Aggressive 2

亮水瀬

 いきなりガシッと手首を掴まれ、そのままぐいぐいと奥に引っ張って行かれる。ヒューズの剣幕に驚いて目を白黒させている間に、ハボックは洗面所の奥の個室に連れ込まれてしまった。
「ここ…トイレ…?」
 トイレの個室というにはあまりに豪華なレストルームに、ハボックは戸惑ったようにきょろきょろと中を見回した。洗面所の奥には小奇麗だがごく普通の紳士用便器と個室トイレが幾つかあったが、ここはそれらとは独立した一室らしかった。手前には洗面台と鏡、それに円筒形の小さな椅子があり、ちょっと腰掛けて一服できるように鏡の前には灰皿も置かれていた。奥にはゆったりと洋式トイレが設えてあり、これでシャワーでもあればちょっとしたホテルのバスルームのようだったろう。
「ゲスト用だからだろ。女性用のトイレだと着替えや化粧が中で出来るようなスペースもたまにあるが、男性用でこれは珍しいな……ま、お誂え向きで好都合だけどよ」
「好都合って?」
「…ああ、もうッ!」
 きょとんと見返すハボックの腰をじれったげに抱き寄せて、ヒューズはそのまま唇を重ねた。覚えのない煙草の残り香に、フレームの奥の薄色の瞳が僅かに細められる。
「は?…んんっ、やっ…!」
 ハボックは歯列を割って入り込んでくる舌に息を乱して苦しげに男の胸を押し戻していたが、すぐにキスに酔って甘い吐息を零し始める。久しぶりに間近で嗅ぐ相手のコロンの香りに、痛いほどの慕わしさが込み上げてきてその背にしがみ付いた。
「……しょ、さ…ッ…あ、ン、ンッ…」
「煙草、いつの間に変えた?」
「変えて、ねえッス……ッ……」
「じゃ、何でキスの味が違うんだよ?」
 微かにメントールの味のする舌をキュッと甘噛みして、ヒューズは不満そうに呟いた。ハボックが自分の知らない香りを纏っているのが許せない。
「ひゃ!…ッ、あ?……ああ、いつもの、切らしてて…ッ、売店、これしか無かっ……ッあ、や!」
 口付けからようやく解放されたと思ったら耳朶をきつく噛まれ、ハボックは小さく悲鳴を上げた。ヒューズの抱擁はひどく手慣れていて、女の子との経験すら数えるほどしかない彼には刺激が強すぎた ─── こんな風に触れ合うようになって暫らく経つが、未だにキスにすら慣れる事が出来なかった。


 東方に赴任する前、ハボックは一時期中央でヒューズの下に就いていた。その頃から互いに好意を持っている事は薄々感じていたのだが、直属の上司と部下でいる間ヒューズは決して彼にアプローチしようとはしなかった。ハボックの方も胸に秘めた想いを自分から告白する事など出来る筈もなく、付かず離れずの微妙な距離のまま東方への異動が正式に決まってしまった。
『お前には、ロイの側であいつを支えて貰いたい。ロイもああ見えて色々あってな、生半可な相手にゃ頼めねえんだ』
『はい! 俺、精一杯やらせて頂きます!』
 ハボックは別離の予感に胸を騒がせながらも、ぴしりと踵をそろえて敬礼した。その金髪を愛しげに胸に引き寄せて、ヒューズは呟いた。
『これからはセントラルとイーストシティでちょっと離れちまうな。まあ、俺もあっちにちょくちょく顔出すつもりだから、会えねえわけじゃねえが…』
 抑えた声音に激情が滲む。背中に回した腕にギュッと力が入るのがわかった。
『ホントは、お前を手放したくねえんだ。ずっと側に置いて、俺だけの物にしときてえ…』
『……少佐?』
『お前に惚れてる ─── 多分初めて逢った時からな』
『 ─── ッ!!』
『知らなかったろ?…くくっ…。お前さん、あんまりおぼこくてなあ。モノにしちまうのはいつでも出来たが、それじゃフェアじゃねえと思ったから部下でいるうちは手ぇ出さなかったんだ……馬鹿みてえだろ?』
 頬を両手で挟み込んで真正面から瞳を覗き込んでくる男に、ハボックは今にも心臓が口から飛び出しそうになって焦りまくった。煩いくらいに鼓動が高鳴り、耳の奥にドキドキとその音が響く。
『けれどもう、物分りのいい上官の役は終わりだ。俺と付き合え、ハボック准尉』
『何スか、それッ……』
 突然の告白に混乱して、何と答えていいかわからない。
『嫌か?』
『嫌も何も……俺、男ッスよ?』
『うん。そうだな。ここに付く物付いてるし?』
 無造作に股間をまさぐる男にぎょっとして身を引くが、ヒューズはそれを許さなかった。互いの腰を密着させるようにきつく抱き締め、耳元に深く囁く。
『お前も俺に惚れてんだろ? とっくに知ってるよ』
『そ…っ…、俺…ッ』
 ストレートに言い当てられて、返す言葉が無い。ハボックはかあっと頬に血が上って真っ赤になってしまった。これでは何も言わずとも大声で肯定しているようなものだ。
『俺のものになれ、ハボック』
『……しょう、さ……ッ』
 強がるのも限界だった。堰を切ったように溢れる想いを抑え切れず、彼はヒューズにしがみ付いたまま何度も何度も頷き返した。
 ぽろぽろと溢れる涙を拭う間もなく頤を捉えられ、そのまま激しく唇を奪われる。歯列を割って熱い舌が口内に侵入し、二人分の唾液が飲み込みきれずに口の端から滴り落ちる ─── 初めて交わしたキスは、塩辛い涙と互いの煙草の味がした。


 そんな経緯で二人は晴れて相思相愛の恋人同士になったわけだが。
「少佐、マジ止めて! ここ、どこだと思ってんです? 人が来たら言い訳できないっしょ!」
「うるせえな。ちゃんと鍵も掛かるし、お前がでかい声出さなきゃばれやしねえよ。いいからヤらせろ」
「はあっ?! あんた、何言って……ちょッ……どこ触って…ギャーッ!!」
 腰の辺りを弄る感触にぎょっとして下を見ると、既にテイルスカートが外されていた。ベルトを緩めた男の手が無造作にボトムに突っ込まれ、ハボックは悲鳴を上げてヒューズを蹴り上げた。
「……クソッ、蹴りやがったなッ」
 下腹を押さえて蹲ったヒューズが恨めしそうに長身の元部下を見上げる。だがヒューズの身体が入口を塞いでいるせいで、ハボックの方もレストルームから逃げ出す事が出来なかった。
「当たり前でしょ! 大人しくしてたら、暴走したあんたに何されるか…」
 ついさっきまでの再会の甘い雰囲気はどこへやら、二人はぎゃいぎゃいと言い争いながら狭いトイレの中でぐるぐると追いかけっこを続けている。こんなに騒いではそれこそ人に見つかってしまいそうだったが、幸いな事に洗面所に来た客は皆入口付近のトイレでさっさと用を足し、すぐにパーティー会場に戻っているらしかった。
「暴走って、お前なあ……。久しぶりに逢った恋人の感触をじっくり味わいたいってのの、どこがいけねえんだよ? 大体お前、きちんとホテル取ったところで素直にやらせてくれねえだろが!」
 その言葉にうっと詰まったハボックの動きが一瞬止まる。ヒューズはそれを逃さず彼の腕を後ろに捻り上げ、そのままきつく壁に押し付けた。
「少佐っ……!」
 ハボックが上擦った悲鳴を上げる。もがいているうちに肩章の飾り紐で両腕を素早く縛られ、下着ごとボトムを足首までずり下ろされて身動き出来なくなってしまった。
「もう暴れんな。本気で抵抗されたら、怪我ぐらいじゃ済ましてやれえねえぞ?」
 ひやりと背筋が寒くなるような声音だった。普段おちゃらけて軽口ばかり叩く男の本質を表わす抜き身のナイフのような殺気に触れて、ひゅっと身が竦む。体術にはそれなりに自信があったが、本気のヒューズに抵抗して無傷で済むとはとても思えなかった。
「……まあ、その格好で助け呼べたら呼んでもいいけどよ」
 男の視線を追って横の姿見に目をやってしまったハボックは、後ろ手に縛られたまま下肢をむき出しにされた己の情けない姿に絶句した。こんな格好を他人に見られるなんて、死んでも嫌だ。
「…少佐ぁ……ッ」
「お前、いつまで待たせるつもりだ? 何だかんだ理由付けて毎回駄目出ししやがって。いい加減、俺だって我慢の限界だ」
 付き合い始めて半年近くなるわけだが、実のところ二人はまだ本当の意味では結ばれていなかった。遠距離恋愛とはいえ最低でも月に二度は会っているし、互いに独身の身軽さでその度にデートを重ねている。時にはハボックの方がセントラルまでヒューズに会いに行く事もあった。なのに最後の一線がどうしても越えられない。
「だ、だって……」
 キスは好きだと思う。抱き締められるのも、ひとつベッドで肌を合わせてヒューズの温もりを感じて眠るのもとても好きだった。抱き合えば当然躯は昂るし、そうすれば腰の若い牡は欲の捌け口を求めて張り詰めるのも当然で、もう何度も互いの手や唇で自身を慰め合った ─── だからその行為自体に抵抗はない。けれど。
「怖い怖いって逃げ回った挙句、まだ一回も挿れさせてくれねえじゃねえか!」
「しょうがないっしょ! ホントに怖いんだからッ! あ、あんたはいいっすよ、挿れる方だもん。自分は痛くも何ともねえから、そんな軽く言えるんだよ!」
 今にも泣き出しそうな情けない顔でハボックは叫んだ。
 彼だって、好きな相手を受け入れようとその都度努力したのだ。けれどいざ猛り立ったヒューズのモノが腰に押し当てられると、怖くて怖くてどうしようもなくなってしまう ─── 男同士だと受け入れる側は死ぬほど痛くて、しかも慣れるまでは毎回流血沙汰だと士官学校時代散々脅されたせいだ。今更ながら面白半分で余計な知識を詰め込んでくれた当時の悪友が恨めしかった。
 寛容な男はハボックが脅えて泣きじゃくって拒絶すれば毎回しぶしぶではあるが身を引いたから、結果二人はいつまで経ってもその先に進めなかった。
“…やっぱ俺、甘えてんのかな……”
 困ったように苦笑して自分で始末をつける男の背中を見つめて、何度も胸の中で謝った。だがまさか、こんな形でしっぺ返しを食らうとはさすがに予想できなかったハボックだった。
「俺がどんな思いで毎回寸止めしてきたか、わかってんのか? ─── なのにお前ときたら、警戒心の欠けらもなくあんな男に襲われかけやがって……ッ」
「ひゃっ…!」
 ヒューズは中庭で目にした光景を思い出し、不快そうに眉を顰めてハボックの剥き出しの性器をギュッと握り締めた。庭では男に服の上から触れられただけだったが、それだけだって許せない。
「もう我慢できねえ! 今すぐ全部俺のもんにする!」
「マジッスか…? ちょっ…止めてくださいっ! アアッ…ッ」
 前に回した右手でグチグチと乱暴に楔を扱かれ、ハボックはタイル張りの壁に前髪を擦り付けて頭を振り乱した。
「声、押さえろよ。外に聞こえるだろうが」
 だがヒューズは一向に止める気がないらしい。短く髪を刈り上げたハボックの項をぞろりと舐め上げ、ねっとりと唾液の痕を残しながらシャツを肌蹴て肩口の辺りまでを舌で辿っていく。
「い、や!……ッ……こんな、ところでッ……嘘っしょ?……少佐ぁ……ッ」
 後ろ手に縛られたまま上着を肌蹴られ、背中にごわごわした厚地の布がわだかまる。その下の黒いアンダーシャツは伸縮性のある薄地だったから、殆ど男の手の動きを妨げなかった。
「諦めろ、ハボック。今日はどんなに泣いても許してやれねえ」
「ひゃ……ッ!…あ、ヤッ…!」
「……相変わらず弱いな、ここ」
 シャツの裾から潜り込んだ指先に胸の小さな突起を摘まれ、濡れた甘い声が上がる。最初のうちはくすぐったさとむず痒さしか知らなかったそこも、逢瀬の度に濃厚な愛撫を施されるせいで今ではすっかり性感帯に変わってしまっていた。尖りきった乳首を捏ねられるとジンジンした痺れが胸から広がって、抑え切れずに声が洩れてしまう。
「やぁ……ッ……」
 女の子のように胸で感じてしまうのが嫌で緩く首を振って抗うが、もう唇から溢れ出る吐息は甘く揺らいで快感を隠せなかった。
「くくっ……イイんだろ? 前、でかくなったぜ?」
 ヒューズの手の中で明らかに嵩を増した自身を指摘され、ハボックは泣きそうに顔を歪めて振り向いた。
「あんた、性格悪すぎるっ……ッ」
 男はふっと笑ってハボックの顎を捉えると、啄ばむように口付けながら問い返した。
「その性格の悪い男にベタ惚れしてんのは誰だ?」
 フレームの奥のライムグリーンの瞳が悪戯っぽく瞬いて、次の瞬間身の内から突き上げる強烈な欲情に金色に燃え上がった。その眼に射竦められると、身震いするほどゾクゾクしてしまう。とても隠し事など出来なかった。
「……っ…俺っス」 
「いい返答だ」
「ん、う」
 再び深く重ねられた唇に、明確な思考が停止する。背中越しの不自由なキスに息を乱しながら、ハボックは自分の全てが目の前の男に絡め取られていくのをどこか他人事のようにぼんやりと感じていた。


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