自覚



「大佐〜、こんなとこで寝てないで仕事してくださいよ〜」
 せっかく気持ちよく寝ているところを例によってハボックに起こされた。なんだってコイツは私がどこにいようと簡単に見つけるんだ。やっぱり犬は鼻がきくってことなんだろうか。眠い目を眇めて睨みつけてやればまるで緊張感なくへらりと笑う。そう言えば最初にコイツに会った時も確か眠っている所を起こされたんだった。
 あの時のことを思い出すと今でも信じられない。あいつは眠る私の側に5分もいたという。ヒューズですら近くに来たら気配で起きるというのに会ったこともないコイツを側に近寄らせたばかりか5分もの間眠ったままだったなんて。今でこそ信頼できる部下だと判っているが、あの時は新しく私の下に配属されただけの新参者だったのにもしも、コイツに私を害する気持ちがあったならそれは容易くなされたに違いないと思うとはらわたが煮えくり返る思いだ。だが、コイツと来たらそんな私の気持ちなど気づきもせずにへらりと緊張感のない笑みを浮かべている。
「……」
 今日も今日とて茫洋とした雰囲気を纏わせて私を探しに来た部下を見つめる。私の側にいて緊張しないヤツは司令部の中でもほんの数人だ。もっともコイツはどんな相手に対しても緊張なんてことはしないのだろうが。それどころかコイツの上司に対する態度ときたらほとんど不敬罪ものだ。使えるヤツならそんな些細なことは気にしない私の下だからこそやっていけるだろうが、これまでの上司のもとでは随分とやりづらかったのではないだろうか。いや、コイツのことだからそんなことなど気にしないのかもしれない。
「大佐?」
 何も言わずにじっと見つめるだけの私に流石に居心地が悪くなったのかハボックが首を傾げている。大きく?マークを浮かべた顔の中で空色の瞳がひどく綺麗だ。そういえば最初に会った時もそうだった。視線を感じて目を覚ました私の目に飛び込んできた澄んだ空色の瞳。あまりに綺麗で見惚れてしまい、しばらく動くことすら忘れていた。もっとも、次の瞬間怒鳴りつけていたのだが。自分らしくもなく吸い込まれるように見惚れていたのを誤魔化していた気もする。
 今もなかなか目が離せないのをゆっくりと瞬きしてむりやり引き剥がした。手を付いて立ち上がろうとすればさり気なく手が差し伸べられ、引っ張り上げられる。私より頭一つ高い部下を見上げて尋ねた。
「どれくらい寝ていた?」
「40分くらいスかね」
「……」
 眠る前に感じていた疲労がすっきりと抜けている。長すぎもせず短すぎもせず、起こしに来るタイミングもバッチリだ。茫洋とした見かけによらず仕事は出来るし、実は意外と家事もこなすことをついこの間偶然にも知った。なかなか得がたい部下を手にしたといってよいのだろうが。なんだかそれだけで片付けることの出来ない気持ちが最近もやもやとコイツを目にするたびに沸き起こってくるのはなぜだろう。急かせるでもなく側に立つ男をちらりと見上げて、ゆっくりと歩き出す。焦らなくてもいずれそれが何なのかわかる時が来るだろうと、取敢えずそのことに気づかぬふりをした。


 相変わらず無駄に多い書類にウンザリしながらサインしていく。一体どこのどいつがこんなに書類を回してくるんだ。一回燃やしてやったらどれほどすっきりするだろう。そんな物騒なことを考えているとおざなりなノックと共にハボックが入ってきた。ふわりとコーヒーの良い香りが漂う。
「ちゃんとやってますか?」
 そういいながら机の上にカップを置いた。いい香りに誘われてカップを手に取り一口啜れば体に染み渡るような気がする。
「見ればわかるだろうが」
 ちゃんと仕事をしていることをアピールする様に決済済みの書類を指差した。
「でも、こっちの山の高さ、変わんない気がするんスけど」
 実はさっき中尉がきてまた山の上に書類を積み上げていったのだ。彼女は優秀な補佐官で頼りになるが、容赦のないところが玉に瑕だ。少しは遠慮してもらえないだろうか。
 げんなりした私の表情に気づいたのだろう、ハボックが苦笑すると言った。
「最近、ちゃんとメシ食ってます?オレ、今日時間あるんで、メシつくりに行きましょうか?」
 先日、食事をする時間があるなら本を読むなどと話をして以来、ハボックは私の食生活を気にするようになった。偶に差し入れてくれる食事は思いのほか美味で、下手なレストランに行くよりよっぽど食欲をそそる。最近では時々家に来て作ってくれることもあった。本来自分のテリトリーに他人が入り込むのを好まない私だが、この部下だけはなぜか拒む気になれない。寧ろ来てくれることを楽しみにしている部分もあって、どうしてそんな気になるのか不思議でしょうがなかった。
「だったらビーフシチューがいい」
 この間作ってくれたシチューは美味かった。ちょうどまた食べたいと思っていたところだ。ハボックはくすりと笑うと「いいっスよ。じゃあ、今夜はシチューってことで。頑張ってくださいね」
 そう言って空色の瞳を嬉しそうに細めた。そうして執務室をでていくハボックの背を見送る。今夜は美味いメシが食えると思うと俄然やる気が出てきた。こんなくだらない書類はとっとと片付けて、ハボックと美味しいメシだ。
 ―――。そう考えて、はたとサインを書く手を止めた。
「ハボックと美味しいメシ」
 そのどこに重点があるのだろう。ふとそんな事を思った次の瞬間、ばかばかしいと首を振る。考える必要もないことなのに。ハボックのことを考えるともやもやと湧き上がる気持ちに蓋をして、書類に向かった。


 ハボックと一緒に市場で買い物を済ませ家に向かう。ハボックが家に来るようになってから家が人の生活する場になった気がする。家の掃除は週に2度のハウスキーパーに以前から頼んであったが、コイツがキッチンに入るようになってからというもの鍋やら食器やら調味料やら、今までは使わなかったものが並ぶようになった。今も買い入れたものを手早く準備すると、圧力鍋にかけている。圧力鍋なんてハボックが来るまでははっきり言って縁のなかったものだ。ハボックが夕飯の支度をする間、私はといえばソファに寛いで本など読んでいる。すると、何も言わずとも食前酒などが出てきたりするからますますハボックが家に来てくれることを歓迎している自分がいたりするのだ。
 今日も結局ハボックが出してくれるまま飲み食いし、それが終わればこれまたハボックが淹れてくれるコーヒーなど飲みながら取り留めのない話をして寛いでいた。他人が側にいて寛ぐなんて正直信じられないが、コイツにはどこか警戒心を抱かせない何かがある気がする。そんな事を考えながら話すハボックの唇を見ていた。いつも煙草に占拠されているその唇は、今はコーヒーを飲むため何も咥えていない。うっすらと笑みを刷いたそこに触れてみたい衝動に駆られてどきりとした。
 触れてみたい?なんで?
 突然思い浮かんだその衝動にうろたえる自分がいる。そんな思いに気がついたのかハボックが不思議そうな顔をして私の名を呼んだ。その声にさらにうろたえる自分がいて。
 怪訝そうな顔をしたハボックに答える言葉が見つからず、呆然と自分の中の想いを見つめていた。


 自分でも説明のつかない衝動を覚えてから、その理由をはっきりさせることを避けていた。判ってしまえばそこから目をそらすことが出来なくなることが判りきっていたからだ。そのことでハボック自身を何となく避ける行動をとってしまう自分が情けなかった。胸の中にしこりの様に存在するその想いから目を逸らしたくて、今まで以上に女性と出かけることが多くなった。一夜限りの付き合いばかりを重ね、そのことが胸の中のしこりを大きくしていく。自分でもどうすることも出来ずに、それでもなんとかその想いに蓋をしてしまおうと空しい努力をしていたある日。
 ハボックがブレダ少尉と話す声が聞こえて、無意識にそちらへと足を向ける。二人は休憩所のテーブルを挟んで椅子に座って話し込んでいた。
「お前な、ホント少し考えて物言えよ」
 ブレダ少尉が呆れていうのにハボックが答えた。
「だってさ、そんな意味で好きって言ってるなんて思いもしないだろ、普通」
「バカか、お前。そんな意味でなきゃどんな意味でいうんだよ」
「だって、酒入ってたし…」
「酒が入ってるからこそ本音が出るんだろうが。いい加減にしないと押し倒されたってもう助けてやらねぇからな」
 そこまで聞いて思わず休憩所の中へ入っていった。
「誰が押し倒されたって?」
「大佐?!」
 殆んど考える間もなく口を付いて出た言葉に二人がびっくりして顔を上げる。ブレダ少尉が苦い顔をして答えた。
「昨日、小隊の連中と呑みに行ったんですけどね、一人エライ酔っ払ったのがハボックに好きだって告ったのにコイツと来たら深く考えもしないで『オレも好きだぞ』とか言いやがって、もう、後が大変だったんスよ」
 その言葉に思わずハボックの顔をまじまじと見つめた。ハボックは決まりが悪そうにそっぽを向いている。
「お前、妙に男に懐かれんだからさ、少し考えて物言えよ」
「んなこと言ったって…」
 二人のやり取りは続いていたが、もう私の耳には入ってこなかった。
 押し倒されそうになった?私以外の男にハボックが?
 そう考えて、もうこれ以上自分の気持ちをごまかすのはムリだと悟った。
 ハボックが好きだ。一人の人間としてアイツが好きだ。誰にも渡したくない。抱きしめてキスして、私のものにしたい。
 そう考えて愕然とした。この29年間、自分はヘテロだと信じてきた。実際男を好きになったことなどなかったし、男に迫られるようなことになれば鳥肌が立って、相手を二度とそんな気になれないほど痛い目にあわせてきた。それなのに、自分の部下である男を好きになるなんて。自分の気持ちにはっきり気づいた今でさえ信じられない。
 ブレダ少尉と話すハボックの横顔を見つめる。その綺麗な空色の瞳を見た時、ハボックを好きだと言う気持ちが、すとんと自分の中に納まった気がした。
 あの空色の瞳に私の姿を映したい。他の誰をも映すことなど許せない。
 もうこれ以上、どうにもごまかすことの出来ない想いをはっきり自覚した瞬間だった。


2006/6/28



自覚編、ロイsideでございます。最初っからハボを近づけてしまうほど、実はハボに参っていたロイですが自覚するのは随分たってからだろうと思ってます。てなわけで、次はハボsideで。



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