金剛石 27


「退院した?だってまだ包帯はとれてないんじゃ?」
 受付でハボックの様子を尋ねたロイは返ってきた言葉に目を見開く。看護士は困ったようなため息を零して答えた。
「ええ。先生もまだ無理だと仰られたんですけど、ご本人がどうしてもと聞かなくて。強引に退院していかれたんです」
 そう聞いてロイは病院を後にする。ハボックの住むアパートへと夕闇が迫る街を足早に歩いた。
 あの日ハボックと言い争いをしてから、本人がロイを拒絶していることと、二度と同じような騒ぎを起こされては困るという病院側の意向で、ハボックに会えないまま受付を尋ねるだけの日々が続いていた。昨日、包帯がとれるにはあと二、三日かかると聞いたばかりの今日の退院で、ロイは焦る気持ちに急き立てられるように、夜の街に出かけようと繰り出してきた人々をかき分けて歩いた。
(また馬鹿な事をしなければいいが)
 再び自分で自分の目を傷つけようとしたりしないか。あの日包帯を毟り取ろうとしたハボックの事を思い出せば、ロイの足取りは徐々に早くなり、いつしかロイはアパートへの道を全速力で駆けていた。
「確かこの辺りのはずだが……」
 住所を頼りにたどり着いた場所をロイはキョロキョロと見回す。幾つか並んで建つアパートの中から目指すそれを見つけると鉄製の外階段をガンガンと音を立てて上がっていった。
 会えばまた悪戯にハボックを刺激するだけかもしれない。それでもハボックの顔を見ればきっと想いを伝えずにはいられない自分に気づいて、ロイは自嘲気味の笑みを浮かべた。階段を上り部屋の番号を確かめながら廊下を歩く。突き当たりの部屋が住所録に記された番号になっているのを見て、ロイは一瞬の躊躇いの後、扉を拳でノックした。


 ハボックはまだ痛む目をそっと押さえて首を振る。ドサリと体を投げ出すようにソファーに腰を下ろすと長身をソファーの背に預け、深いため息をついた。
『せめてあと一日様子を見た方が』
 何とか翻意を促そうと説得する医師を強引に黙らせて退院したものの、やはり痛みが残る目元にハボックは知らず肩で息をする。先ほど洗面所の鏡で確かめた己の瞳が変わらず目も覚めるような深い蒼を湛えていたことを思い出して、ハボックは唇を歪めた。
「結局このまま、か……」
 あれが一番いい方法だと思った。どれほど強い呪いだろうと瞳そのものをないものにしてしまえば、大切に想う人に怖ろしい運命を引き寄せずに済むと思ったのに。
「傷一つ残らないなんて……」
 まるでそれ自体が己を守る意志を持っているかのように、一筋の傷も残さぬまま相変わらず同じ光を湛えた瞳にハボックは打ちのめされて震える吐息を吐き出した。
「チクショウ……」
 このままこれまでと同じように自分の周りの人々に災いを振りまいていくのかと思うとぞっとする。何よりあの黒曜石を遠からぬ未来に打ち砕いてしまうのではないかという恐怖が、ハボックの胸をキリキリと苦しめた。
「大……、ッ」
 思わず唇から零れた呟きをハボックは慌てて飲み込む。怖ろしい運命を呼び寄せまいと必死に彼の人の姿を頭から閉め出そうとしていたハボックの耳に、ドンドンと扉をたたく音が聞こえた。


2011/05/24


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