自覚2



「まぁたこんな所で寝てるよ…」
 オレは木陰でまどろむ大佐を見つけるとため息をついた。いくら軍の敷地内とはいえ、大佐ともあろう人がこんなところで無防備に寝ててもいいものだろうか。一番最初からそうだったけど、オレが近づいたって起きやしない。もし、オレが暗殺者だったりしたらどうするんだろう。まったく、もう少し自分の身の安全ってものを考えてほしい。まぁ、ちょっと疲れてたみたいだし、休んでくれるのはいいんだけどね。でもそろそろ起きてもらわないと中尉の機嫌も悪くなるし、と、オレは大佐に声をかけた。眠そうな目を眇めて睨んでくるのでへらりと笑ってみせる。いつもなら文句をいいながら起き上がってくるところなのに、今日は黙ったままじっと見つめてくる大佐に居心地が悪くて思わず名前を呼んだ。
「大佐?」
 一体何を考えているのだろう。この人は頭が良すぎてオレの手には負えない。取敢えず部下として使えると思ってもらえるよう、努力するだけだ。何か気に触ることでもしただろうかとふと不安になっていると、ぎこちなく視線を外した大佐が立ち上がろうとするのに手を貸して引っ張り上げた。
「どれくらい寝ていた?」
「40分くらいスかね」
 問いかけに答えたオレをちらりとみると大佐はゆっくりと歩き出す。さっきよりは顔色がよくなっていることに安心してオレは後に続いた。


 大佐が執務室にこもってから暫くして、おそらくそろそろ山ほどの書類に嫌気が差している頃だろうと見当をつけてオレはコーヒーを淹れると執務室の扉をノックした。返事を待たずに中へ入ると思ったとおり眉間に皺をよせて書類と格闘している。
「ちゃんとやってますか?」
 そういいながら机の上にカップを置くとすぐさま手が伸びてきて口をつける。
「見ればわかるだろうが」
 と決済済みの書類を指差す。きちんとやっていると主張したいのだろうが、生憎未決済の山の高さはさっき見た時とさして変わらないように思える。
「でも、こっちの山の高さ、変わんない気がするんスけど」
 と言うとあからさまにゲンナリした表情をするので思わず笑ってしまった。
「最近、ちゃんとメシ食ってます?オレ、今日時間あるんで、メシつくりに行きましょうか?」
 先日何かの拍子に食事を取ることに関心がないことを知って、それ以来大佐の食生活が気になって仕方なくなった。軍人として食事をきちんと取るのも仕事のうちだと思うし、何より体に悪い。それに最初に遠慮がちに差し入れた食事をとても喜んで食べてくれたので、すごく嬉しかったこともある。それ以来、作ったものを差し入れたり、時には大佐の家に作りに行くこともあった。元来食事を作るのは好きだ。それが誰かのためならもっと嬉しい。大佐がオレが作ったものを美味しそうに食べてくれるのをみるとひどく幸せな気持ちになれるんだ。
「だったらビーフシチューがいい」
 大佐がここぞとばかりにリクエストしてくる。そういえばあのシチュー、えらく気に入ってたな。リピートでリクエストしてくるなんて、こんな嬉しいことはないと思う。
「いいっスよ。じゃあ、今夜はシチューってことで。頑張ってくださいね」
 エールを送ると大佐が期待に目を輝かせて頷いた。可愛いなぁ。…って、なんだよ、可愛いって。まぁ、とにかく大佐が喜んでくれるならこっちも張り切って作らなければ。オレはニッコリ笑って執務室を後にすると、定時にきちんと上がれるように書類に取り組んだ。


 市場で買い物を済ませて大佐の家に向かう。食事を作る時は材料費は大佐もちになるのでちょっと贅沢できて嬉しい。
 初めて大佐の家に来た時はここは人の住んでいる家なのかと疑ったもんだ。確かに綺麗に片付いてはいるが、人の匂いがしないというか、まるでモデルルームのようだと思った。大体、キッチンに鍋や調味料がないなんて、一体どういう生活を送ってきたんだろう。冷蔵庫の中だって僅かに酒とチーズくらいしか入っていないし。オレはもう、勝手に鍋や食器を買ってきてはキッチンに並べていった。この人に人間らしい生活を送らせるのは自分の責任だと言う気がしてしょうがなかったからだ。でも、そうするオレの行動を咎めるでもなく、むしろ歓迎してくれている様子の大佐にオレはなんだか嬉しくなって、何かにつけてせっせと面倒をみに通うようになった。大佐がオレの作ったものを喜んで食ってくれるのが嬉しくて、今度は何をつくろうかとかそんな事を考える自分がおかしかったが、でも心の中が温かくなって来るのも事実で。今日も大佐のリクエストのシチューを作るべく材料を用意して圧力鍋に入れていく。仕事帰りによって食事の用意をするのはどうしても時間が限られてしまうので、圧力鍋は本当に重宝している。ホントは朝から仕込んで行きたいけど、まさか朝っぱらから押しかけるわけにも行かないし、取敢えずこれで我慢してもらうしかないよな。
 ソファで寛ぐ大佐に食前酒など出して、時間を潰していてもらう。その間に手早く食事の準備を進めていった。テーブルに二人分の食器を出してサーブして、大佐を呼べば美味しそうに食べてくれる。ただそれだけで、一日の疲れが吹っ飛んで行く気がするからわれながら現金なもんだ。食事の後にコーヒーを飲みながらとりとめのない話をするのも好きだ。大佐の耳に優しいテノールを聞いているとホッとする自分がいる。あのいつも厳しい光を湛えている瞳がほんの少し和らいで、オレに笑いかけるのが嬉しかった。そんな風に今夜もつらつらと話しながら大好きな黒い瞳をみれば、なんだかいつもと違う光を湛えている。それがなんなのかわからないままオレを凝視する大佐に戸惑いを覚えて大佐の名前を呼んだ。オレの声に大佐が眉を寄せたような気がした。何か拙いことをいっただろうか。様子のおかしい大佐にオレはどうしたらよいかわからずにただうろたえていた。


 あの日以来、大佐に避けられているような気がする。やっぱり何か拙いことでも言ったんだろうか。直接聞けばいいのかも知れないけど、そんなことも判らないのかと怒鳴られそうでとても聞けない。楽しかった食事の世話も、その後の居心地のいい空間でのおしゃべりも、全部なくなってしまってオレはすっかり落ち込んでしまっていた。やっぱりちゃんと理由を聞いたほうがいいのかもしれないと思いつつ、どうしても逃げ腰になってしまうのが情けなくて仕方なかった。


 今夜はブレダの隊と合同で飲み会だ。酒でも飲んでバカ騒ぎすればこの気持ちも少しは晴れるだろうか。早々に仕事を切り上げてブレダと一緒に店に向かう。貸切の店内にはもう結構メンバーが集まっていてあちこちで盛り上がってきている。それにしても、軍隊はもともと男の比率が多いとはいえ、小隊の飲み会ともなると本当にむさ苦しい男ばかりだ。ここに大佐がきたらきっとウンザリするに違いない。なんて、なんで大佐のこと思い出してるんだろう。今は忘れて騒ぎたいのに。オレはぶんぶんと頭を振ると呼ばれるままに部下達の間に座り込んだ。


 もう、どれくらい飲んだろうか。オレもブレダも結構強い方なので殆んど顔に出ていないが、隊員の中にはすっかり酔いつぶれているのもいるようだ。オレの隣にいるシモンズ軍曹も意識が朦朧としているようだった。でっかい体をゆらゆらと揺すっていていつテーブルに頭をぶつけるかと見ているほうがひやひやする。
「おい、シモンズ。そろそろやめといた方がいいんじゃないのか?」
 そういって俯き加減の顔を覗き込む。酔った茶色の瞳と目があったと思うと、シモンズがオレの手を握り締めて言った。
「俺のこと心配してくださるんですか、隊長!」
「う、ん、まぁな。飲みすぎはよくないぞ」
 そういってシモンズの前のグラスをさり気なく遠ざける。
「隊長、優しいっす!!この際だから言わせてください!俺、俺、前から隊長のことが好きでっっ!」
 ぎゅっと握り締めてくる手が痛い。全く酔っ払いの戯言に付き合うのもやってられないけど、仕方ないかと思って
「そうか、オレも好きだぞ」
 と軽く答えるとシモンズが目を大きく見開いた。と、次の瞬間。
「たいちょう〜〜〜っっ」
「うわっ!」
 突然シモンズが圧し掛かってきた。デカイ体を支えきれずにそのまま店のソファに倒れこむ。
「うれしいっす!!!」
 そういって酒臭い息を吐きながら顔が近づいてきた。
「ちょっ、ちょっと待てっ!」
 腕を上げてシモンズを押し返そうとするがオレよりウエイトのあるヤツに上から圧し掛かられてはどうにもならなかった。なんでこうなるんだ??軽い冗談だろ?!
 混乱するオレを押さえ込むとシモンズの唇が近づいてきた。酒臭い息がかかって背筋を悪寒が駆け抜ける。
「やめっ…」
 その時、フラッシュバックのように大佐の黒い瞳がオレの脳裏をよぎった。びくりと震えた体から力が抜けて、シモンズの顔がぼやけるほど近づいたその瞬間。
「お前、いい加減にしろ!!」
 べりっと音がしそうなほど乱暴にブレダがシモンズの体をオレの上から引き剥がした。そのままシモンズの体をすぐ側にいた他の隊員に押し付ける。
「この酔っ払いの面倒見とけ」
 そういって今度はオレの方に呆れた視線を投げた。
「ったく、お前はっ!ほら、立て、帰んぞ!」
 オレはブレダに引き上げられるままにソファから身を起こすと、よろめくように店を出た。ブレダの後をついてとぼとぼと歩いていく。しばらくして呟くように「ごめん」と言ったオレに、ブレダが思い切りため息をついた。
「…ったく、お前ってヤツは昔から進歩がねぇな」
 そう言ってジロリとオレを見るともう一度ため息をついた。
「今言っても仕方ないな。言いたいことは明日に回してやる。今日はもう家に帰ってシャワー浴びて寝ろ」
 ガキの頃から変わらずいつもオレの世話を焼いてくれた男はそう言ってオレに背を向けて歩き出した。オレはその背中にもう一度「ごめん」と呟くと、情けない気持ちを抱えたまま歩き出す。ぼんやりと俯いたまま歩いていると、高級レストランやらホテルやらが立ち並ぶ界隈に差し掛かった。明るいネオンを避けるように歩くオレの目に見知った姿が飛び込んできた。
「大佐…」
 ブロンド美女とならんで立つ大佐は格好良かった。いつだって背筋をぴんと伸ばして、真っ直ぐ前を向いて。あの日から仕事以外であの人の声を聞いたことがなかった。少しでも声を聞きたくて思わず二人のほうへ近づいていく。その時。
 大佐が美女を引き寄せるとその唇を塞いだ。唇を離すと美女がうっとりと大佐の胸に顔を寄せる。オレはそれ以上見ていられなくて踵を返すと、闇雲に走り出した。


 どこをどう通って帰ってきたのか、気がついたらオレはアパートのソファに座り込んでいた。たった今見た光景が忘れられない。何度も唇が合わさる瞬間が思い浮かんで息が止まりそうになった。胸がキリキリと痛む。なんでこんなに胸が痛いんだろう。ふと自分の頬を濡らすものに気づいて、そっと指を当ててみる。
「あ、れ…?」
 その液体はどうやらオレの瞳から零れているようで。
「何で、オレ、泣いてんの…?」
 シモンズに迫られて、大佐のキスシーンを目撃して、混乱しているんだろうか。でも、それだけでは説明の付かない何かがキリキリと胸を締め上げてくる。オレはどうしていいのかわからずに、ぐいと手の甲で涙を拭くとシャワーを浴びようと立ち上がった。


 翌日、重たい頭を抱えながら出勤すると大佐は席にいなかった。正直顔をみるのはしんどかったのでありがたい。暫く書類に向かっていたが、いい加減煮詰まってきた所にブレダが声をかけてきた。
「おい、ちょっと休憩しないか」
 昨日のことだと判っていたし、ブレダに迷惑もかけた。ちゃんと謝らなければと思っていたけど、ホントは今は勘弁して欲しかった。でも、そう言われれば否やはない。オレはのろのろと立ち上がるとブレダと司令室近くの休憩所へと向かった。テーブルを挟んで腰掛けるとブレダが口を開いた。
「お前な、ホント少し考えて物言えよ」
 ガキの頃からオレを知る男は呆れた口調でそう言う。
「だってさ、そんな意味で好きって言ってるなんて思いもしないだろ、普通」
「バカか、お前。そんな意味でなきゃどんな意味で言うんだよ」
 そんな事言ったってオレは男でシモンズだって男なんだし。
「だって、酒入ってたし…」
 酒の席での冗談だって思うだろ?
「酒が入ってるからこそ本音が出るんだろうが。いい加減にしないと押し倒されたってもう助けてやらねぇからな」
 そういうブレダを情けない顔で見上げた瞬間。
「誰が押し倒されたって?」
「大佐?!」
 いつからそこにいたのだろう、大佐が休憩所の中へと入ってきた。聞かれてたのかと焦るオレを尻目にブレダが説明する。
「昨日、小隊の連中と呑みにいったんですけどね、一人エライ酔っ払ったのがハボックに好きだって告ったのに コイツと来たら深く考えもしないで『オレも好きだぞ』とか言いやがって、もう、後が大変だったんスよ」
 ブレダの言葉に大佐がオレの顔を見つめてきた。とてもじゃないが恥ずかしくて大佐のほうなんて見られない。きっと呆れた顔してるんだ。
「お前、妙に男に懐かれるんだからさ、少し考えて物言えよ」
「んなこと言ったって…」
 ブレダの言葉に答えてはいたが、オレの意識は大佐のほうに向いたままだ。大佐がオレのことを痛いほど見つめているのを感じる。部下に押し倒されるなんてとんでもないヤツだと軽蔑されているに違いない。
 オレはもう居た堪れなくて一刻も早くこの場を立ち去りたかった。


2006/6/29



という訳で、自覚編ハボsideでございます。って言ってもハボは自覚できてません。いくらなんでも鈍すぎ??ハボ、小さい時から天然で男にモテまくりってことで。で、幼馴染のブレダがいつも尻拭いをしてくれていたと。次はやっとこさ両思いになるはず…。




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