時々、この人の眼の中に鋭い何かが篭っているのに気がついていた。
 でも俺は聞いた事は無い。自分の直接の上官でもないし、どう聞いてもいいかわからないからだ。
 普段の素振りとしては、特段に嫌われているとも好意をもたれているとも判別しがたいものである。上官の暇つぶしにつき合わされるのは閉口ものだが、それもしがない宮仕えの共通の不満であるのだから、口に出してもしかたない。
 だからあまり深く考えず、冗談好きな直属の上官の親友としてしかその人の認識をしていなかった。
 そしてある日。
 東方にまた出張してきた彼は、逗留するはずのホテルに送り届ける俺に、上官の中でも較べるでもなく暢気で気楽な口調で。
「まあ、コーヒーか紅茶でも飲んでいけよ、少尉。少しぐらいゆっくりして行ってもいいだろう?」
 と。
 後から思い出せば、アレは悪魔の誘いだったのだと思う。
 その日から、俺の中で“あの人”の存在は特別な物になったのだ。


 悪魔の手管 


                                                      by 古賀恭也

 
 マスタング中佐の執務室に入室するには気が重かった。
 来客中であるからだ。
 他所から上官が来た程度で動揺したりする程に神経が細かったりしたら、実働部隊でガンガンとテロリストと遣り合ったり出来ないが、比較的図太いと言われているジャン・ハボックにも苦手な来客は存在する。
 執務室の見てくれは簡素だが、厚みだけはある扉をノックする。
「入れ」
 普段はノックをして入室の許可を取ったりはしない。一応、中にいるのはお客様だからの礼儀だった。
「東方司令部特製のまずいコーヒーをお持ちしました」
「マズイは余計だ。馬鹿者」
 上官のツッコミが容赦なく入る。口調は……機嫌が悪い部類みたいだ。執務中の大きな机の端には積まれた書類群があるので無理は無い。しかし、自分で溜めた物が半数以上だ
 一応、これがハボックの忠誠を尽くすご主人様ときている。
「中佐、一服入れましょう。コーヒーを飲みながらだと書類にシミがついちゃうかもしれませんので、こっちへ。ついでにクッキーも持って来たっすよー」
 適度に休憩を入れないと、余計に中佐の機嫌が悪くなる。よほどの事がない限り当り散らす事は無いが、愚図ったりするのがこの上官の面白い所。
 しかし、あまり余裕を与えすぎると中佐は逃亡を敢行する。今は鷹の目が部屋の外に居るからそれは無理だが、錬金術師の彼だから何をやるかは常人には想像がつかない事実もある。そして逃亡した上官を捜すのは、手が空いてなくとも下官である現実と。
「また来たんすか……ご苦労さんな事です、ヒューズ少佐」
 応接用のソファーに座っている、顔見知りのお客様の前に彼ら用のコーヒを置く。部屋に無かった灰皿もだ。
 中央からのお客は、情報機関に所属しているマース・ヒューズ少佐。いずれは、一部署を任せられるだろうと囁かれているらしい、若くして佐官に上がったやり手な男だ。しかし見た目はどうにもそんな所をうかがわせない。
 そして、マスタング中佐とは士官学校の同期で親友だ。
 「おう。お前のその、のほーんとした顔を見られて俺は幸せだぜ」
 スキンシップ好きと評されるヒューズ少佐の両手がハボックの顔に向けられ、容赦なく両頬を引っ張る。筋肉の発達した男の顔だからそんなに伸びる事は無いが、肉ごと掴まれれば当然痛い。
「いひゃいっス。…………指を離して、コーヒーをどーぞ」
 こういう具合だから、この上官は苦手なのだ。
 初めて紹介された時から、どうにも弄りやすいオモチャみたいな扱いを受ける。悪意は無いと信じたいが、それでも上官なのだから対処に困る。
「野郎に…幸せ振り撒く趣味も意図もありません」
「ばーか、幸せを振り撒くのは俺の方だ。生まれたばかりの俺の愛しい天使ちゃんの写真でなー」
 胸ポケットに手をかけようとしたヒューズ少佐をマスタング中佐が止めた。
「それをもう一度出したらここを蹴り出す」
 上官の不機嫌は、少佐のせいもあったのだ。
 先週あたり、ヒューズ少佐の奥さんが子供を産む為に入院して、落ち着かないのか時間ごとに無駄電話をマスタング中佐に掛けていた。
 最初は「初めての出産だから夫婦共落ち着かないのだろう」と相手をしていた親友のマスタング中佐も、あまりに頻度が高いので、最後の方はその電話の応対をハボックにさせていた。
 内容はいつもの惚気に近い。下官の身でははっきり言えないが、「迷惑千万」だ。
 せめて、親友がそう言えばいいのに。
「……旦那さんが、子供を生んだばかりの奥さんから離れていいんすか? 早く帰ってあげなさいよ」
 呆れた様子で言う独身者にヒューズはチチチと指を振る。
「男でさらに激務抱えた俺が傍に居たら気が休まらないだろ。嫁さんは実家に帰って、産後療養なの。帰ってきたら、いーっぱい時間を過ごしたいから少しでもこうやって仕事を片付けてんじゃないのよ」
「そういうもんなんすかねえ」
「女心のわからない奴と思っていたら、男心もわからない奴だったか。そんなんだと一向に連れ合いできねーぜ」
「ほっといてやってください」
 恋人にそう言われてフられる事もある。デリカシーが無い・気が利かない等は自分のせいだろうが、彼女らとの時間が取れないのは上官達の理不尽のせいが大きい。
「じゃあ、女心のわかる男として……中佐はどう思います?」
「そいつが奥さんに構って欲しいだけさ。こんなのにまとわりつかれたらグレイシアもうっとおしいだけだろうな」
「ああ! ロイ! こいつなんて事を! グレイシアが選んだ俺を馬鹿にするかあ?」
「どんな手を使って純真な女性の心を射止めたんだかな。まったく、恐ろしいぞ、お前の手管は」
 マスタング中佐が普通に何かあるニュアンスでニヤリと笑った。一癖も二癖もある狸の会話についていくには階級も頭も足りないハボックである。
 ヒューズは似非臭く胸に手を当てたポーズをとる。仕草に芝居がかった所があるのがそもそも狸だ。しかし、これでも軍の中では子狸ときているから軍というものの奥も闇も深い。
「誠心誠意、心を込めて、愛してるとグレイシアの心に語りかけただけだ。始めは軍人のちょっかいだと相手にされなかったけど、それだってずっと変わりなく訴え続けていれば真実だって……」
「しょーさ。それもしかして、洗脳というのと違うんすか?」
 ショックを受けたような感じで大きく口を開けたヒューズをマスタングはクククと肩を揺らして笑った。
「ばかたれ! もー、ここの上司も部下も! ……そうだ。だからさー、恋人だった時の頃を思い出して久しぶりに電話と手紙で愛を語ろうかと思ってな、ロイ〜」
「それがいいな。自分がいない間に、他の女と浮気してるんじゃないかと疑心暗鬼になるご婦人も居る事だし」
 彼らの恋愛のその時に接していなければマスタングだってそれを疑うだろう。マース・ヒューズの職域が難がある。
 彼は軍の中の情報関係に携わる人間なのだ。
「うお! 俺をそんな不実な男だと思っているわけ!? ひっでえなあ」
「実際、浮気する男も多いからな。それから親友として証言する。お前が誠実であるわけはない。大体、士官学校だってなあ……」
 上官が休憩に世間話を始めたのでハボックは礼をして退出した。その背に、時々感じるあの視線を感じたが、ハボックは振り向きはしなかった。
 ヒューズの奥さんがまだ恋人だった時、結婚した時、上官の巻き添えでつぶさに惚気話を聞かされている。
「さらに子供が追加か…」
 自分のデスクに戻る道すがら出るのは溜息だ。
 これからどれだけの家族自慢の話を業務時間に聞かされる事になるのだろう。そしてその間、仕事は止まる事になる。不条理だと思っても、上官の話を“ながら”で聞く事は許されないからだ。
 ヒューズ家が子供に恵まれたのはおめでたい事だとは思うが、下官には憂鬱の種でもあるそれに手放しには喜べなかった。

「と言う事で、今日一日、アイツ貸してねー」
「何で人手が足らない所に、人手を連れずに来るんだ!」
 調子よく自分の部下をさらって行こうとする調子のいい親友に、マスタング中佐はご立腹中。しかし、これ以上自分の傍で惚気とこれからの家族の野望を聞かされるのは精神的に悪い。何より、仕事の能率が悪くなるので副官の睨みがきつくなってきた。
 で、一人を貸し出す事にして親友にホテルにお引取り願った次第である。
「向こうも佳境なんだよ。中央は色々集中するからなあ……お前のところみたいにバシッと書類整えてくれる所ばかりならともかく、へっぼい役立たずな所もあるんでよ〜」
「手が空いたらとっとと返せ! 元々書類仕事は向いてないんだからアイツは」
 ヒューズが大爆笑した。
「だったらそうそう帰れるわきゃあねえわ!」
 東方司令部の正門口に向う通路側の入口で、二人は護衛兼小間使い兼生贄が来るのを待っていた。
「……お前、佐官なんだから護衛をつけずに歩くなよ」
 マスタング中佐はボソリと呟く。中央と違って東方は本当に物騒だ。もちろん情報方の人間も承知の事であるが、それでも彼の領域は中央なのだ。
「はっ! どの口でそれを言うんだか。散々フラフラ一人で歩き回って怒られてやがる癖にー」
 佐官の二人が、お互い佐官らしくない立ち振る舞いをしているのも親友だからこそだ。
 車庫のある方から大声がする。
「ヒューズ少佐! お待たせっした! 車の支度出来たっスよー。そっちに回しましょうかー?」
 二人が待っていた金髪の部下が煙草を片手にぶんぶんと手を振っていた。
「いや! 俺がそっち行く! ……じゃあな、ロイ。明日朝に一回こっちに顔を出してから都に帰るから」
「ああ、田舎までご苦労だった。ついでに何か差し入れろ」
「新しい書類と一緒にな。今ある机の奴、今晩中に片しておけよ!」
 最後まで気の置けない親友のやり取りだった。
「俺がホテルまで送り届けるんですか……帰ってから書類仕上げなきゃなんねえんですよねえ」
 車を回せとしか言われてなかったハボックは、詳細を知ると渋い顔をした。
 ヒューズは手荷物と書類封筒を軍用車の後部座席に投げ込むと運転席で沈没している青年を面白そうにつつく。
「俺の護衛が不服か?」
「いーえー。苦手な書類と残業がお待ちだと思うとげんなりしてるだけっスー」
 雑用が待っていなくても、テロリストが破壊活動を行って緊急呼び出しもある現場の人間だ。もっとも、今日に限っては、その事態でも客であるヒューズの護衛の為にずっと張り付いていないといけない。
 ヒューズは今日は自分に付いてホテル逗留である事を彼の上官に了承済みとハボックに告げなかった。
 ハボックはガリガリと金髪の頭を掻いた。
「……えーっと、行く先はいつものホテルでいいんすか、少佐?」
「その前に、グレイシアに旅先レター出す為の便箋を買いに文房具屋と……そんで、デリかなんかで一緒に飯を食おうか?」
 ヒューズの意外な申し出にハボックは一端固まる。
「へ? ……俺と? つか、昼に一緒に外で飯を食うって……初めてっすよね」
「なんだ、俺と一緒に食うのは嫌だってか?」
「つか、あんまり高い店は……懐具合が……」
 ハボックは苦笑いした。まだまだ下っ端の尉官だし、食べ物で贅沢するよりは煙草の方に消費を向ける人間だ。
 それに彼女が出来た時には予想外に持ち出しが出る。今はフリーだが、可愛いなあと思う子は結構いるもので、 次はどの娘にアタックしようかと考え中だったりする。
「奢ってやるよ。それにそんな高い所に出入するほど高給でもねえよ、俺も」
「奢りならもう遠慮なくご馳走になります!」
 ニカッと笑う下官に、お客様であるヒューズは「現金な奴」と笑い返した。
 マスタング中佐に薦められたという文具屋で、便箋を買い込んだヒューズはハボックの行きたい店に車を向けるように言う。
 夜にはパブになるこじんまりした定食屋にヒューズを案内する。行きつけと言える程では無いが、料理はうまいので財布の余裕がある時はこの店に通う。口に合うのはオヤジがハボックの出身地と同じだからもあるだろう。
 上官が美食家であったらこんな所には連れて来られないが、ヒューズは庶民出で、家庭料理が好きなタイプらしい。隠れ家的な店に喜んでいた。
 ジャンクフードですら、たまに病みつきになる事があると言った。一日そればかり食う時期もあると、まだ若いという事を感じさせるエピソード付きで。
 ハボックはこの上官のこんな所は親近感を感じていた。
 仕事では舌を巻くほどの切れ者ぶりだし。何を考えているかなんて悟らせないし。
 けれど考えて見れば庶民で同じ士官学校出身なのだから、ハボック達と同じようなガキの遊びをしていた時代もあるのだろうと安心出来た。
 ハボックの直接の上官自体が難解な人柄だ。特に彼は研究者系なので生活の基盤事態がハボックには理解できなかった。悪くは無い上官なのだが。
 その話をハボックがするとヒューズは頷く。
「ありゃ俺にも理解不能。士官学校の頃からな、まあ、地道に行動パターンを把握するしか無いんじゃないの?」
 その人間とずっと親友でいられるのは、この上官もやはり難物である証明だった。
 色々な意味を含めて、軍に善意の人間は居られない、のだ。
「少佐は随分情報を蓄積して対処してるんスか?」
「そうだなあ。研究者って自分で普通だと思っていても、端から見りゃあ奇人だからなあ……アイツの発想自体を推測すんのは俺でも無理さ。“なんかいきなり変な事し出す野郎”という所から始めたよな。……軍隊ってな、チームで全体責任だから……アレを何とかしないと俺らがとばっちり食うし」
 軍人になってからなんとなく錬金術師という物を知る事になったが、それが学生時代であったらとても苦難な学生生活を送るハメになった事だろう。
「情報を蓄積してるっていやあ、お前さんのだって蓄積してるな」
 ヒューズはニカッと笑ってみせた。
「……は?」
 ハボックは一端固まって、それから間の抜けた音を吐いた。
「相も変わらず同じタイプの女の子を口説いては同じようにフラれてるとかー」
「この前振られたのも……知ってるんスかね」
 どきまぎとうろたえる。上官に対して背信行為を行った訳ではないが、この上官の前ではこういう話はドキドキする。さも楽しそうに彼に弄られるだけだからだ。一方的にハボックが。
「つーか、パターンからしてそろそろと思ってたぞー。そっか、フラれたかー、わははははっ」
 本当にうれしそうにカラカラと上官が笑うのに、ハボックとしてはふてくされるしかない。
「…………そんな楽しそうにせんで下さい」
「だって、楽しいし。そうかあ、じゃあお前、女日照なんだ。元気そうなのに辛いやねえ」
「……あんただって、奥さん妊娠して随分ご無沙汰なんじゃないんですか? 浮気しない男なんでしたら」
「そうよ〜、男ってスキンシップ無いと辛い思いするのよねえ〜」
 かといってこの二人では、『男には楽しいお店』に行こうというノリはありえなかった。
 食事が済んだら、彼が逗留するホテルに送り届けて司令部に帰るだけ。
 軍用車をいつものホテルに向けようとしたら、別のホテルを指示された。軍の宿舎だから、軍の式典がある時期で無ければ満室は無いはずだ。
 ハボックが不思議そうにすると、ゆっくりしたいから民間のホテルを取ったという。そのホテルは高級ではないが、それなりのお値段がするので、利用者の範囲も絞られる。メインストリートの近くにあって便利であるが、それなりに静かでもある。
 この上官のする事だ。安全面等のそこら辺も抜かりはなさそうだ。
「中央からの観光客が利用するんスよね、あのホテル」
「東方は観光で来た事は無いがな。気分だけでもと思ってさ」
「いいっスねえ、他所行った場合暢気でお客様が出来て……」
 もちろん佐官だからこそ、頭を垂れる人間が少ないだけの事であるが。
「そうでもねえぞ。俺なんか、出張する汽車の中でも書類と睨めっこしてたんだもん」
「あんた…“もん”てなんスか……。それから、こっち来るのに私服でもいいけど……それでも護衛はつけてくださいよ。特に汽車は、トレインジャックされたら逃げ場が無ぇんだし」
 駅まで私服でやって来て、駅のトイレで着替えたとかハボックは同僚に聞いた。この人ならやりかねなかった。
「上官と同じ事言うな。そんな事より、ホテルでコーヒーか紅茶でも飲んでいけよ、少尉。少しぐらいゆっくりして行ってもいいだろう?」
 ヒューズが相変わらず暢気そうに言う。
  上官にそう言われたら、さらに彼よりも位が上の上官に命令されていないと、辞退して帰る事が出来ないのが軍隊だ。


「よ、お目覚め」
 目の前に、眼鏡の上官の人を食ったような顔が飛び込む。
「あ……少佐? あれ?」
 その上官の顔を目にする前の記憶が無い。いや、ゆっくりと頭の活動が始まって行く。
 軍用車を車庫に入れて車体をシートで隠し、ホテルに入って、受付を済ませた上官と室内まで。室内に入ってからは、窓際で眺望を見ていたハボックを紅茶を入れてくれた上官がソファーに促し……それからの記憶が無い。
 ソファーに落ち着いて、昼食を食ったのもあって……。
「俺……眠って?」
 まだボンヤリと視界はぼやけている。意識が醒めかけたハボックはなんだか窮屈な体を動かそうとした。無性に伸びがしたい感じがして。
「あれ?」
 けれども全く身体は自由にならない。
 変だった。何もかも。手首と足首に圧迫感。それを動かそうとすると、首が絞まる。体にシーツがかけられているが、本来なら肌触りなど感じないはずなのに、上質の布の肌触りを全身で感じられた。
 つまりこの下は。
 ハボックの額に嫌な汗が流れる。
 そもそも自分は座ったままで眠っていたのだ。
「しょ……ヒューズ少佐……?」
 自分だけ動きやすい部屋着に着替えた上官は、ハボックの体を包む白い布に手をかけた。
「さて、ご照覧」
 ヒューズは表情を変えず、冷酷なまでに一気に下官の身体を覆った布を取り払った。
「っっっっ!!!???」
 ハボックはしばし信じられない状態の自分の有様に眼をむいた。
 天下のアメストリス軍の士官が、こんな格好はありえない。
 ハボックの日には焼けているが元々は白い肌をしているそのたくましい首に黒い革のベルト、両手首と膝は左右同士で固定され、それが一定位置からは下がらないようにする為に首のベルトと別のベルトで繋がっている。
 軍隊で捕獲した相手を拘束するために拘束着や拘束帯を使う事はある。が、ハボックのされているこれは目的が違うものだ。
 性的にもしくは人間的に辱めるために特化された物。
 目前の男から肌を隠す物もその革製品しかなかった。
「すげー、いい格好。ロイにも見せたやりたいぜ」
 満足げに上官は頷く。薄い色の彼の青い目がハボックの晒された部分を凝視する。
「な……あんた何考えてんすか! ちょっとやめてください! これ解いてっ!!!」
 横にだけは動かせる脚を慌てて閉じようとしたが、それがバランスを失って置かれている場所から落ちかける結果になった。
「おっと。ちゃんと足を付けてないと前に落っこちるだろ?」
 ヒューズはハボックを抱きとめると、もう一度元の形に収めなおす。
「なんせ窓の遊び場に座らせているんだからさ」
 背後をチラリと見ると、外界から自分を隔てるのは窓枠とガラスのみだ。確かここは三階だから、万が一転落すれば死亡間違いなし。
  そう。軍人の中でも大柄なその身体を窓辺りの余白スペースにハボックは押し込まれているのだった。
 自発的に脚を開かせておくにも、絶好の場所ではある。そして、実質抵抗も許されない。背面のガラスが割れたら自分の身も下を歩く人間にだって怪我をしかねないからだ。
「なんで……あんた、こんな恥ずかしい事を……っ」
「上官のやる事に必ずしも理由があるわけじゃ無い、なんてのはわかっているだろう?」
 背中側に窓があるという事は、窓から向こうには裸の背中が見えているかもしれない。遮光用でしかない薄いカーテンが一枚しか遮ってないのだから。かといって、こちらを見ている人間がいるかどうかなんて振り返る事は出来ない。顔を見られた暁には、堂々と軍服で外を歩けやしないのだ。
「理由が欲しいなら……そうだな、ハボック少尉の知られざる痴態を鑑賞してみたかった、でいいかよ」
「ち……痴態……っ!」
「それで納得しな。その格好でもお前さんにゃ、十分に“痴態”だろうけどな」
 ハボックの憤りと羞恥と他の色んな感情が渦巻いた赤らんだ顔と隠す事も叶わない力なく項垂れた性器をヒューズは見比べる。
「実は、まだまだ準備段階なんだわ、それ」
 ヒューズは部屋にしつらえているラジオに手を伸ばした。電源を入れると、機械からはこの場にそぐわしく無い管弦楽の演奏が流れ出す。
「通りがかりに部屋の声を聞かれても困るからな。ま、軍事放送よりは、ムーディーだ」
 ヒューズの所持してきたトランクはベッドの上で開けられていた。中の物が点在して散らばっている。
 その中の代物をヒューズは一つ持ち上げると弄びだした。
「少佐……なんすかそれ…」
 ハボックは狼狽しつつも、噛み砕くように言葉を発した。答えは聞かなくてもわかっているのだが、しかし聞かないではいられない。
「ん、見たらわかるだろ? 男性器の模造品。これからお前が仲良くするものさ」
 つまりこれは、冗談好きの上官の最悪なジョークではなく、好色な上官の趣向の舞台という事だ。
 許せないのは同じとしても、せめてまだ前者なら少しはハボックも救われただろうに。
 「お前、初めてだろ。バージン貰うのって、さすがにお前のじゃ俺のが食いちぎられそうだから、こいつで緩めような。なあに、二回ほどイく頃にゃ、丁度いい濡れ具合になるさ」
 顎をつかまれて上官の凄みのある目で覗かれる。
「ハボック? 暴れたらガラスが割れて大怪我だぞー、その格好で病院行きたくなかったらおとなしく飲み込め。まずは上の口でだ」
 上官に張り型を口先に押し付けられたものの、男の心情としてそうそう口に入れたりも出来ない。
 顎をつかむ指にぐっと力が込められたかと思うと。
「ハボック? ばっかり広げられてる前側を窓向きにされたくなかったら、その口を開くんだ」
 優しい声音だが恐ろしい言葉に下官はおずおずと言うとおりにするしかなかった。




「う…ぐ……ぅん……」
 口の中で転がす物のゴム臭が口腔を撫で上がりハボックの鼻についた。嫌な臭気だ。ただ、少しは弾力性がある材質なので、硬質な木や鉱物の何かを突っ込まれるよりは傷も少ないと、安堵すればいいのか。
 軍隊内の虐待では、組織の中でも弱い立場の人間にそういう物で残酷の境地を尽くす事もあると言う。ともすればちょっと手元が狂っただけで、内臓を破り殺しかねない所業だ。
 少尉に上がった自分に今更、上官の親友であるこの人物からこういう仕打ちを受けるなど思っても見ない事だった。
「ちゃんと濡らさないと、破瓜の血が流れちゃうな、このサイズじゃ」
 ヒューズは冷たい口調で言葉をかける。興奮したそぶりは少しも無い。情報畑で尋問やそれ以上の汚い事に手を染めているかもしれない身ではこの程度、新人の生ぬるいお遊びでしかないのだろう。
 胃に冷たい物が走るのを、ハボックは気がつかない振りをした。
「その舌使いじゃあ、俺のを突っ込んだっていい感じにしてもらえそうに無いな。しばらくこっちは練習あるのみだ」
 ヒューズは慣れないハボックの口の中へゆっくりと張り型の注挿を繰り返す。ハボックは口の中を占領する大きな異物にうまく呼吸できないでいた。じゅぶじゅぶと異音が耳に伝わるのが一層の羞恥を誘う。
「あぐ……ぐ。ふぁ……う」
 それでも上官が望むとおりに、舌も使ってピンク色の張り型を濡らさなければならなかった。
 口の中にあふれる涎をうまく飲み込めない。口端から伝ってぽとりと身体に落ちる。その分、張り型もヌラヌラと濡れそぼった。
 窓からの光に濡れた身に反射が返るピンクの模造品はハボックには不気味でしかない。
 散々口は異物で蹂躙された。
「けほっ……けほけほ」
 顎がだるさを感じた頃に、ひとしきりで満足したのか、それはあっけなく引き抜かれる。一気に空気が流入して来るのにハボックはむせた。
「お前のもデカイからなあ。フェラしてもらう時に恋人が大変だったろう。別れた彼女達の苦労を少しは味わってみてどう思う?」
 答えないハボックに面白げにニヤリと笑うとヒューズは、手にした異物でハボックの性器で見えない下の口を刺激してみる。嫌な感覚にハボックが身を硬くする。
「うっ……!」
「さーあ。一気にいくぞ」
 ハボックは驚愕に目を見開いた。こんな物をいきなり突っ込まれたら、内臓に損傷を受けかねない。表面は柔らかいものの芯は曲がらない硬い物だ。
 恐れを見て取ったヒューズはハボックの食いしばって力の入った頬を撫でる。
「うっそ。そんなかわいそうな事しないよ。じっくりと馴染ませてやるさ。なんせ、お初なんだからお前だって感覚を味わわないとな」
「もう、こんな事……やめてください。上官のする事じゃ……」
「上官としての命令口調がいいか? それとも、普段の俺の口調? お前の選択肢はそれだけだ。やる事は変らねえ」
 ハボックは俯く。悔しさで心がつぶれそうだ。ダルイ口をきつく噛み締めた。
「まあ、そのうち良くなるって」
 ヒューズは窓の張り出し口の壁にハボックの側頭を押しつける。それからむき出しの性器がよく見える位置まで屈み込む。手首とベルトで固定されている膝を上方に上げると、腰で座る位に尻が浮き上がり、隠れていた目的の場所が現われた。
「……っ! あ、嫌だ…見るなっ!!」
 姿を晒した寄せられたヒダに、ヒューズはフウッと息を吹きかけた。ハボックはビクリと体を震わせる。
「本当はさ、ここをつんつるてんに剃ってやろうかとも思ったんだけどさ。尉官のシャワー室も着替えも合同だからさすがにまずかろうと思ってやめたんだ」
 下方の金髪の性毛の事だ。
 着替えの時はうまく隠せても、シャワーの時は隠しようが無い。そうしたら、一挙におかしな噂が司令部で駆け回るだろう。もし、そんな事があるのなら。手術で必要で除毛された時だけで、を望む。
「やめ……マジでそんな事…されたら…俺っ!」
狼狽しまくるハボックの頑なな入口を桃色の人工物でヒューズは刺激しだす。本格的に陵辱行為に入る準備運動だ。
「最低限、相手にマイナスになる事はしない」
 勝手な男の言い草にもやりようにもカッとなって、ハボックは怒鳴り声を上げた。
「もう完全にマイナスです!!  俺……どんだけ皆を待たせてるんだか!!」
「お前は今日一日俺に貸し出されている。他の奴で出来る仕事は、他の奴に割り振られてる」
 それは衝撃的な事実だった。
「……まさか、マスタング中佐が……こういう事を承知で……俺を?」
「いや。普通に俺の書類仕事の支援。だから、明日、上官に会ってもそういう具合で振舞えよ?」
 しかしそうなると明日の未明までは、ハボックはここで何をされてもされるがままだと言う事だ。助けが来ないどころか、二人の関係上、自力で逃げ出せもしない。
 階級を気にかけないハボックなら、営倉入りや降格を覚悟でヒューズをぶっ飛ばす事も出来たが、真っ先に上官殿はその手段を封じ込んだ。
 尻の中心でグリグリと圧をかける人工物に、恐怖と焦りの冷や汗とを吹かしながら、金髪の青年は気丈に吐き捨てた。
「……あんた、卑劣だ……っ」
「表現が悪いな」
 ヒューズは人工物の動きを変えた。ぐりっとその先端をハボックの綻び掛けた締りに突き上げてくるように。
 そのまま強い力で問答無用に穴の中へ押し入ってくる。
「やり手といいなさい。仮にも上官だぞ、俺は」
 先端から徐々に大きくなる形は、性的な目的で開かれた事の無いデリケートの場所にはことさら衝撃を与えた。
 仰け反って後ろの窓に倒れ掛かればガラスが割れる。顔を壁にくっつけたまま、ハボックは痛みと不快感に耐えるしかない。
「……うぅー」
 そんなに硬くなるなよ。進まないじゃないか」
動く道を確保する為に左右に先端を振り分けながらそれは確実にハボックの中を進入していく。
「い……やだ、嫌だ嫌だ、本当にやめて…っ!」
 下腹部を中からうねる圧力感、開かれっぱなしで次々に異物が入り込む痛み。襲ってくるさまざまな感触に、悲鳴もあげられないくらいに息が詰まる。出来る事といえば、掠れた声で懇願するしかなかった。
 グチュッと下腹部で濡れた音がする。
「お前……実はこいつがいいんじゃないか。なんか濡れてきたみたいだ。ホラ、さっきより動きが滑らかになっただろう?」
 今度は前後に揺らして物の動きを確認する。その動きにあわせてグチュリグチュリと嫌な音が聞こえる。腔内を動くそれに伴って濡れた何かが広がっていく。
 いきなり小刻みに動いていた物が入口まで大きく引かれる、かと思うとまた勢い良く前に突進してきた。
「ひぃ…っ、痛ぁあ…っ!」
 大きく動く体を瞬間ヒューズが抱きかかえる。もはや自制が利かないほどの衝撃だ。抱き込んで体を固定したまま、彼が下を犯す動きは止めない。なお一層の進入と後退を繰り返す。
 進入した入口の、とにかくすぐ閉じようとする場所を異物の一番大きい箇所を出し入れして攻めると、ハボックが声を上げて泣きじゃくった。
「いっ……いてぇえ…。しょ…う、いたいよ…も…無理ぃっ」
 酷い怪我をした時ですらそんなにみっともなく涙をこぼした事が無い男がだ。
「よーし、よしよしよし。いい子だ」
 強弱を繰り返し、柔硬を繰り返す。攻略していくための駆け引きの基本だ。攻めるのをやめ、グウッと突き込んで、入れられる所まで収めるとヒューズは異物の動きを止めた。
「全部飲み込んだなー。破瓜の血は流れなかったぞ、喜べ」
 男の体を抱き込むのをやめ、泣きじゃくるハボックから離れる。壁に凭れかかりぐったりとするハボックをそのままに一瞥もくれずにヒューズは洗面所に向った。
「やっぱ俺ってブッ挿すの上手だわ」
 次にヒューズが現われた時には手を拭きながらだ。
 少し痛みと興奮状態が収まって、部屋の中の様子を見るまでに精神状態が回復したハボックがのろのろと頭を上げる。
「これ出して、しょ……少佐…」
 ヒューズは窓の方を見ずにホテル備え付けの机に向う。書類を手に取ると、それを読み始めた。
「俺、この書類を片さなきゃならないから。中が良くなるまでしばらくそうやって馴染んでろ」
「少佐……っ!!」
 そうして。人に絶対に見せられない格好で、彼の気が済むまでハボックは放置される事になったのだ。


→ 後編