第十一章


 ベッドに横たわっていたハボックは目を開けるとゆっくりと起き上がる。ベッドから下りテラスに繋がる大きな窓に歩み寄った。
 窓から見下ろせばちらちらと雪が舞い落ちる先に黒い森が広がっているのが見える。その先にあるはずの街をハボックは空色の瞳でじっと見つめた。
 雪に埋もれるようにして倒れていた少年を、彼の家の玄関先に送り届けたのは三日ほど前の事だ。ハボックが扉を叩いた音で出てきた使用人たちがロイを中に運び込むのを確かめて、これでもう大丈夫とロイの家を後にした。今頃ロイは手厚い看護を受けて、回復しつつあるに違いない。
「ロイ……」
 もう二度と会うことのない少年の名をハボックは口にする。そうすれば愛しさと同時にざわざわと胸がざわめいてハボックは眉を顰めた。
「なにが不安なんだ?オレは……」
 胸をざわつかせるのが不安だと気づいて何故と己に問いかける。あの家ならロイをしっかりとした医者に見せる事も可能なのだから心配する必要など全くない筈だった。
「くそ……っ」
 心配いらないと自分に言い聞かせてみるものの不安は大きくなるばかりで一向に収まる気配がない。湖の畔(ほとり)で過ごす間、ロイは殆ど家族の事は口にしなかった。僅かに彼が語った事からハボックが知り得たのは、両親を早くに亡くしたロイを引き取った伯母夫婦とはあまり上手くいっていないらしいと言う事だけだった。
「だからって病気の子供を放っておく訳ないんだし、主治医だっているんだし」
 不安を押し殺そうとハボックは口に出して呟く。冷たいガラスにコツンと額を押しつけてギュッと目を瞑っていたが、パッと目を開けると窓を押しあけてテラスに出た。バルコニーの手摺りに手を載せ食い入るように森の向こうを見つめる。夕暮れが近づいて辺りは急速に暗くなり、空と森の境目がはっきりとしなくなってきていた。雪の舞い散る中、黒い森を見つめていれば不安に押し潰されそうになる。もうそれ以上じっとしていることが出来ず、ハボックは身を翻して家の中に戻ると階段を駆け下り外へと飛び出した。雪の舞い散る中、森の中の道を人間には考えられない速さで駆け抜ける。つい先日、躊躇った末に踏み出した坂道を迷わず一気に下りると街の入口まではあっと言う間だった。
「……」
 気は急くものの流石にここからはなるべくゆっくりと歩いていく。ロイの家までやってくると、ハボックは辺りを見回し人目がないことを確認して軽々と門を乗り越え敷地の中に入った。今度は玄関には向かわず建物に沿ってゆっくりと歩く。裏口までやってきたハボックは辺りの様子を伺いながら扉をそっと叩いた。少し待つとガチャガチャと鍵の外れる音がして扉が開く。
「はい────あんた誰?」
 顔を出した使用人の男が訝しげに言うのに答えずハボックは手を伸ばした。その指先を男の首筋に当てれば、男は一言も発することなく昏倒する。ハボックは男の体を扉の陰に押し込むと中に入り扉を閉めた。
 ハボックは見つからないよう注意しながら階段に向かう。丁度その時、トレイに水差しを載せた使用人が出てくるのが見えて、ハボックは柱の陰に隠れた。使用人が階段を上るのを確かめて、足音を忍ばせその後を追う。二階にあがった使用人が一番奥の部屋の扉を軽くノックして入っていくのを見ると、ハボックは陰に隠れて使用人が出ていくのを待った。暫く待てば使用人が部屋から出てくる。すぐ隣の部屋からどうやらリネンの交換をしていたらしい別の使用人が出てきて、トレイを手にした使用人に言った。
「どう?ロイ様のご様子」
「どうもこうも……あのままじゃ死んでしまうわ」
 そう言う声が聞こえてハボックは目を見開く。飛び出していきたいのをグッとこらえて二人の会話に耳を澄ました。
「お医者様にも診せないなんて、そうでなくてもロイ様はお体が弱いのに……奥様たちはロイ様を殺す気なの?」
「……ここだけの話だけど、奥様たちはロイ様が邪魔なのよ。ロイ様がいなくなれば管理するだけで手を着けられない莫大な財産が自分たちのものになる。病死してくれるなら万々歳と思ってるんだわ」
 お可哀想にだの酷いことをするだのこそこそと話しながら使用人の女たちが行ってしまうのを、ハボックは陰に潜んで待つ。女たちが階段を下りるのを見届け、ハボックはロイの部屋に飛び込んだ。


2012/04/27


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