| 夏梅 前編 |
| ロイがようやく立ち上がって玄関の外へ出た時には、既にハボックの姿はなかった。ロイは家に戻ると床に落ちたままの鍵を拾う。 「うそだろ…」 ロイは手の中のそれをじっと見つめていたが、顔を上げると外へ飛び出した。左右を見回して闇雲に走り出す。ロイは夕闇が迫る街をハボックの姿を求めて駆け回った。 ガチャリと扉の開く音に顔を上げた司令部の面々は、入ってきたロイの酷い顔色にぎょっとした。 「ブレダ少尉…念のためにに聞くんだが…」 「ハボックなら来てませんけど」 「…そうか」 ロイはがっくりと肩を落とすとよろよろと執務室へと向かう。ブレダはそのあまりの憔悴ぶりに思わず声をかけた。 「また、ケンカしたんですか?」 「ああ…」 元気なく頷くロイにブレダはため息をついた。 「謝っちまえばいいじゃないっすか」 ブレダの言葉にロイはぴくりと肩を震わせる。 「…鍵を…」 「え?」 「鍵を置いていったんだ…」 その言葉にブレダだけでなくフュリーやファルマンも目を瞠った。しょんぼりと執務室に入っていくロイの後姿を見送ってブレダたちは顔を見合わせる。 「ついにハボック少尉が大佐を見限ったってことですか?!」 「お互いベダボレだと思っていたんですが…」 「どうせまた大佐が馬鹿なことをやったんだろうけどな」 何だかんだ言ってもロイに甘いハボックを、そこまで怒らせるとは一体何をやったんだ、と3人が考えていると。 ガチャリと音がして司令室の扉が開いてハボックが入ってきた。 「ハボ!」 「少尉!」 何か言いたげな3人を無視して、ハボックは引出しからロッカーの鍵を取り出すと、再び司令室を出て行こうとする。 「おい、ハボ!」 「…なに?」 ブレダの声にもハボックは振り返ろうとしない。 「お前…」 「訓練行ってくる」 「ハボっ」 バタンと閉まる扉を3人とも言葉もなく見つめた。 「えー、どうなっちゃうんですか、あのふたり」 「こっちが聞きてぇよ」 ブレダはすっかり元気をなくしてしまった友人を心配して、深いため息をついた。 結局ハボックはロイが執務室にいるときはまったく司令室に顔を出さず、必要な時は小隊の部下を寄越す徹底ぶりだった。しょっちゅうフケては仕事を溜めているロイも、流石にそんな気になれないのだろう、大人しく仕事をこなしていた。むしろ大人しすぎて不気味なほどだ。司令室の面々は、張り詰める異様な空気に息を詰めて仕事をする羽目になり、流石に3日を過ぎる頃になると最初にフュリーが音を上げた。 「ブレダ少尉!何とかして下さい!ボクもう、この空気に耐えられません!!」 「私もそろそろ限界です…。まだあのいつものバカップル振りの方がマシですよ」 「んなこと言ってもだな」 そう言ってブレダは傍らのホークアイを見上げた。ホークアイは肩を竦めると口を開く。 「私としては仕事がはかどっていいのだけれど」 「中尉〜〜っ」 泣きつくフュリーにホークアイは苦笑した。 「ハボック少尉に謝ってみてはどうかと、それとなく言ってはみてるのよ。でも」 今回はどうも根深いみたいね、と首を傾げてそう言うホークアイにブレダも相槌を打った。 「オレもハボと話そうとしてるんですけどね。そのたびに逃げ回るもんで」 まったくここまで職場にプライベートを持ち込んでくるなんて、とんでもない上司に、同僚に、ブレダたちはウンザリとため息をつくのだった。 「ハボっ!今日こそは話してもらうからな!」 ブレダは廊下でばったり会ったハボックの腕を掴むと近くの休憩所に引っ張り込んだ。 「お前なぁ、どうなってんだよ、大佐と!」 「そんなのお前に関係ないじゃん」 不貞腐れたように答えるハボックにブレダはムッとする。 「関係なくないだろっ!こんなプライベート、職場にビシバシ持ち込みやがって。まともに仕事になりゃしないだろうが」 ブレダにそう言われて、ハボックは黙り込む。そんなハボックの顔を覗きこんでブレダは聞いた。 「なあ、まさかホントに大佐のこと、嫌いになったのか?」 それならそれで対処の仕方も違ってくると、ブレダはそう思う。だが、ハボックは俯いたまま黙り込んでいたかと思うと小さな声で言った。 「嫌いになれたらいいのに…」 「ハボ?」 「なんでこんなに好きなんだろう…」 呟くように言うハボックにブレダは呆れた声を上げる。 「お前なぁっ!だったら大佐んとこ、とっとと帰りゃいいじゃないか!」 そう言うブレダにハボックはバッと顔を上げると怒鳴った。 「帰れるわけないだろっ!大嫌いだって言っちゃったし、それに…」 そう言ってハボックは顔を歪ませた。 「鍵、投げつけちゃった…」 そんなハボックをブレダはまじまじと見つめる。そこにいるのは子供の頃、ケンカして素直に謝れなかった時と同じ顔をした、古くからよく知る男だった。 「ハボ…」 ブレダはふぅ、とため息をつくとハボックの肩を掴んで言う。 「素直になれよ。ごめんなさいって一言言えばそれで丸く収まるって」 だが、ハボックはふるふると首を振った。 「どんな顔して会えって言うんだよ」 そう言ってハボックはブレダの腕を振りほどいて休憩所から出て行こうとする。ブレダは慌ててハボックを引き止めると聞いた。 「待てって。せめてお前が今いるところ教えろよ」 「…ルコン川沿いの工場街のアパート…」 「ルコン川ぁっ!めちゃくちゃ治安悪いトコじゃないか!まさかお前、そこから軍服着てここまで来てんじゃないだろうな」 「…来てるけど」 「ばっ…、そのうち刺されっぞ!」 「仕方ないだろ。オレ、持ち合わせあんまり持ってなかったし、そこ位しか借りられなかったんだもん」 「だからって…」 ブレダはハボックを見つめてため息をついた。 「俺んとこ泊めてやるからそこ、引き払え」 「そんなわけには行かない」 「ハボック!」 「大丈夫だよ。オレ、そんなヤワじゃないし」 そう言って笑うハボックの顔が、ブレダには泣いているように見えて。 「ありがと、ブレダ」 そう言うと休憩所を出て行ってしまった友人を呆然と見つめたブレダは、次の瞬間猛烈に腹が立ってきた。 「ったく、なにやってんだよ、大佐はっ!」 ハボックにあんな顔をさせるなんて、上司でなかったらぶん殴っている所だ。子供の頃から何かにつけて世話を焼いてきただけあって、ブレダはどうにもハボックが弟のようでほっとけなかった。大きなお世話かもしれないとは思いつつ、足音も荒く司令室に戻ると、意を決して執務室の扉を叩く。 「ハイマンス・ブレダ少尉です、入ります」 そう言って中へ入れば、ロイが黙々と書類にペンを走らせているのが目にはいった。 「大佐、ちょっと話があるんですけど」 ブレダがそう言えば、ロイはペンを置いて顔を上げる。 「大佐、ハボックとのこと、どうするつもりなんですか?」 「…それは仕事中にする話じゃないな、ブレダ少尉」 そう言ってペンを取るロイにカッとして、ブレダはロイの机を掌で思い切り叩いた。 「今しないで、いつするっていうんですかっ!!」 ブレダの剣幕にロイは目を丸くして見つめた。 「なんでハボックのこと、迎えにいってやらないんスか?」 「…迎えになんていけるわけないだろう。鍵を置いていったんだぞ。帰る気がないということだろう?」 苦々しく言い捨てるロイにブレダはため息をついた。 「アイツ、帰りたがってます。でも、大嫌いだって言って鍵、投げつけちまったから会わせる顔がないんですよ」 ブレダの言葉にロイが目を瞠る。 「大佐、ハボのヤツ、今、ルコン川沿いの工場街のアパートにいるらしいんすよ」 「ルコン川の工場街?!軍に反感持ってるヤツらの溜まり場じゃないか!」 「俺の家に来いって言ったんですけど、言うこときかなくて。そこから軍服着てここまで来てるっていうから」 言葉をなくして見つめてくるロイにブレダは言った。 「アイツのことはガキの頃から知ってるし、大事な友人です。出来ればあんな顔してるとこは見たくない。俺がなんとかしてやれることならしてやるけど、今、アイツに何かしてやれるのは大佐しかいないんです」 そう言うブレダにロイは聞いた。 「今からでも間に合うだろうか」 「ここでうだうだ言ってる暇があるなら、行動起こしたらどうです?」 ロイはブレダの顔を見て苦笑した。 「まったく、私の部下は上司を上司とも思わん口の聞き方をする」 「そう思うなら少しは上司らしくして下さいよ」 そう言って笑うとブレダは執務室を出て行った。ロイは閉じた扉を見つめて、誰よりも大切な人に想いを馳せる。好きで好きでどうしようもない程好きで、想いが暴走して相手に負担になっていることはよく判っている。それでもどうしても好きであることをやめられないから。 ロイはゆっくりと立ち上がると、執務室を出ていった。 → 後編 |