想想抱占、抱被占  前編


「もうっ!ヘンなトコ触んないでくださいってばっ」
 背後からむぎゅうっとロイに抱きしめられてハボックは悲鳴を上げた。ロイはもがく少年の体を腕の中に閉じ込めるとその首筋にチュッとキスを落とす。
「ひゃあっ」
 びくぅと飛び上がったハボックが真っ赤になってぎゅっと目を瞑った時、執務室の扉がノックされてホークアイが顔を出した。
「…何をやってらっしゃるんですか?」
「ちゅういぃ〜」
 冷ややかな声に緩んだ腕からようやく抜け出すと、ハボックは涙目になってホークアイの背後に逃げ込む。ホークアイは頭半分低いハボックを優しい目で見つめると言った。
「私の机の上にある書類を総務のホーマー准尉のところへ持って行ってくれる?」
「…はいっ」
 ハボックはホッとしたように頷くとそそくさと執務室を出て行ってしまう。そんなハボックの背を見送って扉を閉めるとホークアイはロイをジロリと睨んだ。
「そんなに睨むことないだろう、ただのスキンシップなんだから」
「スキンシップと言うには手つきがいやらしかったですわ」
「中尉」
 随分な言いように苦笑するロイに向かってホークアイは言う。
「嫌がることばかりすると嫌われてしまいますわよ」
「嫌われ…」
 ピシリと言われてギョッとするロイにホークアイは手にした書類を差し出したのだった。 

 ロイは書類を書いていた手を止めると、ソファーで書類を分けているハボックを見た。空色の瞳に真剣な表情を浮かべて書類をチェックするハボックの姿にロイの目が愛しそうに細められる。ロイは立ち上がるとハボックが座るソファーに並んで腰を下ろした。
 今から10年ほど前、任務の途中で通りかかった戦渦の街でロイはハボックと出遭った。目の前で両親を亡くして茫然自失状態だったハボックをいろいろあって引き取る事になり、以来、ロイはハボックの親代わりとして面倒を見てきた。小さかった体はここ数年で随分と大きくなって、スラリとした手足とすんなりとのびた体は少年と青年の間の危うい美しさに溢れていた。ひょんなことで一緒に暮らす事になったハボックの事を、ロイはとても大事にしていて可愛くて仕方がない彼を、事あるごとに抱きしめていたのだが。
「ハボック…」
 柔らかい金色の髪に触れて、その指をゆっくりと肩へと滑らせていく。
「ちょっ…邪魔しないでくださいっ」
 嫌そうに身を引くハボックを抱きしめようとしたその時。
『嫌がることばかりすると嫌われてしまいますわよ』
 ロイの脳裏にホークアイの言葉が蘇り、伸ばした手がピタリと止まった。
「た、たいさ…?」
 不安そうに見上げてくる空色の瞳に、ロイはひとつ瞬くとソファーから立ち上がる。
「中尉はどこだったかな」
 わざとらしく呟くとぎくしゃくと歩いて執務室の扉を開け出て行ってしまうロイをハボックはぽかんとして見送っていた。

(へんなの…)
 ハボックはキッチンで野菜をむきながらため息をついた。以前は鬱陶しいくらいベタベタと触ってきたロイが、ここ数日、まるで近づいてこようとしない。恥ずかしいのとあと、最近ではロイに触れられると妙にドキドキが収まらなくなるのとで、ハボックはロイに抱きしめられるといつも「嫌だ」「やめて」と言ってしまうが、本当はそうされることでロイが自分を大事にしてくれることが感じられて嬉しかったのだ。だが、ここ数日。以前あんなに抱きしめてくれたことが嘘だったかのように、ロイはハボックを抱きしめるのをやめてしまった。それどころかハボックがロイを見つめると居心地悪そうに視線を逸らしたりするのだ。
(なんでかな、オレ、なんか悪いことした…?)
 ハボックは玉ねぎの皮をむきながら考える。だがいくら考えてもロイの機嫌を損ねた原因など思い浮かばなかった。
(もしかして大佐、オレのこと嫌いになったのかも…)
 ハボックはふと浮んだ考えにぶるりと体を震わせる。嫌いになったのなら触れてこないのは当たり前だ。それに、とハボックは続けて考えた。
(大佐、好きな人が出来たのかもしれない…)
 ロイだってもういい大人だ。いつ結婚したっておかしくない。もし結婚したいと思う女性が現れたとして、血の繋がりも何の所縁(ゆかり)もない自分がでんと居座っていたらどう思うだろう。
(きっと好きな女の人が出来て、オレのこと邪魔だと思ってるんだ。ここにいる権利もないのに大きな顔してる
オレのこと、嫌いになっちゃったんだ)
 そう思った途端、ぽろぽろと涙がこぼれ出る。ロイに好きな人が出来たかもしれないことも、嫌われたのだろうと思うことも、どちらもハボックの胸をキリキリと締め付けた。
「う…ひくっ…たいさぁ…」
 離れてしまった温もりが恋しくて、ハボックはぼろぼろと泣き続けたのだった。 

「ハボック?」
 司令部から帰ってきたロイはひんやりと冷え切って人の気配のない家の様子に眉を顰めた。今日、早番で上がったハボックはとっくに家に戻っている筈だ。だが、ハボックの姿は見当たらず、ロイは脱いだ上着をソファーに投げ捨てるとキッチンへと入っていく。キッチンのカウンターの上にはおそらく夕飯の準備をしていたのであろう、むきかけの野菜が転がっていた。いかにも途中で投げ出したと言う風なキッチンの様子に、ロイは慌てて家の中を見て回る。だが、寝室にも書斎にも、夕闇に包まれつつある庭にもハボックを見つけることはできなかった。忽然と消えてしまったハボックにロイの顔から血の気が引いていく。
「ハボックっ!」
 ロイはそう叫ぶと、慌てて外へと飛び出していった。

 夕方の買い物客で賑わう市場を探し、いきつけの店を一軒一軒覗いて回る。もしかしてと思って連絡したホークアイやブレダの所にも、ハボックは行ってはいなかった。うろうろとあたりを見回すロイの頬にポツリと滴が降ってきた。
「雨?」
 そう呟いて見上げた空からぽつぽつと落ちてきた雨は瞬く間に本降りのそれとなってしまう。突然の雨にあっという間に人気のなくなった通りを、ロイはバシャバシャと水を跳ね上げて走った。
「どこだ、どこにいるんだ、ハボック…っ」
 降りしきる雨の中、ハボックを探しながらロイは初めて会ったときのことを思い出していた。あの日も酷い土砂降りだった。激しい戦闘に巻き込まれた街は瓦礫と化し、あちこちから呻き声が聞こえている。ロイは強い雨で寸断された道路に行く手を阻まれて街に留まることを余儀なくされていた。やることもなく、街の中を歩くロイの目の前に金色の髪をした子供が突然飛び出してきたのだ。子供は驚くロイの手を引いて瓦礫の中へと入っていく。無言で指差すその先に、崩れた建物の下から覗く人間の手が見えた。子供はロイの手を離すとタタタと走ってその手をとり、懸命に引き出そうとする。助けを求めるようにロイを見つめる空色の瞳に、ロイは唇を噛み締めると首を横に振ったのだった。雨でずぶ濡れになった子供は暫くロイを見つめていたが、やがて地面に横たわり瓦礫から覗く手を自分の肩にかけた。瓦礫の下から伸びていた長い金髪を指に絡ませては、ずり落ちそうになる手を何度も自分の肩に載せる。ロイは激しく首を振ると、横たわる子供の体を引き起こした。
「やめないかっ、もう、死んでるんだっ!」
 そう呻いてロイは子供の体をぎゅっと抱きしめる。子供はぼんやりとした顔でロイに抱きしめられていたがやがてポツリと呟いた。
「ママ…ママ…」
 ハッとして見つめた子供の顔は涙にぬれているのか、雨に濡れているのか、ただぼんやりと宙を見つめたまま呪文のように同じ言葉を繰り返している。ロイは堪らなくなって子供の体を抱きしめると、逃げるようにその場を後にしたのだった。

 その時と同じような雨が降り続いている。あの場から自分を連れ出したロイの側から離れようとしない子供を、ロイは結局引き取って育てる事にした。まだ自分自身もようやく子供の域を抜け出たばかりで、子供を育てることは容易ではなかったが、それでもロイにとってハボックはかけがえのない存在となっていった。誰よりも大切で愛しくて、離したくない。抱きしめて自分の腕の中にずっと閉じ込めてしまいたいと思うほどに。だが、最近ロイにそうされることを嫌がるようになったハボックに、「嫌がることをすると嫌われる」とホークアイに釘を刺されたこともあって、ここ数日ロイはハボックに触れたくても触れられずにいたのだ。
「一体どこに行ったんだ…」
 こんなことならどこにも行かせぬよう、ずっと抱きしめていればよかった。
 ロイは降りしきる雨の中、愛しい金色の姿を探して彷徨い続けたのだった。

 ロイはざあざあと降り続ける雨の中、ハボックの姿を探して歩き続ける。もういい加減、探す場所も尽きたという頃、ロイの目の前に2人でよく行く公園の入口が現れた。ロイは生い茂る木々に昏く沈む公園を見つめると、拳を握り締めて公園の中へと入っていった。もしここにもいなかったら、もう自分にはハボックを探す手立てがない。突然消えてしまったハボックに、10年も一緒にいて彼のことを何も判っていなかったのではないかと言う思いに駆られた。
「ハボックっ!」
 降りしきる雨にかき消されぬよう、声を張り上げる。
「ハボーーック!」
 名前を呼びながらバシャバシャと水を跳ね上げて夜の公園を走り回るロイの目の前に、彼は突然立っていた。降り注ぐ雨に全身ずぶ濡れになったハボックの顔はあの日と同じように涙に濡れているのか、ただ雨に濡れているのか、うかがい知ることは出来なかった。ただぼんやりとロイを見つめるハボックのすぐ側まで近づき、だが抱きしめる手を伸ばしてよいのか判らずにロイが見つめていると、ハボックがひとつ瞬いた。その空色の瞳を濡らすのが確かに涙だと気がついて、ロイは咄嗟に手を伸ばす。だが、ハボックは伸ばされた手をすり抜けると踵を返して走り出した。
「ハボックっ?!」
 慌てて追いかけるロイの前を足元の水を跳ね上げてハボックが走る。その足元がふらりとよろけて転びそうになるところを、ロイは手を伸ばしてハボックの腕を掴み、自分の腕の中に抱き込んだ。
「嫌だっ!」
 即座に上がった声に、ロイはハッとして腕を離す。よろけるように離れたハボックは傷ついた瞳でロイを見つめた。
「たいさ…オレのこと嫌いになったんだ…」
「なに?何を言ってるんだ、お前は」
「だってっ…抱きしめてくれない…っ」
 そう吐き捨てるように言ってハボックは己の身をかき抱いた。
「抱きしめるどころか、触れようともしない。オレの目を見ようともしない…っ」
 両肩を抱きしめるようにして俯いたハボックをロイは驚いて見下ろす。それから呟くようにして言った。
「だって、お前、いつも嫌だって言って…。嫌がることばかりすると、お前に嫌われると思って私は…」
「嫌だったもん…だって凄くドキドキしてどうしていいか判らなくなるから。でも、もうオレのこと嫌いなんでしょ?」
 ひくっとしゃくりあげるハボックを暫く呆然と見下ろしていたロイだったが、やがて優しく微笑むとハボックの体を引き寄せる。びくりと震える体をそっと抱きしめて、ロイはハボックの耳元に囁いた。
「大好きだよ、ハボック。だからいつでも抱きしめたかった。でもお前はいつでも嫌だと言うし、嫌われたくはなかったからな」
 ロイの言葉にハボックが俯いていた顔を上げる。優しく微笑むロイにハボックは恐る恐る聞いた。
「オレのこと嫌いになったんじゃないの?」
「聞いてなかったのか?…大好きだよ、ハボック」
 そう言った途端、空色の瞳が大きく見開かれて。ロイはハボックを優しく抱きしめると、そっと口付けていった。


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