黒スグリ姫10


「せんぱーい!」
 待ち合わせの駅前の時計台の下に立っていると遠くから声がする。読んでいた本を閉じて顔を上げれば、ハボックが息急ききって走ってきた。
「ハボック」
「す、すんません、待たせちゃって……っ、ちゃんと十五分前にはっ、こ、来ようと思ってたっ、んスけどっ」
 ハアハアと弾む息の合間にハボックが言う。ロイは笑みを浮かべて閉じた本を鞄に入れながら言った。
「そんなに慌てて来なくてもよかったのに」
「でもっ、ヒューズ先輩がマスタング先輩は十五分前には来てるって……っ」
 そう言うハボックの言葉にロイは眉を寄せる。可愛い恋人に余計な情報を与える友人の頭を心の中で一発殴って、ロイは口を開いた。
「毎回そうと言うわけじゃないさ。今日だって少し前に来たばかりだしな」
「ホントっスか?」
「ああ」
 心配そうに言うハボックの金色の頭を撫でてやれば、漸くハボックが安心したように笑った。
「よし、じゃあ行こうか」
「はいっ」
 元気よく答えるハボックの手を取れば、ハボックがカアッと頬を染める。それでも振り解かれはしない事にロイは笑みを浮かべてハボックの手を引いてバス停に向かった。
 プールは駅前からバス停の数にして三つほど乗ったところだ。程なくしてついたプールの入口で券を見せて入ると、更衣室のロッカーに荷物を入れながらハボックが言った。
「早く着替えられるように水着着てきちゃったっス」
「私もだよ。ちゃんと帰りの下着、忘れずに持ってきたか?」
「大丈夫、何度も確認したっスから!忘れたらシャレになんないしっ」
 本当に何度も確認したのだろう。拳を握り締めて言うハボックの言葉を笑って聞きながらロイは着ていたシャツを脱ぐ。そうすればハボックが空色の瞳を丸くして言った。
「先輩ってスゴイ」
「え?なにが?」
 唐突な言葉にロイがキョトンとして聞き返す。そうすればハボックがロイの体を見つめながら答えた。
「オレ、先輩って細身だとばっかり思ってたんスけど、実はすっげぇ鍛えてるんスね!腹筋割れてるしっ」
 ハボックは感動したように言うとロイの腹を撫でる。「いいなぁ」と羨ましそうにいいながら撫でるその擽ったい指の動きから身を捩って逃げると、ロイは脱いだシャツをロッカーにしまった。
「ほら、早くしないとおいていくぞ」
「わあ、待って!」
 不要なものをしまってロッカーに鍵をかけようとするロイに言って、ハボックはTシャツの裾に手をかけ一気に脱いだ。それからハーフパンツを脱いで水着一枚になる。必要な物を残してロッカーに押し込んで鍵をかけてくれと言おうとしたハボックは、ロイが自分をジッと見つめている事に気づいて首を傾げた。
「先輩、どうかしたんスか?」
「――――え?あっ、いや、別にっ」
 ロイにしては珍しく慌てた様子にハボックが不思議そうな顔をする。ロイはコインを放り込んで鍵をかけると早口に言った。
「さ、行くぞっ!泳ぎたくてウズウズしてるんだっ」
「あ、待って、先輩!」
 言ってさっさと歩き出すロイをハボックが慌てて追う。すぐ後ろからついてくるハボックの気配を感じながらロイは思った。
(何をしてるっ、ロイ!ハボックが変に思うだろう!――――いや、だが、しかし)
 と、ロイはチラリとハボックを見やる。水着一枚のハボックの少年特有のスラリと伸びた手足やまだ発達しきらない滑らかな体を視界の隅に捉えて、ロイは胸が高鳴るのを感じた。
(可愛い)
 思わず手を伸ばして抱き締めたくなるのをロイは必死にこらえる。ロッカールームを出ると降り注ぐ陽射しに目を細めて立ち止まれば、ハボックがロイを追い越して走った。
「先輩!オレ、ウォータースライダー行きたいっス!」
 あっちとハボックが指差して言う。ロイは振り向いたハボックの白い肌から無理矢理視線を引き剥がして答えた。
「まあ、待て。まずは水に体を慣らしてからだ。こっちの波のあるプールから入ろう」
「そっか、そうっスね!」
 ロイの言葉にハボックは素直に頷く。プールに向かうと思いきや、手を伸ばしてきたハボックに腕を取られて、ロイはギョッとしてハボックを見た。
「先輩!マット借りて波乗りしたい!いいっしょ?」
「あ、ああ!勿論っ!」
 多少上擦った声で答えて、ロイは遊具の貸し出しコーナーへと向かう。ぶら下がるようにして腕にしがみつくハボックの滑らかな肌に肘が触れて、ロイはムッと唇を引き結んだ。
(落ち着け、ロイ!平常心だッ!)
 自分でも信じられないほどドギマギする自身にロイは必死に言い聞かせる。そんなロイを腕にしがみついたハボックが不思議そうに見上げて言った。
「どうかしたんスか?先輩、変な顔してる」
「えっ?いやっ、気のせいだろうッ!あ、ほら、ハボック、何色のマットにするっ?」
「あっ、オレねっ、青がいいな!あ、でも黄色もいいかな」
 丁度貸し出しコーナーに着いたのをいいことに聞けば、ハボックが手を離してマットを選び始める。
(参った……まさかこんな事になろうとは)
 これまで女の子とデートでプールに来てもやましい気持ちになどなったことはなかったと言うのに、ほんの少し触れられたくらいで興奮してしまうとは。白い背中を見つめてこっそりため息をつけばハボックが振り向いてロイを見た、
「先輩、これがいい!」
 水色のマットを掲げてニッコリ笑うハボックにロイはドキリとする。だが、続けてハボックが言う言葉を聞いて、ロイは目を見開いた。
「今日はいっぱい遊んで下さいね!オレ、昨日からすっげぇ楽しみにしてたんス!」
 無邪気に笑うハボックにロイも笑みを浮かべる。
「――――ああ、そうだな」
 こんな邪な想いは脇に置いて先ずは楽しむことを考えなければ。
「よし、先ずは波乗りして、それからウォータースライダーだ」
「やったぁ!」
「うわっ」
 そう思いながらもハボックに飛びつかれれば、やっぱりドギマギしてしまうロイだった。


2014/09/05


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