レヴィアタンの焔  第一章
 
 
「大佐ぁ、この書類にサイン欲しいんスけど」
 ハボックがおざなりなノックと共に執務室の扉を開いた時、彼の上司は丁度電話中だった。片手を上げて「待て」と身振りで示すロイにハボックは机の上に置かれた灰皿に咥えていた煙草を押し付ける。最初は仕事の話かと思ったそれが、どうやら女性相手にデートの約束をとりつけているらしい事に気がついて、ハボックは僅かに眉を寄せた。
「すまなかったな、なんだ?サインか?」
 少ししてロイは受話器を置くとハボックを見る。ハボックは手にした書類を差し出しながら言った。
「デートの約束っスか?感心しないっスね、プライベートなことを軍の電話で」
「仕方ないだろう?向こうからすれば私に連絡を取るならここにするのが一番早くて確実なんだから」
 ロイは悪びれずにそう言うと手を伸ばして書類を受け取るとざっと目を通す。書類を見ている為伏せ目がちになった瞳を覆う長い睫を見下ろしながらハボックは言った。
「ブルネットの彼女っスか?この間のパーティで知り合ったって言う」
「いや、今日はお前のような金髪の美女だよ。昨日視察に行ったろう?あそこの受付にいた女性なんだが覚えてないか?」
 そう言いながら書類にサインをしたためるロイをハボックは驚いたような目で見つめる。書類を返そうと顔をあげたロイはハボックの顔を見て首を傾げた。
「どうした?」
「だってアンタ、ブルネットの美女と付き合い始めたばっかでしょ?なんで今日は他の子と約束してんです?」
「ミラとは特別付き合ってるわけじゃないよ。美しくて魅力的な女性はいくらもいるんだ。色んな女性と一緒に過ごしたいと思うのが男として自然だろう?」
 そう言って楽しそうに笑うロイの手から書類を受け取りながらハボックは先日目にしたロイのデートの現場を思い出す。しとやかに笑ってロイに寄り添うその女性が今のロイの言葉を聞いたら何と思うのだろう。そう思えば途端に胸がムカムカとしてきたが、ハボックはそれを表情には出さずに言った。
「そんなの、モテる男の言い分っスね。残念ながらオレは振り向いてくれた彼女を繋ぎとめるだけで必死っスよ」
 羨ましいこって、と肩を竦めるハボックにロイは薄っすらと笑う。それ以上何も言わずに執務室を出て行こうとする背に向かって言った。
「定時にはあがるから車を回してくれ。遅れるなよ、お前の所為で私の評価が下がるのはごめんだからな」
「判ってます、サー」
 ハボックは他の上官なら不敬罪だと騒ぎ立てるような態度で返事を返すと、振り向きもせず執務室を出て行った。

 バタンと扉を閉めるとハボックは自席に向かう。椅子を引くと乱暴に腰掛け、書類を机に放り出した。
「どうしたよ、ハボ。機嫌わるいじゃん」
 向かいの席で煙草を燻らせていたブレダにそう言われてハボックはムッと唇を突き出す。
「別に悪かねぇよ」
 ハボックはそう言うと投げ出した書類を手に取った。ぱらりとめくって書類に書き込まれたロイのサインを見つめながらボソリと言う。
「大佐、今日もデートだってさ」
「へぇ」
「また違う相手みたい」
「相変わらずモテモテだな」
 俺も日替わりでデートしてぇ、とぼやくブレダの声を聞きながらハボックはサインを睨みつけた。いきなりガタンと立ち上がると書類を手に扉に向かう。
「これ、出してくる」
「おう」
 ハボックはそう言うと足音も荒く司令室を出て行ったのだった。

 ハボックが出て行った扉をじっと見つめていたロイはひとつため息をつくと腕を組んで椅子の背に体を預ける。目を瞑れば先ほどハボックが言った言葉が蘇えった。
『残念ながらオレは振り向いてくれた彼女を繋ぎとめるだけで必死っスよ』
「新しい彼女ができたなんて聞いてないぞ」
 ロイは低い声でそう呟くと目を開く。机の上に肘をつき、手のひらに顎を載せると灰皿の上の吸殻を見つめた。
「ハボックのくせに生意気な。大体このクソ忙しい時にデートだなんてとんでもないヤツだ」
 自分自身毎日のようにデートを重ねていることなど棚の上に放り投げて、ロイはそう呟く。発火布を取り出すと右手に嵌め、パチンと軽く指をすり合わせた。その途端、僅かに煙を上げていた吸殻がボンという音と共に灰になる。ロイは灰皿の上を暫く見つめていたが、ゆっくりと立ち上がった。
「部下が性質(たち)のよくないのに引っかかったりしないよう、注意してやるのも上司の役目だ」
 ロイはそう呟くと執務室を出て行った。

「クソッ」
 書類を提出して司令室に戻ろうとしたハボックは何故だか酷く苛々として目にした休憩所のソファーにドカリと腰を下ろす。懐から煙草を取り出して火をつけるとスパスパと吸っては続けざまに煙を吐いた。
(なんでこんなに苛々してんだろ、オレ)
 ぶつけるような勢いでソファーの背に頭を預けると煙が昇っていく先を見つめる。苛々の原因がどうも先ほどの上司との会話にあるような気がして、ハボックは眉を顰めた。
『色んな女性と一緒に過ごしたいと思うのが男として自然だろう?』
 そう言って笑ったロイの顔を思い出せば一層苛立ちが募る。ハボックは乱暴に煙草を灰皿に押し付けると呟いた。
「不誠実だろっ、そんなの…!付き合わされる女の子の気持ちも考えてみろっての!」
 ハボックにとってロイは概ねいい上司だった。サボリ癖はあるものの他の上官にありがちな権力を笠に着るようなところもなければ考えも柔軟で、部下達の意見もよく聞いてくれる。実力はピカイチで容姿も男のハボックから見ても整っているといえるだろう。高い志を持ったその人となりはハボックにどこまでもついていくと思わせるに十分であった。だが。
「ああいうところだけはいただけねぇ」
 ハボックは吐き捨てるようにそう言うと立ち上がり司令室に戻っていった。

「時間ぴったりだな」
「アンタが遅刻厳禁っつったんでしょ」
 上着の裾をなびかせて颯爽と現れた上司の為に車の扉を開けながらハボックは言う。ロイが乗り込んだのを確かめると扉を閉め、運転席に回ると乗り込んでハンドルを握った。
「まずは花屋っスか?」
「よく判ってるじゃないか」
「そりゃ毎度デートの待ち合わせ場所に送ってきゃ嫌でも覚えますって」
 ハボックはそう言ってアクセルを踏み込む。静かに走り出した車の後部座席にゆったりと座ってロイは言った。
「女性が喜ぶような演出をするのもデートに誘ったものの務めだよ、少尉」
「…参考にさせて頂きます」
 ハボックはそう答えると丁寧に車を走らせる。色鮮やかな花が溢れる花屋に寄って大きな花束を受け取ると後部座席のロイの横に積み込んだ。
「で、今日はどちらへ?」
「レイモンドだ」
「アイ、サー」
 古くからあるレストランはロイのお気に入りの一つだ。ハボックはその店構えを思い浮かべるとハンドルを切った。

 5分ほど走って目的の場所につくとハボックはロイを下ろす。花束を抱えたロイが車から立ち上がった時、ちょうど店の前に止まった車から同じようにして人が降り立った。
「まあ、マスタングさん」
 驚いたような声音に視線を向ければ、胸元の大きく開いたドレスに身を包んだ金髪の美女が佇んでいる。ロイはその姿ににっこりと微笑むとゆっくりと近づいていった。
「ちょうど一緒のタイミングで着くとは私達は相性がいいらしい」
 そう言えば嬉しそうに微笑む美女の腰を引き寄せてロイは店へと歩いて行く。店の者が扉を開けるのに頷くと美女を連れて中へと消えていった。
 その一部始終を車の横に立ったままずっと目で追っていたハボックは、いつの間にか自分が関節が白くなるほど手を握り締めていた事に気付く。そっと手を開けば握り締めた爪の先が手のひらを傷つけて薄く血が滲んでいた。心臓が不自然なほど鳴り響き嫌な汗が背筋を流れるのを感じるにいたって、漸くハボックは小さく首を振る。
「何、苛々してんの?オレ……」
 そう呟くとまるで張り付いてしまったように動こうとしない足を無理矢理動かして車に乗り込むと、ハボックは乱暴にアクセルを踏み込んだのだった。
 
 
→ 第二章