黒スグリ姫17


「どうぞ、あがってください」
「おじゃまします」
 ハボックに促されるままロイは家に上がる。両親は仕事で不在なのは知っていたがロイは律儀に挨拶の言葉を口にして中へと入った。
「座っててください、ちらかってるっスけど」
 ハボックは言ってロイにソファーを進める。ロイはリビングの中を見回しながらソファーに腰を下ろした。
「ちっとも散らかってなんかないさ。フルタイムで働いてるんだろう?それなのに家の中はきちんと片づいて、凄いな。食事もちゃんと用意されるんだろう?」
「父さんが味に煩いから。出来合いだとすげぇ味に文句つけるんスもん」
 ハボックはそう言いながら湯を沸かし紅茶の用意をする。手早く淹れて黒スグリのジャムと一緒にロイの前にカップを置いた。
「ああ、それはそうだろうな。あのジャムの仕分け方にはビックリした」
 ロイは嬉しそうにジャムを掬って口にしながら言う。ロイの言葉に父親にロイが集めたジャムの仕分けを手伝って貰ったことを思い出して、ハボックは苦笑した。
 去年のバレンタインデー。イニシャルだけを添えて黒スグリのジャム入りのチョコを送ったハボックを探そうと、ロイは学校中から黒スグリのジャムを集めた。おかげでロイの家の冷蔵庫は一口味を見ただけのジャムで埋め尽くされてしまった。流石に食べきれず処分に困っていたロイに、纏めて味を調え直せばいいと提案したのが大量のジャムを持て余して困っているという話を聞いたハボックの父親だったのだ。
「保存料の種類まで食べて判るんだからな、凄いよ」
 持ってきたらやってあげるからと言うハボックの母親の言葉に甘えてハボックの家にロイは大量のジャムを持ち込んだ。そのジャムをハボックの父親が仕分けて母親が味を調え大きな瓶に詰め直してくれた。おかげでロイは大量のジャムを無駄にすることなく美味しく食べることができのだった。
「あの時は本当に助かったよ」
「うちもジャム分けて貰ったっスから、助かりました」
 ハボックはにっこりと笑って言う。
「そう言えば母さんが今度食事にって言ってたっス。母さん、先輩のこと凄く気に入ってたから」
「ふふ、それは嬉しいな」
 あの日ジャムを詰め直しながらすっかり意気投合してしまったハボックの母親の、息子によく似た顔を思い出して笑みを浮かべるロイにハボックは言った。
「先輩、ゆっくりしててください。テレビ見ててもいいっスよ。オレはチョコ作っちゃいますから」
 ハボックはそう言うとキッチンへ行く。チョコを出し、細かく砕くための準備をしていると、ロイがキッチンに入ってくるのを見て小首を傾げた。
「なんスか?なにか足りなかったっスか?」
「いや」
 不思議そうに尋ねるハボックにロイは答える。
「折角だから作るのを見てていいか?」
「いいっスけど……退屈じゃねぇ?」
「そんなことないさ」
 ロイはにっこりと笑ってキッチンの壁に寄りかかる。ハボックはロイに背を向ける形で、チョコを小さく砕き始めた。
「手際がいいな」
「チョコ砕いてるだけっスもん、手際もなにもないっスよ」
 包丁を使ってチョコを細かく砕いていけばそんな声が聞こえてハボックは答える。だが、続いて聞こえた言葉にハボックは眉を寄せた。
「でも、チョコを細かくするのは結構大変だと聞いたよ」
「そう、っスか?」
(聞いたって誰から……彼女、とか?)
 なんでもないように答えながらハボックは思う。去年までは段ボール箱に何箱もチョコを貰っていたロイだ。彼女に手作りして貰ったことなどきっと何度もあるに違いなかった。
「ハボック」
「ひゃあッ」
 そっとため息をついた時、いきなり耳元で名を呼ばれてハボックは飛び上がる。慌てて振り向くとロイがすぐ後ろに立っていた。
「び、びっくりしたッ」
「何故?さっきからいたじゃないか」
 何を今更とロイが笑う。背後から腰に手を回されて、ハボックは言った。
「せんぱぁい、やりづらいっス」
「近くで見たいんだよ」
「近すぎじゃね?」
 こんなにくっつかれては心臓のドキドキが聞かれてしまうと思いながら、ハボックはチョコを細かく砕く。耐熱のボウルに入れてラップをするとレンジに入れた。チョコを溶かす間に棚からシリコン製のハートの型を取り出す。そうする間にもピッタリくっついて離れないロイに、ハボックは肩越しに振り返って言った。
「先輩もやってみます?」
「そこにチョコを入れるのか?」
「そうっス」
 その時レンジがチンと鳴って、ハボックはボウルをレンジから取り出す。まだ少し塊のあるそれを木べらで掻き回すと塊が溶けて滑らかになった。
「スプーンで塗ってください。底をちょっと厚めにすると上手くいくんで」
「判った」
 ハボックにスプーンを渡されて、ロイはチョコを掬って型に塗る。ハートが幾つも連なったトレイ状のシリコン型に顔をつき合わせて塗っていれば、ふと顔を見合わせてクスクスと笑った。
「先輩にあげるチョコなのに先輩にやらせてるって変っスよね」
「いいじゃないか、こう言うのも楽しくて。ん、美味しいな、このチョコ」
「先輩っ、舐めちゃダメっスよ」
 掬ったチョコを型に入れずに舐めてしまうロイにハボックが口を尖らせる。ロイはクスリと笑うと尖らせた口先にチョコを塗り付けた。
「わっ」
「ほら、旨いだろ?」
「もう、先輩ってば!」
 ハボックはムゥと膨れながら唇につけられたチョコを舌で舐める。紅く濡れた舌先がピンク色の唇を何度も行き来するのを見つめて、ロイは言った。
「まだ残ってる」
「え?どこ?」
 言われて舌で舐めとろうとするハボックにロイは顔を近づける。ハッとして目を瞠るハボックの唇を舌で何度も舐め、最後に唇を重ねた。
「んッ」
 逃げようとするハボックをグイと引き寄せ唇の間から舌をねじ込む。クチュと音を立ててキスを交わして、そっと唇を離した。
「とれたぞ」
「も、もうっ、せんぱいってばッ!自分でとれんのにッ」
 ハボックは真っ赤になって手の甲で唇をこすっていたが、ハッとチョコを見て声を上げた。
「わーっ、固まっちゃってる!もうっ、やり直さなきゃじゃんッ!先輩のせいっ」
「はは、ごめんごめん」
 キッと睨まれてロイは苦笑する。もう一度溶かしたチョコを型に塗って冷蔵庫で少し冷やして固めると、ハボックは黒スグリのジャムを取り出した。
「ここにジャムを入れるのか」
「そう。入れすぎないようにするのがコツっスよ」
「沢山入れた方が旨そうなのに」
「チョコで蓋できなくなっちまうっしょ」
 もう、と呆れた調子で言われて、ロイはクスリと笑う。ジャムをスプーンで掬ってチョコの中に入れるハボックの手を取って、スプーンの上のジャムを食べてしまった。
「せんぱぁいッ」
「お前も食べるか?」
「いっ、いいっス!」
 責めるように睨めば平然として顔を寄せてくるロイに、ハボックは慌ててロイを押し返す。ふふ、と笑ってロイは紅く染まったハボックの首筋にキスを落とした。
「うひゃあッ」
 突然のことに飛び上がったハボックのスプーンからジャムが床に落ちる。ハボックはキスされた首筋を手で押さえながら真っ赤な顔でロイを睨んだ。
「もーっ、先輩いるとチョコできないっしょ!もう、あっちで待っててくださいッ!」
「ごめん、悪かったって、ハボック」
 グイグイとキッチンから押し出されてロイが言う。
「ダメッ、あっち行って!」
 だが、結局キッチンから追い出されて、ロイは仕方なしにリビングに戻った。
「もうっ、先輩ってば、先輩ってばッ!」
 ドキドキと高鳴る胸を誤魔化すようにハボックは言って零れたジャムを拭き取る。残ったチョコにジャムを入れてチョコで蓋をするともう一度冷蔵庫に入れた。
「出来たのか?」
 冷蔵庫で固める間、リビングに行けば置いてあった雑誌を読んでいたロイが言う。ハボックはロイの向かいに腰をおろして答えた。
「後は固まったら型から抜いて、ホワイトチョコで飾ったら出来上がりっス。あ、型から抜くときは神経使うんで、ぜーったい邪魔しないでくださいねッ」
 邪魔される前にと釘を刺すハボックにロイはクスリと笑う。雑誌を脇に置くとソファーに座る自分の隣を叩いて言った。
「判った、邪魔しないから、こっちにおいで」
「えっ?」
 そう言われてハボックは迷った末、クッションを手に取り立ち上がる。ゆっくりとロイの側に寄ればロイの手が伸びてきてハボックの腕を引っ張った。
「わっ」
 引っ張られるままにハボックはポスンとソファーに腰を落とす。ギュッとクッションを抱き締めて上目遣いにロイを見れば、黒曜石の瞳がハボックを見つめていた。
「今日はチョコを作ってくれて嬉しいよ。今年はもう貰えないのかと思ったから」
「ご、ごめんなさい」
 言われてハボックは首を竦める。そんなハボックにロイは笑って尋ねた。
「私が好きか?」
「……好きっス」
「こんなヤキモチ妬きの私でも?」
 そう尋ねられてハボックは目を瞠る。それからふわりと笑って答えた。
「好き……ヤキモチ妬きの先輩、大好き」
「ハボック」
 言えばクッションごと抱き締められて降ってくる唇を、ハボックは目を閉じて受け止めた。


2015/02/22


黒スグリ姫18