| 抱かれる視線 第一章 |
| ここはイースシティ随一の歓楽街。いかがわしい看板やら何やらが立ち並ぶビルの一角にその部屋はあった。 ハボックはシャワーを浴びた後、ろくに拭きもしないまま裸足でリビングに出てきた。上半身は裸でまだ濡れた髪からその鍛えられた体に水の滴が流れ落ちている。下は下着を着けずに素肌にそのままジーンズをつけ、当然のようにファスナーは上げずに前立ての間から時折淡い色の繁みがちらりと覗いていた。ハボックは戸棚からグラスを取り出すと琥珀色の酒を注ぐ。それに口を付けながら目の前の鏡を上目遣いに見た。相手の姿は見えないが、幾つもの視線がねっとりと纏わりつくのを感じる。ハボックはグラスを持った手を伸ばすと、鏡に映った自分の胸にとろりとグラスの中身を零した。鏡を伝って流れる液体を指で辿り、顔を寄せると指で辿ったあとを舌先で辿っていく。自分に纏わりつく視線が濃度を増したような気がして、ハボックは僅かに眉を顰めた。 (くそ…どうしてこんなことに…) ハボックは誰もいない一人きりの部屋で、幾つもの視線に晒されることへの苦痛を感じてそっと目を閉じた。 「たいちょお…」 休憩所で煙草を吸っていたハボックのところへ小隊の部下が情けない顔でやってきた。後ろには鋭い目つきの、どうにも堅気の人間とは思えない雰囲気の男が立っている。 「アンタがハボックさん?」 「…そうだけど」 「これに覚えあるだろう?」 そう言って男が差し出したのは1枚の書類だった。それを手に取るとハボックは中身に目を走らせた。 「これ…」 ハボックが手にしているのはたしか2ヶ月ほど前に部下に頼まれてサインした書類だった。内容はある人物が借金をするに当たっての保証人。部下にどうしても一人保証人がいる、信用の出来る奴だからぜひ保証人になってくれと頼まれて、つい気安くサインしてしまったものだった。 「こちらが好意で大金貸してやったっていうのに、借りたまま逃げちゃいましてね」 「逃げたぁ?!」 ハボックは思わず部下の顔を見る。気まずそうに視線を逸らす部下を見つめるハボックの手から書類を取り上げると男はハボックに言った。 「詳しい話はここじゃなんでしょうから、仕事が終わったら事務所にきていただきたいんですがね」 男は事務所の場所を書いた紙をハボックの前に置くと、こんなところに長居は無用とばかりにそそくさと出て行ってしまう。男を連れてきた部下が半泣きになって謝るのにうわの空で返事を返しながら、ハボックは渡された紙を呆然と見つめた。 夕方、早めに仕事を切り上げるとハボックは手渡された紙に書いてある場所へと向かった。イーストシティ随一の歓楽街と言われる場所に立つビルを見上げて眉を顰める。一瞬入るのを躊躇ったが、1つ息をつくとハボックは意を決してビルの中へ入っていった。 エレベータに乗り、7階で下りると目の前に黒い扉があった。事務所の名前は書いていないが紙に書いてある場所には違いないので、ハボックは手を上げると扉をノックする。暫くして扉が開くと若い男が顔を出した。 「ここに来いって言われたんだけど」 ハボックはそう言うと紙を渡す。男はそれを見るとハボックを中へ通した。男の後をついて歩きながらハボックは左右に目を走らせる。事務所の中はいくつかのブースに分かれており、その中で数人の男たちが話をしたり電話をかけたりしていた。ハボックは事務所の一番奥の応接室に案内された。そこには昼間司令部に来た男がハボックを待っていた。 「やあ、お待ちしてましたよ」 男はそう言うとハボックに椅子を勧める。ハボックは腰を下ろすと落ち着かない様子で応接室の中を見回した。男はそんなハボックを値踏みするように見ると、徐に口を開いた。 「単刀直入に申し上げましょう。昼間お話したとおり、私どもがお金を貸した相手が借りたまま行方をくらませてしまいましてね。私どもとしましてもそのお金を差し上げるわけには参りませんし、そこで保証人である貴方に返していただきたいと考えた次第で」 「…借金っていくらくらいなんです?」 軽い気持ちとはいえ保証人になってしまったのだ。知らないでは済まされないことくらいハボックにも判っている。 「これがその金額です」 そう言って男が差し出した書類に書かれた金額にハボックは絶句してしまった。 「こ、れ…」 「利子やらなにやらついてますんでね」 「でも、いくらなんでもこれ…っ」 ハボックの顔から血の気が引いていく。考えていたよりゼロが2つも多い金額にハボックは眩暈がした。 「こんなの、おかしいだろっ?法律で禁止されて…」 「この条件で借りることに同意してるんですよ。実際それだけのものを貸しているわけだし」 「そんなこと言われても…こんな金額、とてもオレには…」 「返してもらわないと困るんですよ、こちらとしても」 途方に暮れるハボックに男はにんまりと笑うと言った。 「現金で用意できないのであれば、うちの店で働いてもらうって方法もありますけど」 「えっ、でも、オレ昼間は…」 「うちの店は夜の営業ですし、働く時間帯も日にちもかなり融通がききますよ」 それが一番いいと思いますけどね、と言う男に迷いながらも結局は頷くしかないハボックだった。 事務所をでて更にエレベーターに乗ると男はなにやらパネルに向かって数字を入力した。ハボックが何階までいくのだろうと階数パネルを見ていると、エレベーターは階数のボタンの数より更に上の方へと上っていった。 「暗証が必要だなんて、随分厳重なんだな」 ハボックがそう言うと男は笑いながら答えた。 「特別なお客様だけをご案内する店なのでね」 かくんと軽い衝撃があってエレベーターが止まる。扉が開いて、ハボックは正面の綺麗な装飾が施された扉ではなく、狭い廊下を辿った奥にある小さな扉へと案内された。 「まだ営業時間前なんです」 そう言って男が扉を開けた先には綺麗に整えられた1ルームマンションが広がっていた。促されて中へ入ったハボックはきょろきょろと部屋の中を見回し、首を傾げる。 「店って言わなかったか?」 「店ですよ」 男の言葉に訳がわからないと言う顔をするハボックに男はくすりと笑った。 「こういう店には行った事はありませんかね」 男はそう言うとソファーに腰を下ろした。 「貴方にはここで普通に過ごしてもらいます、家で過ごすのと同じように。テレビを見るのも、シャワーを浴びるのも、 普通にね。ただ時折、貴方が普段、人前ではやらないような、一人でないと出来ないことなんかをやって頂きたい のですよ」 「人前ではやらない、一人でないと出来ないこと?」 「そう、例えば自慰行為なんかをね」 「…は?」 男は立ち上がるとハボックを促して部屋を出た。男は最初の装飾の施された扉まで戻るとそこを開けて中へ入った。そこには細い通路沿いに幾つもの個室が並んでいる。配置から考えるとちょうど、さっきの1ルームマンションの部屋を取り囲むように並んでいると思われた。男はその中の1つに入るとハボックを手招いた。狭い部屋の中、一人がけのソファーと小さなテーブルが置かれたその部屋の正面の壁は。 「これ…っ」 壁一面マジックミラーになったその部屋からは、さっき見たワンルームの部屋がよく見えた。ハボックは壁によるとその表面に手を這わせむこう側をのぞき見る。 「これって…」 「マジックミラーになっていてね。向こうからは見えないが、こちらからはよく見えるでしょう」 呆然とするハボックに男は笑って言った。 「いわゆるのぞき部屋っていうヤツですね。もっとも場末のものとは違って店員も最高の人員を揃えていますし、個室 も、ただヌくだけの部屋というより、ずっと寛いでもらえるよういろいろ工夫してますがね」 ハボックは男を振り向くと慌てて言った。 「他にバーとか、そういう店ないの?大体、こういうのって女の子がやるもんだろ?」 「バー?あるにはありますけどね。でもそんなところで働いたんじゃ借金返すのに何十年もかかっちゃうでしょう」 それに、と男は言うとハボックの顎を掴む。 「世の中、女に興味がある男ばかりとは限らないんですよ。軍隊にいればよく判るでしょう?それに、貴方にはある種の男たちを引き寄せるフェロモンがあるようだ」 ハボックは男の手を振り払うと大声を出した。 「勝手なこと言うなっ!こんなとこ、絶対ムリだ。そっちのバーを紹介して…」 「こんな大金を貸しっぱなしにして何年も放って置けるほど、うちも悠長にしてられないのでね。ここで働けないという のであれば、今すぐ耳をそろえて返してもらいましょうか」 「そ、んなっ」 言葉を詰まらせるハボックに男は畳み掛けるように言う。 「返すあてがあるのならそうしていただいてもよいですよ」 そう言われてハボックの脳裏をロイの顔が掠める。確かにロイに頼めばこれくらいの借金、すぐに返してくれそうだ。だが、ハボックはそう考えてふるふると首を振った。こんなヤツらをロイに近づけるわけには行かない。ハボックは唇を噛み締めると男に向かって言った。 「見せる、だけ、でいいのか?」 「まあ、とりあえずはね」 男はそう言うとにんまりと笑う。 「じゃあ、早速今夜から入ってもらいましょう」 そう言って男はハボックの肩を叩くとついて来るように促した。 → 第二章 |