レヴィアタンの焔  第四十五章


「ん…」
 ロイは小さく丸めていた手足を伸ばして寝返りを打つ。その途端体を支えるものの存在を失って、重力に引かれた体は巻き付けたブランケットごと床へと落ちた。
「でっ!!」
 強かに肩をぶつけてロイは顔を歪める。イテテと歪めた視線を向ければ椅子に座った誰かの足が見えて、ロイはゆっくりと下から上へとその足を辿って視線を上げた。
「…ブレダ少尉」
 椅子に座った足の持ち主が部下の一人だと判ってロイはその名を呟く。そうすればロイがソファーから落ちるのを一部始終見ていたであろう男は冷ややかな声で言った。
「おはようございます、大佐。体の具合はどうです?」
 そう尋ねられてロイはのそのそと体を起こすとその体へと意識を向ける。落ちた拍子にぶつけた肩と、あと何故だか頭が痛くてロイは後頭部をさすりながら答えた。
「今落ちた拍子にぶつけた肩が痛いが、それ以外は頭がちょっと…。熱のせいかな」
「ああ、それは熱とは関係ないと思いますよ」
 ブレダはそう言って肩を竦めると立ち上がりロイに手を貸す。よいしょと身を起こすとロイはソファーに座った。
「熱、測ってみてください」
 ブレダはそう言って体温計をロイに差し出す。口にくわえて待つとピピッと電子音が聞こえて、ロイはデジタル表示の数字を読み上げた。
「37度2分」
「微熱ですね。もう心配なさそうだ」
 そう言ってロイの手から体温計を取り上げると、ブレダはロイがくわえた部分を拭いてケースに戻す。ロイはその動きをじっと見つめていたが躊躇いがちに言った。
「ブレダ少尉、ここはハボックの家だと思ったのだが」
「そうですよ」
「ではなぜ少尉がいるんだ?」
 至極不思議そうに聞いてくる上司をブレダはじっと見つめる。その視線の冷たさに居たたまれなくなったロイが、視線をさまよわせる頃になって漸くブレダは口を開いた。
「大佐、夕べ自分が何をしたか覚えてますか?」
「夕べ?夕べはハボックの帰りを待つためにここへ来て……」
 ロイはそう言ってこのアパートの前に来たところから順に夕べの出来事を思い返す。そうすればハボックとの甘く激しいひと時が脳裏に浮かんだ。
『たいさぁ…っ』
 空色の瞳に涙を浮かべ、快楽に染まった舌足らずな声で自分を呼ぶハボックの姿を思い出してロイはだらしなく目尻を下げた。その途端、タオルが顔に飛んで来てロイは「ブッ」と情けない声を上げてしまう。そのタオルが飛んできた方向に目をやればヒクヒクとこめかみを震わせたブレダと目があった。
「大佐。今思い出しているところは今はどうでもいいんです。問題はその後」
「その後?」
 せっかく甘いひと時を思い起こしているところに「どうでもいい」と言われてロイは内心ムッとしたが、今のブレダの様子に逆らわない方がいいと判断するとその先へと記憶を進める。
「ハボックが早くと強請るんで、初めてだと言うのについ中だししてしまってな、だからちゃんと後始末を……」
 前半のロイの言葉には耳を塞いでブレダはロイを睨んだ。
「ちゃんと後始末したんですか?」
 後始末しなければ、とハボックに言ったところまでは覚えている。だが、如何せんその先の記憶がない。ロイは恐る恐るブレダの顔を見つめて尋ねた。
「まさか、その……」
「夕べハボの奴、泣きながら俺んとこに電話してきました。“大佐は熱を出して伸びてる。中に出されたから後始末しなくちゃならないらしいがどうしたらいいのか判らない”ってね」
 冷ややかに告げられた言葉にロイは飛び上がるとブレダの胸ぐらを掴む。
「まさか、少尉が、ハ、ハ、ハボックのあの可愛らしい蕾に指を突っ込んで後始末をしたのかっ?!」
「するわけねぇでしょっ!!」
 見当外れの事を言って掴みかかってくるロイの腕をブレダは振り解いた。
「やり方だけ教えて後はハボが自分でやりましたよっ。おかげでハボは、ショックと疲労とアンタから貰った風邪のウィルスのせいで高熱出してダウンしてますっ!!」
 顔を真っ赤にして怒鳴るブレダにロイは目を見開く。身を翻して寝室に飛び込もうとするロイの腕をブレダはガシッと掴んだ。
「少尉っ?何をするんだっ、早くハボックにーー」
「勝手にハボのところへ行かんでくれます?」
「…は?何を言ってるんだ、少尉」
 腕を掴んだままそんなことを言うブレダをロイははまじまじと見つめる。ブレダは冷ややかな声にも怒りを滲ませて答えた。
「俺、もうハボの保護者は卒業するつもりでした。ガキの頃から面倒みてたせいもあって、ついアイツのことに口出ししてきたけど、ハボだってもういい大人だ。相手が大佐でも互いに想い合ってんならいいか、って。でも」
 ブレダはそこまで言って腕を掴む手にギュッと力を込める。
「今度のことで気が変わりました。当分ハボの事には口、出させて貰います」
「えっ?!いや、だがな、ブレダ少尉…っっ」
 怒りも露わに睨んでくるブレダにロイはひきつった笑みを浮かべて何か言おうとした。だが、それより一瞬早く寝室から聞こえてきたベルの音にハッとしてブレダが顔を向ける。
「ハボが呼んでる」
「えっ?」
「アイツ、喉痛めちまって声殆ど出ねぇんですよ。だから用事がある時はベル鳴らせって傍に置いといたんです」
 ブレダはそう言うとロイの腕を離して寝室へと向かう。思わずロイが後を追おうとした時、電話のベルが鳴り響いた。ブレダは受話器を取ると二言三言話をする。それからロイに向かって受話器を差し出した。
「大佐、中尉からです」
「えっ?!まっ、まさか中尉に一部始終…っ?!」
「話しましたよ。ハボが休みで大佐も休み。その上俺も遅刻となったら中尉に説明しないわけにいかんでしょう?たっぷり絞られてください」
 実に楽しそうにブレダは言って最後に付け加えた。
「言っときますけど電話終わったからってこっち来ないでくださいね」
 そう言って寝室に入っていくブレダを見送ると、ロイは手にした受話器を恐る恐る耳に当てた。

「ハボ」
 ブレダは寝室に入るとベッドに近づく。その声にも目を開けないハボックにベルの音は空耳だったかと思ったブレダは、ハボックの手に握られたベルを見るとベッドの傍に置いた椅子に腰を下ろした。
「ハボ、どうした?苦しいのか?」
 そう尋ねて漸くハボックがうっすらと目を開ける。目だけを動かしてブレダを見ると掠れた声で言った。
「大佐は?まだ熱、ひどいの…?」
「………ほぼ平熱。もう心配することねぇよ」
「そか…」
 ブレダの答えにホッとした表情を浮かべるハボックにブレダは内心ムカムカする。だがそんなブレダの心中など知らずにハボックは言った。
「大佐、呼んでくんない?話したい」
「何言ってんだよ。大佐と話すより寝なきゃだめだろっ」
「ブレダ、少しだけ……ね?」
 苦しげな息の下、そう強請るハボックにブレダはため息をつく。ガシガシと髪を掻くと言った。
「判った、ちょっと待ってろ。今呼んでくるから」
 そう言いおいてブレダは仕方なしにロイを呼びに寝室を出ていった。

「私だ」
 ロイは一つ息を吐くと何でもないように口を開く。そうすれば受話器の向こうから冷ややかな副官の声が聞こえた。
『おはようございます、大佐。お加減はいかがですか?』
「ああ、おかげさまで殆ど熱は下がったよ。すまなかったね、迷惑をかけた」
 殊勝にも副官に詫びを入れるロイの耳にホークアイの冷たい声が響く。
『ブレダ少尉から一部始終伺っております。…大佐』
「なっ、なんだね?」
 ひと呼吸おいて呼ぶ声にロイは内心ギクリとしながら答えた。
『ハボック少尉と想いが通じ合えた事に関しては素直におめでとうございますと申し上げておきましょう。ですが、業務に支障を来すようなつきあいならやめて頂くほかありません』
「なっ…、ちょっと待ってくれ、中尉!今回の事はたまたま不運が重なっただけでっ」
『不運?そう言った事に疎い少尉を好きにして、挙げ句の果てブレダ少尉を巻き込むような真似をさせて、それを不運が重なっただけと済ませるおつもりですか、大佐』
 酷い男、とボソリとホークアイが呟く声にロイは慌てて言う。
「待てっ、中尉!誤解だぞ、それは!あれはハボックの方が望んでだなっ」
『とにかく』
 何とか自分に不利な状況を回避しようと言い募るロイの言葉を遮ってホークアイの冷たい声が響いた。
『いきなり3人も欠勤者が出てこちらはてんてこ舞いです。とっとと熱を下げて司令部にいらしてください。それから、今後この様なことが続くようであればこちらにも考えがありますから』
 では、と冷たい一言を残して切れた電話にロイはがっくりと項垂れて受話器を戻したのだった。

 寝室を出たブレダはがっくりと電話に懐くロイの背中を見てちょっとばかりすっきりする。その背に向かって声をかければロイがビクリと震えて振り返った。
「なんだね、少尉」
 その意気消沈した様子に「ザマアミロ」と思いながらブレダは肩越しに親指で寝室の扉を指さす。
「ハボが呼んでます。話したいって」
「ハボックがっ?」
 パッと顔を輝かせるロイにブレダはしっかりと釘を刺した。
「5分ですからね。それ以上話したらハボが疲れちまう」
「判ってるともっ」
 そう答えて嬉々として寝室に入っていく背中をブレダはため息と共に見送った。

「ハボック」
 寝室に入るなりロイはベッドで横たわる人に向けてそう声をかける。そうすればハボックが閉じていた目を開けてロイの方を振り向いた。
「たいさ」
 酷く掠れた声にロイは思わず顔を顰める。差し出された手を握れば伝わる高い体温にロイはますます眉間の皺を深めた。
「たいさ、熱、下がったんスね」
 よかった、と囁くハボックの手をロイは両手で握り締める。
「代わりにお前が酷い熱だ。すまなかった、ハボック。夕べは不安な思いをさせてしまった」
 ロイはそう言って握った手に唇を押しつけた。そんなロイにハボックはふわりと笑って言う。
「平気っス…ちょっと怖かったけど、ちゃんとできたし………次、シてもへいき…」
 もう出来るようになったから、と熱で紅い顔をますます赤くさせて言うハボックの体をロイはベッドにのしかかるようにしてギュッと抱きしめる。愛しくて愛しくて何度も口づければハボックがうっとりと笑った。
「よかった…夢じゃないんだ」
「ハボック」
「…もっともヘンなとこ痛いから夢じゃないとは思ったっスけど」
 恥ずかしそうにしながらもそんな事を言うハボックにロイはウッと詰まると抱きしめる腕に力を込める。
「夕べも言ったろう?私を煽るな」
 そう言えばキョトンとするハボックの金色の頭を撫でながらロイは言った。
「愛してるよ、ハボック。これからはずっと一緒だ」
「たいさ…オレもアンタが好き…ずっと離さないで」
 そう囁きながら唇を合わせようとした瞬間、バンッと音を立てて扉が開いた。
「はい、そこまで!5分たちましたよ、大佐」
「……せっかくいいところだったのに」
「何か言いましたか?大佐」
 ロイはため息をついてハボックから身を起こす。不安げに見上げてくる空色の瞳を見つめながら、ロイはハボックの手に口づけた。
「大丈夫、隣の部屋にいるから」
「大佐、5分!」
 ブレダはそう言ってロイの手からハボックのそれを取り返すとブランケットの中へとしまう。シッシとまるで野良犬にするように追い払われて、ロイは仕方なしに寝室の扉へと向かった。扉を開け、名残惜しげに背後を振り向けば空色の瞳と目があってロイはにっこりと笑う。その途端邪魔をするように間に立つブレダの大きな体を見て、今度こそ部屋の外へでると扉を閉めた。
「やれやれ…保護者が二人に増えて…前途多難だ」
 明日、熱が下がればもう一人のお小言が待っている。ハボックと想いが通じ合えた事を喜ぶより先に、立ちはだかる保護者たちの攻撃をどうかわすか、頭を抱えるロイだった。


2009/03/07


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シキさんからリク頂きました「お互い女の人が好きだと思っていて言い出せなくて、でも、相手に近づく人を見れば腸が煮えくり返りそうな嫉妬に駆られるふたり」です。その他色々ご希望伺って書かせて頂きましたが、うーん、なんかまたしても例によって途中からグワーッと方向曲がった気が…(汗)とりあえず、代わりの「男」に走るのはナシで、と言うところだけは外さないようにしましたがー。いつも色々お世話になっていることへのお礼を込めて書かせて頂きましたが、こんなでごめんなさい(滝汗)どこか一部でも楽しんで頂けていたらいいなと思っております。