Aggressive 1

亮水瀬

 目の前で繰り広げられるきらびやかな世界に、金髪の準尉はそっと溜息を吐いて壁にもたれ掛かった。ごく内輪のパーティーだという言葉を信じて普段の格好のまま来たのだが、軍服を着ている者など殆ど居ないではないか。護衛任務で来ているとはいえ、余りに場違いすぎる。
“…あの人と比べんのが、そもそも間違ってるんだろうけどさ”
 同じ軍服でも濃紺の略式礼装に生花のコサージュを付けた上官は男の目から見ても悔しいくらいに決まっていて、会場の御婦人方の熱い視線を一身に集めている。尤もロイ・マスタングは、どこにいてもどんな格好をしていても衆目を集める男だったが。
「お飲物はいかがですか?」
「いや、酒はちょっと……」
 シャンデリアの光を弾いて金色に輝くシャンパンのトレイを差し出され、ハボックは困ったように首を振った。
「でしたらジンジャーエールをお持ちしましょう」
「ほんと、お構いなく。俺、自分で取ってこれますし!」
 サービスされる事に慣れていないので、こんな些細なやり取りですらひどくドキマギしてしまう。にこやかに笑った給仕がソフトドリンクのグラスを持ってきた時も、彼はひたすら恐縮して頭を下げるばかりだった。
「…お前、何をペコペコしてるんだ? 私の連れなら、もっと堂々としていろ」
「中佐ぁ…っ」
 あきれ顔のロイに頭を小突かれ、ハボックは情けない表情で振り向いた。
「んな事言ったって、俺、こういう場所慣れてないッスもん。頼んますから、パーティーの護衛は他の奴にしてくださいよ」
「今日は内輪の集まりだと言っただろう? もっと気楽に構えろ。それにパートナーの要るパーティーだったら、お前ではなく最初からホークアイ小尉を同行させている」
「……はぁ…」
 女性同伴の場なら、是非もなく護衛は副官のホークアイになる。護衛と見栄えのするパートナーの両方を兼ねる士官は貴重だ。本当なら毎回彼女を同行させれば話が早いのだが、あまりパーティーの回数が多いと本来の任務以外の負担が増えるし、独身の上官と部下同士、あらぬ関係を勘ぐられるのも好ましくなかった。そんなこんなで新米護衛官のハボックが駆り出されることになったらしい。
「気詰まりなら、少し息抜きしてきてもいいぞ? 護衛と言っても送迎がメインだからな」
「……いいんスか?」
「ああ。一服してくるといい」
 トン、と胸ポケットを指先で叩かれ、ハボックの表情がパッと明るくなった。会場内は特に禁煙では無かったが、どうにも気後れして今まで吸う事が出来なかったのだ。
「じゃ、中庭で気分転換してきます!」
 リードを外された子犬のようにパタパタと走り去る若い部下の後ろ姿にロイは苦笑する。
「…ひとつ貸しにしておくぞ?」
 おそらく会場のどこかでこのやり取りを見ているだろう男に向かってそっと呟くと、彼はさっきからしきりに秋波を送ってよこすブルネットの美女を口説くために踵を返した。 



 夜風に当たりながら煙草を肺いっぱいに吸い込むと、ジャン・ハボックは満足げな吐息と共に紫煙を吐き出した。
「はー、生き返る…」
 メントールの香りが鼻に抜ける煙草は普段愛用している銘柄に比べて随分と軽かったが、品切れとあれば背に腹は替えられない。時間のない中、出がけに売店で鷲掴みにした煙草をポケットに突っ込んで車に乗り込んだのだ。
 テラスにも煌々と明かりが灯り着飾った客達がカクテルを片手に談笑していたが、庭に下りてしまえばさすがに人影もまばらになった。綺麗に手入れされた芝生を踏みながら歩くと、控えめな虫の音が耳に心地好く響く ─── 彼に取ってはきらびやかな会場よりよっぽどほっとできる空間だった。
「もうこのままバックレちまおうかなあ……」
 上官を置いて自分だけ帰るなんて出来るはずも無かったが、そう口にすると何だか気が楽になってくすくすと笑ってしまう。慣れない上官の護衛役は、肉体的疲労より気疲れの多い任務だった。
「楽しそうだねぇ」
 不意に背後から声を掛けられ、ハボックはぎょっとして身構えた。
「誰だッ?!」
「ああ、驚かしてすまない。ちょっと人いきれに酔ったんで、中庭を散策していただけなんだが…」
 植え込みの影からタキシード姿の栗毛の男が現れ、にこやかに笑いかけてきた。招待客の一人なのだろう、会場で見かけた顔だった。
「あ、いえ……こちらこそ失礼しました」
 ポケットから携帯灰皿を取り出して吸殻を始末しぺこりと頭を下げる若い准尉に目を細めて、男はぽんとその肩を叩いた。
「気にしない気にしない。折角のパーティーだ、そんなに堅苦しく構えずにもっと楽しむといいよ」
 年は三十そこそこだろうか、軍人を見慣れた目には些か貧相に見えるが腹回りに無駄な肉は付いておらず、甘い顔立ちに均整の取れた身体付きの男だった。身に付けている物もそれなりに金の掛かったオーダーメイドなのだろうが、何処かしらだらしない印象を受けるのは妙に馴れ馴れしいその態度のせいかもしれない。
「はあ…」
“なに、こいつ……何でこんなにくっ付きたがるんだよ?”
 べたべたと意味もなく背中や肩を触られて、ハボックは内心眉を顰めた。だが上官のお供としてパーティーに出ている以上、そこの招待客と必要以上に揉め事を起こすわけにはいかない。ここは我慢するしかないだろう。
「君は確か、マスタング中佐と一緒に来てた子だね? まだ准尉か…。くくっ…こんな部下なら、仕事もさぞ楽しいだろうな」
 軍服の肩章を確かめて、男は楽しげに含み笑いを漏らした。どうにも下卑た笑みだ。
「 ─── 何が言いたいんスか?」
 若い准尉が拒まないのをいい事に男の手はどんどん大胆になり、今やテイルスカートの上から尻の辺りを弄るまでになっている。酒臭い息が鼻先に掛かって気分が悪かった。
「君の上官は随分と女性にもてる色男だが、それだけでは足りずにこんな可愛い部下を四六時中側に置いているのかと思ってね。彼なら、こっちの方も上手なんだろう?」
 ボトムの上からやんわりと股間を掴まれて、ハボックはぎょっとして男の手を払い除けた。
「冗談きついっすよ。何でうちの中佐が男に手ぇ出したりする必要があるんです? だいたい俺とあの人、全然そんなんじゃないッスから!」
「別にそこまでムキになって否定する事もあるまい? 男同士など、軍ではよくある事だろう?  今更隠すまでもないさ。…ああ、それとも男に抱かれていると他人に知られるのが恥ずかしいのか? ふふふ、君は初心だな。ますますいい」
 再び腰を引き寄せられ、耳元に息を吹き込むように話し掛けられてぞっとした。あまりの気色悪さに項から背中に掛けてぷつぷつと鳥肌が立つ。
「マスタング中佐だけでなく、たまには他の男を味わってみないかと言っているんだ。どうだね?准尉。このまま一緒に上へ行かんか? ─── 私は気に入った相手には物惜しみしない男だ。決して悪いようにはせんぞ?」
 暗にベッドの相手をすればそれなりの金品を代価に差し出すと言われているのだと気付いて、怒りに目の前が赤くなった。金でどうにかできる相手だと思われたのが悔しくてならない。
「ふ、ふざけんなッ!」
 纏いつく男を力任せに突き飛ばして、ハボックは怒鳴った。
「そんなに野郎と寝たけりゃ、その手の店にでも行きやがれ!」
 突き飛ばされた男はそのまま植え込みに頭から突っ込んでしまい、ギャッと叫んで転げ回った。運の悪い事に、突っ込んだ先が細かい棘のたくさん付いた野薔薇のいばらの生垣だったらしい。
「たっ…たかが准尉の分際でこんな事をして、只で済むと思うなよ! マスタングに抗議してやる!」
 涙目のままよろよろとまろび出てきた男が、鉤ざきだらけになった袖で頬の引っ掻き傷を拭いながら悔しそうに呟いた。だがハボックは全く焦る様子もなくそれを見下ろして冷たく言い放った。
「勝手にすればいい。生憎うちの上官はこんな理不尽黙って見逃すほど間抜けな人じゃないんでね。都合が悪くなるのはそっちの方だと思うけど?」
「………ッ…ッ!」
 出世頭のロイに難癖を付けたがる者は引きも切らないが、『イシュヴァールの英雄』に直接干渉できる人間はごく限られていた。こんなところで護衛官相手に息巻いている程度の男では、到底手出しできないだろう。
「んじゃごゆっくり。あ、パーティー戻るつもりなら、その服着替えた方がいいっスよ?」
 その言葉に男は改めて自分の姿を見下ろした。タキシードは薔薇の棘のせいでひどい有様だった。とてもこのまま人前に出れる状態ではない。
「……く、そ…っ」
 テラスを通っても玄関に回っても、全く人目に付かないように上階の客室に戻るのは到底無理だろう ─── 最低でも二度は情けない姿を誰かしらに曝す羽目になる。誰か適当な使用人を捕まえてせめてコートを取ってこさせなければとうろうろ庭を行ったり来たりする男の背後に、不意に黒い影が差した。
「…え?」
 次の瞬間襟足に鈍痛を感じて、憐れな男は前のめりに芝生に昏倒した。



 テラスに戻ってもムカッ腹を押さえきれないハボックは、そのまま会場に戻るのを諦めて洗面所に向かう事にした。
「ったく、冗談じゃねえっての!」
 バシャバシャと乱暴に冷水で顔を洗って手持ちのハンカチで拭うと、少しほっとして鏡を覗き込む。だが項に酒臭い息を吹きかけられた時の事を思い出すとまた気分が悪くなった。
「……ッ」
“あの人以外になんか、触れられたくないのに…っ”
 濡れた布でごしごしと耳と項を擦ったハボックは、もう一度それをポケットに戻す気になれずにそのまま鏡の下のゴミ箱に放り込んだ。
「あーあ、何やってんだか」
 イライラが治まらずに煙草を取り出したところで不意に聞き覚えのある声がして、彼ははっとして正面の鏡を見上げた。入口のドアに凭れて、軍服姿の男が呆れ顔で腕組みして立っている。
「少佐…?」
 その顔を見た途端何だか気が緩んでしまい、声が詰まる。泣き出す寸前の情けない顔で背後を振り向くと、つかつかと洗面所に入ってきた男にぺしりと後頭部を叩かれた。
「お前さん、隙ありすぎ。もっと気を付けねえと、そのうち誰かに喰われっちまうぞ?」
「何で? 何であんたがここにいるんスか?」
「いちゃ悪いか」
 呆然と見上げる青い瞳を覗き込んで、マース・ヒューズは悪戯っぽく笑った。
「悪かないっスけど……まさかまた仕事バックレてこっち来たんじゃないでしょうね?」
 中央の軍法会議所所属のくせしてわざわざイーストシティくんだりまでしょっちゅう親友を構い付けにやってくるヒューズ少佐とマスタング中佐の口喧嘩は、今ではすっかり東方司令部の名物だった。口ではどんなに罵り合っても二人が互いを信頼しているのは明白だったし、ヒューズが軍部内に敵の多いロイと中央の橋渡しに骨を折っている事もみんな承知している。だが彼の度重なる東方出張の理由が、単に親友を構いつけるだけが目的でない事もハボックは知っていた。
「…気が気じゃねえんだよ。あんな変なのに目ぇ付けられやがって。俺の目の届かないところでお前に何かあったらと思うと、おちおち向うで一人寝も出来ねえっつの!」
「は?……あ、あんた、何言って…っ、ちょっ……待って!」


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「刹那の夢」の水瀬さんにオネダリして書いていただきましたーv続きは順次アップしていきますvでへへへへvv