黒スグリ姫15


 学校からの帰り道、冷たい北風に首を竦めて歩いていたハボックは、店のショーウィンドウを飾る彩りも可愛らしいチョコを目にして立ち止まる。中にジャムが入ったチョコを見つけて、丁度一年前の事を思い出した。
 学園でも知らない人のいない人気者の大学生であるロイと知り合ったのは、飛び出してきた猫をよけた弾みに自転車ごと転んでしまったのが切欠だった。痛みに起き上がれないでいるハボックを助けてくれたのがロイだったのだ。ロイに恋したハボックは、バレンタインに手作りの黒スグリジャム入りのチョコを贈った。決して叶うことのない恋だと思ったからイニシャルだけを添えて。だが綺麗な空色のリボンに惹かれてチョコを食べたロイがハボックを探し出し、そうして二人は恋人同士となったのだった。
(今年のバレンタインどうしようかな……)
 黒スグリジャム入りのチョコはロイの大のお気に入りだ。作るのにちょっぴり手間がかかるのであまり作ってあげられないが、何か特別な時には贈るようにしていた。
(やっぱりあれがいいかな、先輩、大好物だし)
 それに何より二人がつきあうようになった切欠のチョコだ。
(よし、じゃあ今年もあのチョコを)
 作ろう、とハボックが思った時、スイーツショップの前で可愛らしい笑い声が上がる。声がした方を見たハボックの目に、女の子達がチョコの手作りキットを手に楽しそうに話しているのが飛び込んできた。
「私、今年はマスタング先輩に手作りチョコ贈るんだ」
「エマ、お菓子づくり得意だもんね。きっとマスタング先輩も一発だよ!」
(あ)
 ふと。ハボックの頭にある考えが浮かぶ。暫くの間楽しげな女の子達の様子を見ていたハボックだったが、逃げるようにその場を後にした。


「ただいま……」
 ハボックはいつものように自分で鍵を開けて家に入る。両親は仕事に出かけておらず、ハボックは二階の部屋に上がると部屋着に着替えて下りてきた。冷蔵庫を開け黒スグリジャムが入った瓶を取り出す。お気に入りのそのジャムを見つめていれば、さっき見た女の子達の姿が頭に浮かんだ。
(もし今年、誰か女の子が手作りチョコをあげて、それが先輩の好みだったらその子と付き合うのかな……)
 考えてみればロイは自分のどこがよくて付き合ってくれているのだろう。このジャム入りのチョコが気に入っただけなら、他にもっと美味しいチョコを作る女の子が現れたらその子と付き合いたいと思うのではないだろうか。なんと言っても自分は男だ。彼好みのチョコを作る可愛い女の子がいたならばそっちの方がいいに違いない。
「――――ッ」
 ハボックは冷蔵庫を開けるとジャムの瓶を放り込み乱暴に扉を閉めた。


 ロイは読んでいた本を閉じると手帳を広げ、気がついた事を書き留める。スケジュールのページを捲れば目に飛び込んできた日付に目を細めた。
「バレンタインデーか」
 思えば去年の今頃、ハボックからあのチョコを貰ったのだ。こんなに美味しいチョコを作るのは一体どんな相手だろうと探し回って見つけたのがハボックだった。明るい空色の瞳と素直で無邪気な性格と。会えば会うだけ可愛くて愛しくて堪らず、どんどん好きになった。
「今年もあのチョコをくれるのかな、ふふ、楽しみだ」
 甘くてちょっぴり酸っぱくて、ハボックみたいなチョコレート。ロイはバレンタインにあのチョコが貰えるのをウキウキしながら待っていた。


「おう、ロイ」
「おはよう、ヒューズ」
 廊下の向こうからやってきた髭面の友人が手を上げるのにロイは答える。ヒューズは手にした紙袋をロイに差し出して言った。
「ほら、お前宛。預かってきたぜ」
 そう言って差し出された紙袋一杯のチョコにロイは思い切り眉をしかめる。ロイは受け取ろうとはせずに言った。
「どうしてそんなものを持ってくるんだ」
「どうしてって、仕方ないだろ。渡してくれって押しつけられてんだから」
 好きで持ってきた訳じゃないとヒューズは紙袋をロイに渡そうとする。だがロイは手を出さずに言った。
「私にはハボックがいるんだ、受け取れる訳がない」
「だったら彼女達にそう言えよ」
「言えるわけないだろう」
 そう言うロイにヒューズが顔をしかめる。その表情からヒューズが言いたい事を察して、ロイは「違う」と手を振った。
「ハボックが嫌がらせを受けたりしたら困る」
「ああ、そう言うことか。モテる男は辛いね」
 そう言うヒューズをロイが睨む。チョコが詰まった紙袋を見て言った。
「そう言う訳だから受け取れないよ。私が受け取るのはハボックのチョコだけだ」
「まあお前の言い分は判ったけど、どうするよ、これ」
「お前に任せる」
「えっ?おい、ロイ!」
 それだけ言ってスタスタと歩いていってしまうロイをヒューズは慌てて引き留めようとする。だが声が聞こえているだろうに振り返りもせず行ってしまうロイにヒューズはため息をついた。
「ま、確かに仕方ないわな」
 ロイが義理でも他の相手かのチョコを受け取らないのはそれだけハボックに対して本気だと言うことだ。
「とは言えどうするよ、これ……」
 食べるわけにもいかず、といって捨てる訳にもいかない。
「返して回れってか?冗談だろ」
 ヒューズは紙袋一杯のチョコを見下ろしてため息をついた。


 ヒューズが持ってきたチョコを拒絶して、ロイは学園を出ると近くの喫茶店に向かう。夕べ電話でハボックとここで待ち合わせする約束を取り付けたのだが、その時のハボックの様子を思い出してロイは眉を顰めた。
(様子が変だった……何かあったのか?)
 普段のハボックなら賑やかにお喋りするのに夕べは殆ど喋らなかった。それどころかバレンタインのデートにすら気乗りしない様子だったのだ。
(まさか他に誰か……?)
 不意にそんな考えが浮かべばいても立ってもいられなくなる。ロイは苛々しながらハボックが来るのを待ったが、ハボックは約束の時間を三十分過ぎても姿を現さなかった。
「――――ッ」
 ロイはそれ以上待っていられなくなって、乱暴な仕草で立ち上がる。喫茶店を飛び出すとハボックの家へと向かった。何度か訪ねた事のある場所へロイは迷うことなく辿り着くと玄関のチャイムを鳴らした。だが、何度鳴らしても扉が開く気配はない。シンと静まり返った家は留守のようにも見えたが、ロイは愛しい少年が中にいることを確信して門に手をかけるとヒラリと飛び越えた。


 玄関のチャイムが鳴る音にインターホンの画面を見たハボックは、そこに映るロイの姿を見つけて目を瞠る。だが、インターホンには出ずにハボックはソファーに座ったままクッションを抱き締めた。
 夕べロイからの電話で、今日デートする約束をした。だが、約束はしたもののハボックは約束の場所にとても行く気にはなれなかった。
(だって……きっと他の女の子から美味しいチョコを貰ってるもの)
 去年はたまたま自分のチョコを選んでくれただけで、きっと今年は可愛い女の子からもっと美味しいチョコを貰ったに違いない。
(きっとその事を言いに来たんだ。もう……オレのチョコはいらないって)
 そう考えたハボックの瞳に涙が盛り上がる。盛り上がった涙がポロリと頬に零れた時、乱暴に扉を叩く音が聞こえてハボックは飛び上がった。
「ハボック!」
「な、なん……っ」
 ドンドンと扉を叩く音の合間にロイの声が聞こえる。目を見開いて凍り付いていたハボックは、近所の女性の声が聞こえてハッとしてクッションを放り出し玄関に走った。
「ちょっとあなた、何やってるんですかッ?警察呼びますよ!」
 玄関を開ければ女性のキツい声が飛び込んでくる。大声を上げて玄関を叩き続けるロイを怪しんで詰問する女性にハボックは慌てて言った。
「この人、オレの学校の先輩っス!怪しい人じゃないっスから!先輩っ、中入ってください!」
 ハボックは早口に言うとロイを中に引っ張り込む。バタンと勢いよく扉を閉じて背後を振り向いたハボックは、ロイがじっと見つめてきている事に気づいてギクリとした。
「ハボック」
 低く呼ぶ声に大きく震えたハボックはロイの横をすり抜けて奥へ行こうとする。だが、伸びてきたロイの手に腕を掴まれて叶わなかった。
「どうして喫茶店に来なかった?」
 そう尋ねるロイをハボックは真っ直ぐに見ることが出来ず顔を背ける。唇を噛み締めて黙っていると、ロイが絞り出すように言った。
「他に好きな相手が出来たのか?」
「ッ?」
 突然そんな事を言われて、ハボックはびっくりしてロイを見る。そうすればロイが黒曜石の瞳に嫉妬の焔を燃え上がらせて言った。
「一体どこのどいつだッ?私よりソイツの方が好きなのかッ?だから昨日の電話でも――――」
「待って!オレ、他に好きな人なんていないっス!」
「じゃあどうして来なかったッ?」
 そう言ってキツく見つめてくる黒曜石にハボックは唇を震わせる。
「だって……先輩がオレと付き合ってくれてたのはたまたまオレが作ったチョコが気に入ったからっしょ?今日、他の可愛い女の子からもっと美味しいチョコ貰ったんじゃないんスか?だったら絶対そっちの方がいいっスよね!オレのチョコなんてもう要らないってそう思ってるんでしょ!」
「な……っ?」
 唐突にそんな事を言われてロイは目を瞠る。何も言わずに見つめれば、ハボックがクシャクシャと顔を歪めた。
「先輩に手作りチョコあげるんだって言ってる女の子見たっス。お菓子づくり得意たって。すごいカワイイ子だった。きっとオレなんかよりあの子の方がいいに決まって――――」
 ハボックが声を張り上げてそこまで言った時、ハボックの頬が乾いた音を上げる。頬に走る痛みに叩かれたのだと気づいたハボックが驚いて見つめれば、グイと乱暴に引き寄せられた。
「ッ!んんッ!」
 そのまま噛みつくように口づけられて、ハボックは目を見開いた。慌てて逃れようともがいたものの、より深く口づけられる。呼吸さえ奪うような激しい口づけに、くったりと凭れかかるハボックにロイが言った。
「他の誰からもチョコは貰ってない」
「……え?」
「直接私に持ってきた子からもヒューズが預かってきた分も、今年は誰からも貰ってない」
 そう言うのを聞いてハボックは目を見開く。消えそうな声で「なんで?」と尋ねるハボックにロイが言った。
「当たり前だろう?私が好きなのはお前だ。他の誰からのチョコも欲しくない」
 きっぱりとそう言うロイをハボックが信じられないと首を振る。
「なんで?オレ、先輩みたいに格好良くもないし頭だって良くないしっ、全然フツーでなんで先輩、オレとつきあってくれんのッ?」
「ハボック」
 ポロポロと涙を零すハボックにロイは目を瞠る。それからフッと微笑んで言った。
「馬鹿だな。私から見たらお前は可愛くて愛しくて堪らないのに」
「ッ?」
「好きだよ、ハボック」
 ロイは優しく言ってハボックを見つめる。
「私が好きなのはお前だけだ」
「先輩……」
 ロイは大きく見開いた空色を濡らす涙を唇で拭う。
「好きだ、今年も来年もずっと私が欲しいのはあのチョコだけだよ」
「……せんぱいッ」
 言えば泣きじゃくるハボックの体を抱き締めて、ロイはハボックに深く口づけた。


2015/02/14


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