第九章


 窓ガラスの向こう、降りしきる白い雪の中に黒々と横たわる森をハボックはじっと見つめる。火の気のない部屋は外と大して変わらない寒さだったが、体温を持たない身にはなんの支障もなかった。
「寒い……」
 それでもハボックはそう呟く。寒いのは体ではなく、自ら望んでとはいえ愛する者を手放してしまった心の方だった。
「いつまでも女々しいな、オレは」
 忘れなくてはと思えば思うほど脳裏に浮かぶのはあの強い黒曜石の輝きだ。もう忘れてしまったほど遠い昔、この闇の一族の末に加えられた時から誰かを愛することはやめてしまった。ハボックにとって温かい血肉と限りある命を持った者こそ心惹かれる存在であったが、それは同時に決して同じ時を生きられない存在であったからだ。人は勿論鳥も花もハボックと共にあることは出来ない。だからこそこの昏く冷たい屋敷で息を潜めるように終わることのない時を積み重ねてきたというのに。
 あの日出会ったロイと優しい時を過ごすうち、ハボックは夢見てしまった。もしかしたらこのまま一緒に過ごしていけるかもしれないと。そんなことなど決してありはしないと判っているのに。
「忘れなきゃ。もうロイはとっくにオレのことなんて忘れてるに決まってるんだから」
 好奇心旺盛な子供なら毎日出会う新しい事柄の中で、己の事など瞬く間に忘れてしまうに違いない。
 そう考えたハボックが、緩く首を振って森を視界から閉め出そうとそっと目を閉じた時。
『ハボック……』
 どこからか呼ぶ声が聞こえてハボックはハッと目を開けて外を見る。相手を想うばかりに聞こえた幻聴と窓から目を背けようとすれば、今度はさっきよりもはっきりと聞こえた。
『ハボック……ッッ!!』
「ロイ……」
 そんな筈はないと思うもののハボックは雪の向こうに広がる森から目を離せない。暫くの間食い入るように窓の外を見つめていたハボックは、次の瞬間弾かれたように部屋を飛び出した。階段を駆け降りホールを駆け抜け、玄関を叩きつけるように開けるとそのまま外へと走り出る。屋敷をその白い腕(かいな)に閉ざす雪の中に踏み込むと、全速力で走った。
「ロイっ!返事をしてっ、ロイッ!!」
 ザクザクと雪を掻き分け森の中を進む。深く降り積もる雪も視界を閉ざすように雪を吹き付けてくる風も、ロイを探して突き進むハボックには何の妨げにもならなかった。
「ロイッ!!」
 湖の畔を抜け街に続く道へと足を進めたハボックは、幾らも行かないうちに雪の中に半ば埋もれるように倒れた人影を見つけた。
「ロイ……?ロイッ!!」
 慌てて駆け寄りロイの上に降り積もる雪を払いのけその体を抱き上げる。まさかと少年の口元に当てた手のひらで微かな呼吸を感じ取って、ハボックはホッと息を吐いた。とはいえ。
「このままじゃ死んじまう」
 呼吸は浅く鼓動は弱い。この間のようにただ体を暖めるだけでは駄目で、きちんと手当をする必要があるだろう。
「ロイ……」
 ハボックは森の外へと向かう道を見据えるとロイを抱えて立ち上がる。そうしてもう殆ど消えかけたロイの足跡を辿るように、街へと駆けていった。


2012/03/08


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