大佐っ?!」
 心配そうなブレダの声を背に聞きながら、ロイは涙が零れそうになるのを必死に堪えていた。

「ただいま…」
 夜もだいぶ更けてから戻ってきたハボックは家に入ると小さな声で言うと、中の様子を窺った。家の中はシンと静まり返っている。
「寝ちゃったのかな…」
 多分自分が言ったことが嘘なのはロイにバレている。それは判っていたが、今ロイに本当のことを言うのもはばかられてハボックはため息をついた。2階に上がってそっとロイの寝室を覗いたハボックはそこに誰の姿もないことに眉を寄せた。慌てて普段一緒に使っているハボックの寝室を覗くがそこにもロイの姿はなかった。
「…どこ行ったんだ、あの人…っ」
 こんな夜中に一人でふらついているなんて、そう考えただけで血の気が引く思いだ。ハボックは飛び降りるように階段を駆け下りると夜中の街へと飛び出していった。

 空が白む頃になって帰ってきたロイは、ハボックがまだ戻っていないことを知り、震える息を吐いた。昨夜そこにいてくれる事に僅かな願いをかけてブレダのアパートを尋ねたロイは、やはりそこに求める姿のない事に酷く傷つけられた。もしかしたら一晩中ハボックがあのエレンと言う女と過ごしているのかも知れないと思うと気が狂いそうになる。そんなことを考えたくなくて、酒場を渡り歩いたが、飲めば飲むほど冷めていく自分に心が痛むだけだった。壁に手をついてのろのろと歩くロイの後ろで乱暴に扉が開いたと思うと、ハボックの声が聞こえた。
「たいさっ?!」
 ハボックは壁に寄りかかるように立っているロイの肩を掴むと強引に振り向かせる。
「どこ行ってたんスかっ?!」
 責める口調にロイはムッとしてハボックを睨みつける。
「お前に関係ないだろうっ」
「な…どれだけ心配したと思ってるんスかっ、一晩中捜し回ったんスよっ?!」
「捜してくれなんて言ってないだろう。お前だって出かけてるんだ、お互い様だろうがっ」
「一人で出歩いて、何かあったらどうするんですっ?」
 そう言ってその空色の瞳に気遣う色を浮かべるハボックに、ロイの怒りが爆発した。
「お前に心配してもらう必要なんてない。私を誰だと思ってるんだ。お前なんていなくても自分の身くらい護れる」
 低い声でそう告げるロイの言葉に自分の居場所を拒絶されて、ハボックは目を見開いた。
「アンタ…」
「私に触るなっ」
 ロイはハボックの手を振り払うと2階へと駆け上がってしまった。

「おい、お前、昨夜どこに行ってたんだよ」
 司令室に入るなりブレダにそう言われてハボックは眉間に皺を寄せた。
「どこって…」
「昨夜、大佐、俺んトコきたぞ。約束してるんじゃないのかって」
「うそっ」
「嘘言って俺に何の得があるんだよ。何やってんの、お前」
 ブレダに言われてハボックは困ったように顔を歪めた。
「いや、ちょっと…」
「ちょっとじゃねぇよ。言っとくがな、俺を巻き込むんじゃねえぞ」
 ブレダがハボックに言ったちょうどその時。司令室に入ってきたロイがブレダに声をかけた。
「ブレダ少尉、昨夜はすまなかったな」
「あ、いや、別にまだ起きてましたし」
 ロイに謝られて慌ててそう答えたブレダにロイは続けた。
「迷惑ついでに今夜から暫く泊めてくれたまえ」
「…は?」
「夕方そっちに行くから」
 ロイはなんでもないようにそう言うと執務室に入ってしまう。呆然と閉じた扉を見つめていたブレダとハボックだったが、先に我に返ったハボックがブレダの襟首を掴んで凄んだ。
「ブーレーダーッッ!!お前まさか…っっ」
「わーっっ!んなワケねぇだろっ!落ち着け、ハボックっっ!」
「だったらなんで大佐があんなこと言うんだよっ?!」
「知るかっ!こっちが聞きてぇ!」
 ブンブンと揺さぶられてブレダが苦しそうに呻く。ハボックはブレダを投げ捨てるとノックもせずに執務室に飛び込んだ。
「たいさっ!」
「…入室を許可した覚えはないぞ、ハボック少尉」
 ハボックは冷たいロイの言葉に一瞬口をつぐんだが、すぐに言い返した。
「なんでブレダの所なんかに行くんスかっ?!」
「別に私が誰のところに行こうとお前に関係ないだろう?」
「昨夜行き先も言わずに出かけたことなら謝ります。だからオレの話――」
「うるさいっっ」
 ロイはハボックの言葉を最後まで聞かずに怒鳴る。そうしてハボックに向けて手を突き出すと。
「ちょっ…たいさっ、待っ…」
 指を擦り合わせた。

「…黒こげだな」
「…うるせぇよ」
 ブレダは頬にでっかい絆創膏を貼り腕には包帯を巻いて、ちりちりと金色の髪の毛先を焦がしたハボックの顔を見て呟いた。ハボックは大きなため息をつくと肘をついた手の上に顎を載せて言う。
「ブレダ、お前、大佐になんかしてみろ、ただじゃおかねぇからな」
「誰がするかよ」
 ブレダは思い切り顔を顰めるとハボックに言った。
「大体何が原因なんだよ。お前が悪いんじゃねぇの?」
「あー、でもオレが説明しようとしてんのに話きかねぇんだもん、あの人」
「…怒らせるようなことしたんだな」
「そりゃオレも悪かったかも知れないけど、夜中にふらふら出歩いた上、オレのガードなんて要らないって言ったんだぜ?そりゃさ、あの人は焔の錬金術師でオレなんかよりよっぽど強いかも知れないけど、でも、何があるか判らないんだからっ、なのに、あんな言い方…っ」
 悔しそうに唇を震わせて言うハボックにブレダはため息をついた。
「ちゃんと話せよ。お互いきちんと話さないからワケわかんなくなってんだろ?」
「オレの言うことなんて聞きたくないって言うんだから仕方ないだろ」
 不貞腐れたようにそう言うとハボックは席を立つ。ひらひらと手を振って司令室を出て行く友人を、ブレダは心配そうに見送ったのだった。


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