黒スグリ姫13


「うん……、うん……。えっ?お昼?食べたよ、ちゃんと。……うん、大丈夫だってば。平気!もう切るよ!」
 ハボックは受話器の向こうで細々としたことを言い出す母に辟易して電話を切る。ハァとため息をついてソファーにぽすんと腰を下ろした。
 ロイを誘ってプールに出かけたハボックは一日たっぷり遊んでとても楽しい時間を過ごした。あんまり楽しくて日焼け止めを塗るのもおざなりに一日過ごした結果がもたらしたものは、日に焼けて真っ赤になった背中だった。小さい頃から肌が弱くて、それでも成長するにつれ大分強くはなったもののプールの時の日焼け止めは必須だった。本当なら水から上がるたびこまめに塗り直さなければいけなかったのだが、ロイと過ごす時間があまりに楽しくて日焼け止めの事などすっかり失念してしまっていた。プールから上がって帰り支度をする時には既にまずいと思ってはいたのだが、家に帰る頃にはもう猛烈に痛くてシャツが触れるだけでも泣きそうだった。母にこっぴどく叱られながら薬を塗ってもらったものの翌朝には熱も出て、結局日焼けなどという情けない理由で学校を休む事になったのだった。
「もうやんなっちゃう……母さんはうるさいし」
 フルタイムで働いている母はなかなか急には休みがとれない。それに今回は熱を出したとは言え原因が日焼けだったから、心配しつつも仕事に出かけていった。それでも熱を出した息子を一人家に残しているのは気がかりらしく、昼休みに電話をかけてきて事細かに様子を聞いてきたところだった。
「ヒマだぁ」
 ハボックはシャツ代わりの薄いシフォンのストールを肩の上まで引き上げながらぼやく。熱を出したとは言え病気ではないから暇を持て余して、ハボックはソファーに俯せに倒れ込むとクッションを抱え込んだ。
「この時間大したものやってないんだもん……」
 テレビを見ようにも日中のこの時間、中学生のハボックが面白いと思うような番組はやっていない。流石にゲームをする気にはなれなくて、ハァとため息をついて目を閉じた時、来客を知らせるベルが鳴った。
「誰だろう……」
 荷物でも届いたのかと思ったが出るのが面倒くさい。そのまま無視を決め込もうかとも思ったが、二度三度と鳴るベルに首を伸ばしてインターホンの画面を見た。
「えっ?先輩っ?」
 画面に映るロイの姿にハボックは目を見開く。諦めて帰ろうとするのを見て、ハボックは慌てて立ち上がると通話ボタンを押した。画面のロイに向かって「先輩っ!」と呼び掛ければロイがハッとしたように振り向いた。
「ハボック?」
「すみません、今開けます」
「ありがとう」
 ハボックは急いで玄関に行くと、サンダルを引っ掛けドアに飛びつく。フワリと靡いたシフォンを押さえながらドアを開けた。
「ハボック」
 そうすればロイが門を開けて入って近づいてくる。まだ授業中の筈のロイをハボックは不思議そうに見上げた。
「どうしたんスか?こんな時間に……?あ、あの……中にどうぞ」
 尋ねる言葉にも答えず睨むように見つめてくる黒曜石に、困り切ったハボックはとりあえずロイを中に招き入れる。何も言わずついてきたロイに背後から腕を掴まれ「わっ?!」と声を上げればロイが言った。
「酷い日焼けで熱を出したって聞いた。どうして電話した時何も言わなかったんだっ?」
「あ……えっと、その……大した事なかったし」
「学校を休まなければならないほどなのは大したことないとは言わん!」
 キツい口調にハボックが息を飲む。薄いシフォンを胸元でギュッと握り締めてハボックは俯いた。
「ごっ、ごめんなさいっ……でも先輩に心配かけたくなくてっ」
「後から人伝に聞いた方が心配する。しかも情報源はヒューズだぞ」
 どこか悔しそうに言うロイにクスリと笑えば途端にロイに睨まれて、ハボックは慌てて下を向く。そうすればため息をついたロイの手が伸びて、ハボックの前髪をかき上げた。
「熱いな」
 コツンと額を合わせてロイが言う。間近から見つめられて顔を赤らめてハボックは言った。
「先輩、体温が低いんスよ。大した熱じゃないっス」
「食欲は?」
「さっきサンドイッチ食べたっス。家でダラダラしてんのに腹は減るんだもん」
 なんでー?と眉を寄せるハボックにロイが漸く笑みを浮かべた。
「紅茶入れるっスね。座ってて下さい」
 ハボックは言ってキッチンに行く。茶葉やカップを出していると足音がして座っていてくれと告げた筈のロイがキッチンに来たのを見てハボックは目を丸くした。
「先輩」
「熱があるんだから休んでろ」
「平気っスよ、別に病気じゃない――――んんッ」
 言いかけた唇をキスで塞がれてハボックは目を見開く。反射的に押し返そうとする体を抱き込まれて、更に深く口づけられた。
「せ、せんぱぁい……」
 漸く唇が離れた頃にはキツい口づけにとろんと蕩けた表情でハボックはロイを見る。そうすれば仕掛けたロイの方が困ったように目を逸らして言った。
「シャツが着られなくて仕方ないんだろうが目の毒だな」
「え……?」
 ロイが言っている意味が判らずハボックがキョトンとしてロイの横顔を見つめればロイが苦笑して言った。
「ほら、これ以上悪さされたくなかったら向こうに行ってろ」
「は、はい」
 よく判らないままにコクンと頷いてハボックはリビングに行く。ソファーに腰を下ろしまだロイの唇の感触が残る己の唇をハボックはそっと触れて目を閉じた。
「先輩……」
 口づけに熱が上がったような気がして、ハボックはドキドキする胸を押さえる。聞こえた足音にハッとして目を開ければ紅茶のカップを乗せたトレイを手にロイがリビングに入ってくるところだった。
「ハボック、ジャムはあるかな」
「あ、はい!」
 言われてハボックは慌てて立ち上がるとキッチンへ行き、冷蔵庫から黒スグリのジャムの瓶を持って戻ってきた。
「すんません、やらせてしまって」
「構わないさ」
 ロイは答えてカップをテーブルに置く。
「先輩、ジャム」
 と、瓶を差し出せばロイか嬉しそうに笑った。
「ああ、ありがとう」
 ジャムで紅茶を飲む間、互いに何も言わずにいたが、少ししてカップを置いてロイが口を開いた。
「すまなかったな」
「えっ?」
 唐突に謝られてハボックは目を見開く。なにが?と言う顔をするハボックにロイが言った。
「日焼け止めを塗ってくれと頼まれたのに、私がちゃんと塗らなかったから辛い思いをさせてしまった」
「そんなっ」
 すまないと頭を下げられてハボックは慌てて首を振る。
「塗り直すの忘れてたのはオレっスから!本当は水から上がるたびに塗らなきゃいけなかったのに、すっごく楽しくて日焼け止めの事なんてすっかり忘れちゃって」
「ハボック」
「ごめんなさい、心配かけて」
 ぺこりと頭を下げてハボックが言えば、ロイが一つため息をついた。
「例えそうでも私の方が年上なんだし、もっと気をつけてやるべきだった」
「先輩」
 そんな風に言うロイをハボックが見つめれば伸びてきたロイの手がハボックの頬を撫でた。
「さっきより上がってないか?」
「こっ、これはっ、先輩がキスするからっ」
 カアッと顔を赤らめてハボックが言えばロイが目を丸くする。クスリと笑ったロイが目を細めて言った。
「なんだ、早く熱が下がるようおまじないしてやろうと思ったのに」
「え?」
「かえって熱が上がるならする訳にはいかないな」
 そう言って悪戯な笑みを浮かべるロイをハボックは目を見開いて見る。ムゥと唇を突き出し上目遣いにロイを睨んだ。
「先輩のイジワル」
 言えばクスクスと笑うロイの唇を引き寄せられるように見つめて、ハボックは言った。
「おまじない、して……?早く熱が下がってまた先輩とデートできるように……」
 囁くように強請るハボックにロイが目を見開く。ほんの一瞬困ったような表情を浮かべて、ロイはハボックに手を伸ばした。
「全くもう……これで良くならなかったら承知しないからな」
「先輩のおまじないっスもん。バッチリ効くっしょ?」
 そう答えた唇をロイが噛みつくように塞ぐ。甘く残るジャムの香りを分け合って、ハボックはうっとりと目を閉じた。


2014/10/17


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